芝浦メカトロニクス:東芝メカトロニクスとの合併と装置事業への転換
1970年〜一部上場と家電用モータの高付加価値化
1972年2月、芝浦製作所は東京証券取引所市場第一部へ指定替え上場した。このころの主力は東芝向けの製造設備と家電用の小型モータで、家電用小型モーターでは大手の位置にあった。売上高は1971年3月期の114億円から1974年3月期には175億円へ伸び、第一次石油危機の影響が出た1976年3月期に139億円まで落ちた後、1980年3月期には241億円へ戻している。経常利益も1971年3月期の6億円から1973年3月期には11億円へ増えた。東芝という大口の納入先を後ろに置いたまま、上場会社として単独の決算を市場へ示す立場になった。
- 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
- [1]1972年2月 東京証券取引所市場第一部に指定替え上場
- 日本の経営者 平成5年版(時評社・1992年)
- [2]芝浦製作所は家電用小型モーターの大手
- [5]1992年時点で東芝が芝浦製作所株式の61.6%を保有し、東芝向けの製造設備とモータが主力であった
- 会社年鑑
- [3]売上高は1971年3月期114億円、1974年3月期175億円、1976年3月期139億円、1980年3月期241億円(単体)
- [4]経常利益は1971年3月期6億円、1973年3月期11億円(単体)
モータ技術を土台に、新素材とエレクトロニクス技術を加えて新しい型のモータを出し続けることを、会社は目指していた。その成果の一つが1982年に商品化したRPモータで、独特の鉄芯に巻き線を施して小型・薄型に仕上げ、全体をモールドで固めてあった。寿命と耐久性は従来品を大きく上回り、翌1983年には制御回路を組み込んだICモーターも投入され、どちらもよく売れて成熟したモータ市場に新たな需要を生んだ。売上高は1982年3月期の238億円から、1983年3月期には198億円へ減っている。新機種の投入は、伸びの止まった量を単価で補う手でもあった。
- 日本の経営者 平成5年版(時評社・1992年)
- [6]会社が志向したのはモーター技術をベースに新素材・エレクトロニクス技術で味つけし、新しいタイプのモーターを開発していくこと
- [7]1982年(昭和57年)にRPモータを商品化。独特の鉄芯に巻き線を施して小型・薄型にし、レンジで全体をモールド化した
- [8]RPモータは従来品に比べて寿命と耐久性が格段に向上し、1983年(昭和58年)にはこれに制御回路を組み合わせたICモーターを商品化
- [9]RPモータ・ICモーターはいずれも大ヒットし、成熟化したモータ市場で大きな需要を生み出した
- [11]成熟化したモータ市場で、芝浦製作所の新機種が大きな需要を生み出していた
- 会社年鑑
- [10]売上高は1982年3月期238億円、1983年3月期198億円(単体)
東芝がフロッピーディスク・ドライブを増産し続けたことに押され、ステッピングモーターは量産段階へ進んだ。新製品開発室初のベストセラーとなったこのモーターは、回転数を自由に決められる精度の高い制御の仕組みを組み込んでおり、フロッピーディスク・ドライブや産業機械向けに需要が急速に伸びた。新機種と量産がかみ合い、売上高は1983年3月期の198億円で底を打って、1984年3月期に215億円、1985年3月期に236億円まで回復した。もっとも、需要の源が親会社の製品計画にある以上、東芝が作る品目が変われば、この量産もまた行き場を失う。
- 日本の経営者 平成5年版(時評社・1992年)
- [12]東芝がフロッピーディスク・ドライブの増産を続けたため、ステッピングモーターも量産化へ向かった
- [13]新製品開発室が生み出したベストセラー第一号はステッピングモーター
- [14]ステッピングモーターは回転数を任意に設定できる高精度の制御機構を内蔵し、フロッピーディスク・ドライブや産業機械向けに需要を急速に伸ばした
- 会社年鑑
- [15]売上高は1983年3月期198億円、1984年3月期215億円、1985年3月期236億円(単体)
参考文献[1]-[15]
- 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
- [1]1972年2月 東京証券取引所市場第一部に指定替え上場
- 日本の経営者 平成5年版(時評社・1992年)
- [2]芝浦製作所は家電用小型モーターの大手
- [5]1992年時点で東芝が芝浦製作所株式の61.6%を保有し、東芝向けの製造設備とモータが主力であった
