加藤三郎氏は1956年以降、収益の良い期でも配当を1割に抑え、残りを内部留保として設備投資に回した。経営者個人の富の追求を退ける信条に基づく判断で、1969年時点で総資本10億円の90%を社内留保が占めた。この資金で1957年に横浜工場、1964年に戸塚工場を建設し、日産自動車と日立製作所の需要拡大に小物ばねの量産で応えた。資本金は1959年の200万円から1969年の4千万円となり、1968年度の売上高は約20億円、従業員は約450名に達した。売上高は1969年までの10年間で14倍に増加している。