決断
傾いた会社を再建し、合併で一つの法人に統合する判断を重ねて今の形になった会社である。日本ゴム工業は朝鮮戦争の休戦でゴム相場が暴落し、高値の原料在庫を抱えた。1956年、富士銀行の要請で岡本巳之助氏が経営に入り、足利工場を履物専業に、荏原工場の主力をビニールフィルムに切り替えた。1958年には理研ゴムを合併して日本理研ゴムとし、1961年には神奈川県座間町に神奈川工場を新設して塩化ビニールの製造拠点とした。同じ1961年に自動車タイヤへ最後発で参入し、1964年に群馬工場を新設している。岡本巳之助氏が両社の社長を兼ね、岡本ゴム工業が筆頭株主だったことが、1968年の合併の前提となった。