- [6]会社が志向したのはモーター技術をベースに新素材・エレクトロニクス技術で味つけし、新しいタイプのモーターを開発していくこと
- [7]1982年(昭和57年)にRPモータを商品化。独特の鉄芯に巻き線を施して小型・薄型にし、レンジで全体をモールド化した
- [8]RPモータは従来品に比べて寿命と耐久性が格段に向上し、1983年(昭和58年)にはこれに制御回路を組み合わせたICモーターを商品化
- [9]RPモータ・ICモーターはいずれも大ヒットし、成熟化したモータ市場で大きな需要を生み出した
- [11]成熟化したモータ市場で、芝浦製作所の新機種が大きな需要を生み出していた
- [12]東芝がフロッピーディスク・ドライブの増産を続けたため、ステッピングモーターも量産化へ向かった
- [13]新製品開発室が生み出したベストセラー第一号はステッピングモーター
- [14]ステッピングモーターは回転数を任意に設定できる高精度の制御機構を内蔵し、フロッピーディスク・ドライブや産業機械向けに需要を急速に伸ばした
- 会社年鑑
- [3]売上高は1971年3月期114億円、1974年3月期175億円、1976年3月期139億円、1980年3月期241億円(単体)
- [4]経常利益は1971年3月期6億円、1973年3月期11億円(単体)
- [10]売上高は1982年3月期238億円、1983年3月期198億円(単体)
- [15]売上高は1983年3月期198億円、1984年3月期215億円、1985年3月期236億円(単体)
1990年〜機器事業への広がりと徳田製作所の真空技術
芝浦製作所はモータのほかに自動販売機も作り、とくにたばこ自販機で実績を持ち、紙幣識別装置などの新しい機構を組み込んでいた。ウォータージェットカッターや直交ロボットも売れ筋に加わり、食券の券売機などプリペイドカードを使う機器にも力を入れている。モータが東芝の家電計画に連動する量産品であるのに対し、これらは納入先も需要の波も異なる商売であった。1993年6月には自動販売機を扱う芝浦自販機を設立し、1994年4月には芝浦エンジニアリングを設けて、機能ごとに子会社へ切り分ける形を作る。1997年7月には本社事務所を東京都品川区へ移し、本店を神奈川県横浜市へ移した。
- 日本の経営者 平成5年版(時評社・1992年)
- [16]芝浦製作所は自動販売機も製造し、とくにたばこ自販機で実績を持ち、紙幣識別装置などの新しい機構を組み込んでいた
- [17]たばこ自動販売機・ウォータージェットカッター・直交ロボットが売れ筋商品となり、食券の券売機などプリペイドカード使用の機器にも注力していた
- 産業と経済 1998年7月号(52巻10号)
- [18]芝浦製作所は東芝を筆頭にほとんどのエアコンメーカーへモータを供給しており、モータは家電向けの量産品であった
- 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
- [19]1993年6月 芝浦自販機を設立、1994年4月 芝浦エンジニアリングを設立
- [20]1997年7月 本社事務所を東京都品川区へ移転し、本店を神奈川県横浜市へ移転
当時の芝浦製作所は、重電を離れてデバイス部門へ主力を移す途上にあった。1991年10月の徳田製作所との合併もその線上にあり、同社は真空機器を得意としていた。徳田製作所の事業は芝浦製作所の真空機器システム事業部と相模工場に引き継がれ、あわせて芝浦エレテックが子会社となった。7年後に会社が絞り込む先は、半導体・液晶の製造装置とDVDの成膜装置で、いずれも真空技術を基礎とする分野であり、モータ一本だった会社にとって装置技術を抱えたことが主力交代の足場になった。
- 産業と経済 1998年7月号(52巻10号)
- [21]芝浦製作所は脱重電とデバイス部門への軸足の移動を進めてきた
- [24]1998年の合併後は半導体・液晶製造装置やDVD成膜装置事業に特化する
- 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
- [22]1991年10月 徳田製作所と合併
- [23]徳田製作所の事業は真空機器システム事業部・相模工場として継承され、芝浦エレテックを子会社化
国内シェアで40%を占めた芝浦製作所のモータは、東芝をはじめ大半のエアコンメーカーに納められていた。モータ事業の売上はおよそ200億円あり、引き続き会社の柱だったが、需要家のほぼすべてを押さえた供給網は、エアコンという一つの用途に頼っていることの裏返しでもあった。1990年6月には東芝取締役・関西支社長の鈴木三郎氏が社長に就き、渡辺亮前社長は相談役に退いている。1992年の時点で東芝は株式の61.6%を持っており、社長も親会社から迎える形が続いていた。
