ホーチキの歴史
沿革
1918年に設立された東京報知機が起源。
1920年に日本初の公衆用火災報知機を日本橋に設置し、2003年に住宅用火災警報器を発売した。火災報知設備を主力とする防災機器メーカーで、米国・欧州・中国・メキシコなどにも拠点を開設する。
1918年〜東京報知機の設立と日本初の公衆用火災報知機
- 東京報知機を設立[3]
- 日本初の公衆用火災報知機を日本橋に設置[3]
- 売上高
筆者所見
東京報知機が創業から30年余りを持ちこたえた理由は、火災報知機ではなく消防ポンプの販売にあった。報知機は自社の費用で東京市に設置し、30年後に東京府へ無償で寄付する条件付きの事業だった[1]。1923〜1935年は、ポンプの利益が報知機部門の欠損を補った[2]。公共の通報網という看板を、輸入品の商社機能が下支えする構造だったと言える。報知機事業を収益源に育てるには、設備を納めて売り切る方式への転換が要った。
- [1]ホーチキの70年(1988)「2.東京報知機の誕生」
- [2]ホーチキの70年(1988)「4.消防ポンプの販売」
1951年〜自動火災感知器の開発と東証二部上場
- 自動火災感知器を開発[3]
- 町田工場を新設[3]
- 東京証券取引所市場第二部に上場[3]
- 水噴霧・泡消火装置を開発[4]
- UHF放送用コンバーターの販売を開始[3]
- イオン化式煙感知器を開発[3]
- 東京都品川区上大崎に本社社屋を建設・移転[3]
- 売上高
筆者所見
1951年からの18年間で、東京報知機は街路の通報設備の会社から、建物に据える感知器の製造会社へ性格を変えた。1951年10月に自動火災感知器を開発し、1962年5月に町田工場を新設した[3]。人が押す発信機から火災を自ら検知する機器への移行は、販売先を自治体から建物の施主へ広げた。1968年6月にはイオン化式煙感知器を開発した[3]。量産の工場と新しい検知方式を備えたことで、放送・防犯へ領域を広げる前提条件がそろった。
- [3]ホーチキ 公式サイト「沿革」(2026年10月)
1969年〜テレビ共聴機器への参入とホーチキへの改称
- 角田工場を新設[3]
- テレビ共聴機器・放送設備の本格販売を開始[4]
- アンプ・ブースター・分配器などの生産を開始[3]
- 米国・ロスアンゼルスに駐在事務所を開設[3]
- 東京証券取引所市場第一部に指定替え[3]
- ホーチキに商号変更[3]
- ホーチキアメリカを設立[3]
- ニュータウンのインフラにCATVシステムを導入[3]
- 茨城工場を新設[3]
- 防犯システム事業に参入[3]
- 赤外線検出器の販売を開始[3]
- 音声告知放送の第1号を納入[3]
- R型防災システムHRE型受信機の販売を開始[3]
- 英国・ロンドンに駐在事務所を開設[3]
- 大空間火災検出消火システム(放水銃)を発売[4]
- 宮城新工場を新設[3]
- ホーチキヨーロッパ(U.K.)を設立[3]
- 宮城工場でISO-9001を取得[3]
- 出入管理システム「ID・TECHNO」を発売[4]
- 総合防災実験場を新設[3]
- R型防災システムHRI型受信機の販売を開始[3]
- シンガポール駐在事務所を営業所に昇格[3]
- 非常電源不要型共同住宅システム「SVシステム」の販売を開始[3]
- 中国・公安部から防災機器の「品質システム認証」を取得[3]
- テレビ共同受信用光送受信機の開発・販売を開始[3]
- 中国・北京に駐在員事務所を設立[3]
- P型とR型を組み合わせた受信機「HRM」の販売を開始[3]
- 超高感度煙感知システム小型一体型の販売を開始[3]
- 売上高
筆者所見
1969年から2002年のホーチキは、火災報知の専業を離れ、建物の弱電設備の全般へ事業領域を広げた。1969年7月にテレビ共聴機器・放送設備の本格販売を始め、1976年5月には防犯システム事業に参入した[4][3]。火災の感知で培った配線と受信の技術を横展開した多角化である。米国に1972年、英国に1991年と現地法人も設立した[3]。国内の多角化と並行して海外の拠点を先に置いたことが、2003年以降の防災事業の海外展開を容易にした。
- [4]有価証券報告書
- [3]ホーチキ 公式サイト「沿革」(2026年10月)
2003年〜住宅用火災警報器の発売とディーディーエルの子会社化
- 住宅用火災警報器を発売[3]
- GR型防災受信機「HRN」の販売を開始[3]
- 光受信機(V-ONU)の販売を開始[3]
- 綜合警備保障と業務提携[4]
- GR型受信機「HRO」の販売を開始[3]
- 三和シヤッター工業と資本業務提携[4]
- ホーチキ消防科技(北京)有限公司を設立[3]
- 宮城工場の風力発電設備と太陽光発電設備が竣工[3]
- 日本初の無線式自動火災報知システムを発売[4]
- 豪州にホーチキオーストラリアを設立[3]
- ホーチキメキシコを設立[3]
- 台湾駐在員事務所を台湾営業所に昇格[3]
- ケンテックエレクトロニクスを子会社化[3]
- バンコクとジャカルタに駐在員事務所を開設[3]
- ホーチキヨーロッパがドバイにホーチキミドルイーストを設立[3]
- シンガポールにホーチキアジアパシフィックを設立[3]
- 信頼性試験センターを設立[3]
- ホーチキ消防科技[北京]の保有株式を譲渡[3]
- 宮城第二工場を新設[3]
- D.E.S.を完全子会社化[3]
- 東京・品川に技術研修所を開設[3]
- 代理店の水戸ホーチキを連結子会社化[3]
- ホーチキタイランドを設立[3]
- プライム市場に移行[4]
- ディーディーエルを子会社化[3]
- ホーチキアメリカがシカゴオフィスを開設[3]
- ホーチキエンジニアリングを吸収合併[3]
- 売上高
- 売上原価
- 販管費
- 営業利益
- 経常利益率
| 就任年 | 社長氏名 | 役職名 |
|---|---|---|
| 2014年 | 山形明夫 | 取締役専務→取締役副社長→取締役社長→取締役 社長執行役員→一般社団法人日本火災報知機工業会 副会長 |
| 細井元 |
筆者所見
2003年以降のホーチキは、住宅と海外の二つの方向で、防災の本業に経営資源を集め直した。2003年6月に住宅用火災警報器を、2010年3月に日本初の無線式自動火災報知システムを発売した[3][4]。2012年には豪州とメキシコに現地法人を設立し、同年10月にケンテックエレクトロニクスを子会社化した[3]。駐在事務所を一つずつ開いた1970年代以降の手法に、買収で製品と販路を一度に得る手法が加わった。時間を買う代わりに、統合の負担を抱える選択でもあった。
- [3]ホーチキ 公式サイト「沿革」(2026年10月)
- [4]有価証券報告書