- 産業と経済 1998年7月号(52巻10号)
- [25]芝浦製作所は東芝を筆頭にほとんどのエアコンメーカーへモータを供給し、国内シェアは40%
- [26]芝浦製作所のモーター事業の売上はおよそ200億円
- [27]エアコン需給の悪化によりモータは前年比で20%前後の需要減が予想されていた
- 日本の経営者 平成5年版(時評社・1992年)
- [28]1990年6月 東芝取締役・関西支社長の鈴木三郎が社長に就任し、渡辺亮前社長は相談役へ退いた
- [29]1992年当時、東芝が芝浦製作所株式の61.6%を保有
参考文献[16]-[29]
- 日本の経営者 平成5年版(時評社・1992年)
- [16]芝浦製作所は自動販売機も製造し、とくにたばこ自販機で実績を持ち、紙幣識別装置などの新しい機構を組み込んでいた
- [17]たばこ自動販売機・ウォータージェットカッター・直交ロボットが売れ筋商品となり、食券の券売機などプリペイドカード使用の機器にも注力していた
- [28]1990年6月 東芝取締役・関西支社長の鈴木三郎が社長に就任し、渡辺亮前社長は相談役へ退いた
- [29]1992年当時、東芝が芝浦製作所株式の61.6%を保有
- 産業と経済 1998年7月号(52巻10号)
- [18]芝浦製作所は東芝を筆頭にほとんどのエアコンメーカーへモータを供給しており、モータは家電向けの量産品であった
- [21]芝浦製作所は脱重電とデバイス部門への軸足の移動を進めてきた
- [24]1998年の合併後は半導体・液晶製造装置やDVD成膜装置事業に特化する
- [25]芝浦製作所は東芝を筆頭にほとんどのエアコンメーカーへモータを供給し、国内シェアは40%
- [26]芝浦製作所のモーター事業の売上はおよそ200億円
- [27]エアコン需給の悪化によりモータは前年比で20%前後の需要減が予想されていた
- 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
- [19]1993年6月 芝浦自販機を設立、1994年4月 芝浦エンジニアリングを設立
- [20]1997年7月 本社事務所を東京都品川区へ移転し、本店を神奈川県横浜市へ移転
- [22]1991年10月 徳田製作所と合併
- [23]徳田製作所の事業は真空機器システム事業部・相模工場として継承され、芝浦エレテックを子会社化
1997年〜モータ事業の切り離しと芝浦メカトロニクスの発足
1998年の再編を促したのは、二つの逆風と一つの追い風であった。逆風の一つは韓国の経済危機である。芝浦製作所のモータは需要の落ち込みが止まらず、自社だけで国際的な競争力を保つのは難しくなっていた。液晶の生産量で日本に次ぐ韓国は液晶製造装置の大口顧客だったが、韓国経済の現状を見る限り輸出の立ち直りは望みにくくなり、エアコンの需給も悪化して、一時帰休や雇用調整助成金の申請を検討するメーカーまで現れ、モータの需要は前年比20%前後の減少が見込まれた。そこでの追い風が日本電産によるモータ部門の買収で、日本電産にとってもモータの品揃えを広げて国際競争力を高める機会となった。
- 産業と経済 1998年7月号(52巻10号)
- [30]1998年の再編を促したのは二つの逆風と一つのフォローの風であった
- [31]逆風の一つは韓国の経済危機
- [32]芝浦製作所のモータは需要減が続いており、単独で国際競争力を維持するのは困難だった
- [33]液晶生産量で日本に次ぐ韓国は液晶製造装置の上得意先であり、韓国経済の現状から韓国向け輸出の回復は期待しにくかった
- [34]エアコン需給の悪化により一部メーカーは一時帰休の実施や雇用調整助成金の申請を検討し、モータは前年比20%前後の需要減が予想された
- [35]フォローの風は日本電産によるモータ部門の買収で、日本電産はモータ部門の品揃えなど国際競争力を強化できた
1998年、芝浦製作所は主力のモーター事業を実質的に分割し、日本電産へ事実上統合する道を選んだ。芝浦製作所と日本電産がそれぞれ40%、東芝が20%を出資して芝浦電産を設立し、モータ事業をそこへ営業譲渡する形をとる。譲渡されたモータ事業の売上はおよそ200億円で、譲渡後の芝浦製作所の事業規模はほぼ半分になった。東芝はグループの目標として自己資本利益率10%以上・負債比率100以下を掲げており、この再編でその達成の見込みがついた。国内シェア40%の事業を手放す判断は、規模の大小ではなく単独で国際競争力を保てるかどうかで下された。
- 産業と経済 1998年7月号(52巻10号)
- [36]芝浦製作所は主力のモーター事業を実質的に事業分割し、日本電産へ事実上統合した
- [37]芝浦製作所と日本電産が各40%、東芝が20%を出資して芝浦電産を設立し、モータ事業を営業譲渡した
- [38]芝浦製作所のモーター事業の売上は約200億円で、営業譲渡後の事業規模は約半分になる
- [39]東芝はグループ目標でROE10%以上・負債比率100以下を掲げ、この再編で達成の見込みがついた
- [40]国内シェア40%を占めるモータでも需要減が続き、単独で国際競争力を維持するのは困難と判断された
1998年10月1日、芝浦製作所はほぼ同規模の東芝メカトロニクスと合併し、商号を芝浦メカトロニクスへ改めた。新会社の売上高は1998年3月期の実績を単純に合計すると約520億円で、内訳は営業譲渡するモータ部門を除く芝浦製作所が約290億円、東芝メカトロニクスが約230億円であった。液晶の製造装置では世界で競争力を持つ企業が生まれ、海外の営業・サービス拠点を共有して海外売上高比率を50%前後まで高める方針を掲げる。液晶は半導体のように小さく切り分けることができず、半導体ほどの価格下落は起きない領域であり、大型画面化と低価格化によってデスクトップ型ディスプレーの置き換えも進んでいた。1999年4月には本社を神奈川県横浜市へ移した。脱重電とデバイス部門への移行は、モータの分離と東芝メカトロニクスとの合併によって完全なものとなる。60年にわたり軍需と東芝の家電に応じて作るものを変えてきた会社は、ここで受注生産の装置メーカーへ姿を変えた。
- 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
- [41]1998年10月 東芝メカトロニクスと合併し、商号を芝浦メカトロニクスへ変更(合併は10月1日)
- [45]1999年4月 本社を神奈川県横浜市へ移転
- 産業と経済 1998年7月号(52巻10号)
- [42]新会社の売上高は1998年3月期実績の単純合計で約520億円(芝浦製作所のモータ部門を除く約290億円と東芝メカトロニクス約230億円)
- [43]合併により液晶製造装置で世界的な競争力のある企業が誕生し、海外子会社の営業・サービス拠点の共有化で海外売上高比率を50%前後まで高める方針を掲げた
- [44]液晶は半導体のように小さくカットすることができず半導体ほどの価格低下はなく、液晶の大型画面化や低価格化によりデスクトップ型ディスプレーでも液晶のシェアが高まっていた
- [46]脱重電・デバイス部門への軸足の移動は、モータ事業の分離と東芝メカトロニクスとの合併で完全に転換することになった
参考文献[30]-[46]
- 産業と経済 1998年7月号(52巻10号)
- [30]1998年の再編を促したのは二つの逆風と一つのフォローの風であった
- [31]逆風の一つは韓国の経済危機
- [32]芝浦製作所のモータは需要減が続いており、単独で国際競争力を維持するのは困難だった
- [33]液晶生産量で日本に次ぐ韓国は液晶製造装置の上得意先であり、韓国経済の現状から韓国向け輸出の回復は期待しにくかった
- [34]エアコン需給の悪化により一部メーカーは一時帰休の実施や雇用調整助成金の申請を検討し、モータは前年比20%前後の需要減が予想された
- [35]フォローの風は日本電産によるモータ部門の買収で、日本電産はモータ部門の品揃えなど国際競争力を強化できた
- [36]芝浦製作所は主力のモーター事業を実質的に事業分割し、日本電産へ事実上統合した
- [37]芝浦製作所と日本電産が各40%、東芝が20%を出資して芝浦電産を設立し、モータ事業を営業譲渡した
- [38]芝浦製作所のモーター事業の売上は約200億円で、営業譲渡後の事業規模は約半分になる
- [39]東芝はグループ目標でROE10%以上・負債比率100以下を掲げ、この再編で達成の見込みがついた
- [40]国内シェア40%を占めるモータでも需要減が続き、単独で国際競争力を維持するのは困難と判断された
- [42]新会社の売上高は1998年3月期実績の単純合計で約520億円(芝浦製作所のモータ部門を除く約290億円と東芝メカトロニクス約230億円)
- [43]合併により液晶製造装置で世界的な競争力のある企業が誕生し、海外子会社の営業・サービス拠点の共有化で海外売上高比率を50%前後まで高める方針を掲げた
- [44]液晶は半導体のように小さくカットすることができず半導体ほどの価格低下はなく、液晶の大型画面化や低価格化によりデスクトップ型ディスプレーでも液晶のシェアが高まっていた
- [46]脱重電・デバイス部門への軸足の移動は、モータ事業の分離と東芝メカトロニクスとの合併で完全に転換することになった
- 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
- [41]1998年10月 東芝メカトロニクスと合併し、商号を芝浦メカトロニクスへ変更(合併は10月1日)
- [45]1999年4月 本社を神奈川県横浜市へ移転
1970年〜1999年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1970年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1971年03月期 | 単体 | 114 | n/a | 6 | 4 | 3.5% | n/a |
| 1972年03月期 | 単体 | 112 | ▲1.8% | 7 | 4 | 3.6% | n/a |
| 1973年03月期 | 単体 | 127 | +13.4% | 11 | 6 | 4.7% | n/a |
| 1974年03月期 | 単体 | 175 | +37.8% | 12 | 6 | 3.4% | n/a |
| 1975年03月期 | 単体 | 174 | ▲0.6% | 4 | ▲1 | ▲0.6% | n/a |
| 1976年03月期 | 単体 | 139 | ▲20.1% | ▲3 | 0 | 0.0% | n/a |
| 1977年03月期 | 単体 | 165 | +18.7% | 2 | 3 | 1.8% | n/a |
| 1978年03月期 | 単体 | 170 | +3.0% | 1 | 2 | 1.2% | n/a |
| 1979年03月期 | 単体 | 209 | +22.9% | 1 | 2 | 1.0% | n/a |
| 1980年03月期 | 単体 | 241 | +15.3% | 2 | 0 | 0.0% | n/a |
| 1981年03月期 | 単体 | 242 | +0.4% | 2 | ▲8 | ▲3.3% | n/a |
| 1982年03月期 | 単体 | 238 | ▲1.7% | 3 | 3 | 1.3% | n/a |
| 1983年03月期 | 単体 | 198 | ▲16.8% | ▲4 | ▲2 | ▲1.0% | n/a |
| 1984年03月期 | 単体 | 215 | +8.6% | 0 | 1 | 0.5% | n/a |
| 1985年03月期 | 単体 | 236 | +9.8% | 1 | 1 | 0.4% | n/a |
| 1986年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1987年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1988年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1989年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1990年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1991年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1992年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1993年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1994年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1995年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1996年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1997年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1998年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1999年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
出所:会社年鑑
出典・参考
4件
- 芝浦メカトロニクス 有価証券報告書【沿革】
- 会社年鑑
- 産業と経済 1998年7月号(52巻10号)
- 日本の経営者 平成5年版(時評社・1992年)