三菱レイヨン:アクリル繊維参入による総合化繊メーカー化と石油危機後の無配転落
1955年〜技術導入で並んだ総合化繊メーカー
1955年ごろ、三菱レイヨンはスフ綿月産470万封度、スフ糸190万封度でいずれも業界第二位、有機合成樹脂は月産41トンで業界第一位に達していた。1955年3月期の総売上高は40億9,000万円である。日本の繊維産業が戦前水準を回復した1956年前後から、同社は海外技術の導入で品種を増やした。1956年7月に米セラニーズ社と提携して三菱アセテート、1957年12月には米モンサント社と提携して三菱ボンネルを設立し、アセテートとアクリルの両方の技術を獲得する。1959年には自社開発のポリノジック繊維を企業化し、1961年にはイタリアのモンテカチニ社からポリプロピレン繊維の技術を導入した。
- 『会社銀行八十年史』(1955年)「三菱レイヨン」
- [1]30年初頭における月間生産量はスフ綿470万封度、スフ糸190万封度(いずれも業界第二位)、有機合成樹脂四十一屯(業界第一位)に達した。三十年三月期総売上高は40億9,000万円
- 三菱レイヨン 有価証券報告書 第81期(2006年3月期)【沿革】
- [2]昭和31年7月 米国セラニーズ社と技術提携して三菱アセテート株式会社を設立/昭和32年12月 米国モンサント社と技術提携して三菱ボンネル株式会社を設立(『企業の歴史 明治百年』は設立時社名を菱光アセテート・新光アクリル繊維、アクリルの提携先を米国ケムストランド社と記しており、設立当時の社名・提携先名は有報の遡及表記と一致しない)
アクリル繊維は、技術を買うだけでは手に入らなかった。三菱レイヨンは特許とノウハウの買取りを希望したが、提携先の米ケムストランド社はこれに応じず、合弁会社の設立が条件となる。1957年5月17日にニューヨークで技術援助契約に調印し、同年12月10日、資本金15億円の新光アクリル繊維株式会社が発足した。ケムストランド社が株式の33%を持ち、日本側の67%のうち25%を三菱化成工業が引き受けたが、新会社の経営は三菱レイヨンに一任された。工場は大竹工場の隣接地に置かれ、1958年3月19日の起工から約1年で本運転に入って1959年4月25日に竣工する。1958年8月には商号を三菱ボンネルへ改め、この会社は1968年8月に三菱レイヨンへ吸収合併された。
- 社史 三菱レイヨン30年史(1964年)第6章第3節 新繊維への進出(その2)―アクリル繊維の企業化―
- [3]当初交渉段階において当社はケムストランド社の資本参加を避け特許およびノウハウの買取りを希望したが、ついに同社の応ずるところとならず、新会社を設立することとなった
- [4]昭和32年5月17日ニューヨークで技術援助契約に調印し、同年12月10日に資本金15億円の新光アクリル繊維株式会社を設立した。株式の33%をケムストランド社に割り当て、日本側持分67%のうち25%を三菱化成工業に譲渡し、新会社の経営権は当社に一任することとなった
- [5]アクリル繊維の工場建設地は大竹工場隣接地に決定し、昭和33年3月19日に起工式を挙行、着工以来約1年で本運転に入り昭和34年4月25日竣工式を挙行した
- [6]昭和33年8月1日、新光アクリル繊維は商標名のボンネルをとって三菱ボンネル株式会社と商号を変更した
- 三菱レイヨン 有価証券報告書 第81期(2006年3月期)【沿革】
- [7]昭和32年12月 米国モンサント社と技術提携して三菱ボンネル株式会社を設立(昭和43年8月吸収合併)
広げた品種のなかから、アクリルが主力に育った。1968年時点の年間売上高は約1,300億円で、内訳はアクリル製品56%、アセテート製品17%、レーヨンおよびポリノジック製品11%、ポリプロピレン製品10%、メタアクリル樹脂6%だった。レーヨン専業として出発した会社が、15年でアクリル中心の総合化繊メーカーに変わっている。原料の側も手当てした。1965年11月には日東化学工業の経営に参加し、アクリル繊維の原料であるアクリロニトリルの供給元を押さえた。この持分は1998年10月の合併まで維持された。
- 『企業の歴史 明治百年』(1968年)「三菱レイヨン」
- [8]年間売上高は約1,300億円でレーヨン及びポリノジック製品11%、アセテート製品17%、アクリル製品56%、ポリプロピレン製品10%、メタアクリル樹脂六%
- 三菱レイヨン 有価証券報告書 第81期(2006年3月期)【沿革】
- [9]昭和40年11月 日東化学工業株式会社の経営に参加
参考文献[1]-[9]
- 『会社銀行八十年史』(1955年)「三菱レイヨン」
- [1]30年初頭における月間生産量はスフ綿470万封度、スフ糸190万封度(いずれも業界第二位)、有機合成樹脂四十一屯(業界第一位)に達した。三十年三月期総売上高は40億9,000万円
- 三菱レイヨン 有価証券報告書 第81期(2006年3月期)【沿革】
- [2]昭和31年7月 米国セラニーズ社と技術提携して三菱アセテート株式会社を設立/昭和32年12月 米国モンサント社と技術提携して三菱ボンネル株式会社を設立(『企業の歴史 明治百年』は設立時社名を菱光アセテート・新光アクリル繊維、アクリルの提携先を米国ケムストランド社と記しており、設立当時の社名・提携先名は有報の遡及表記と一致しない)
- [7]昭和32年12月 米国モンサント社と技術提携して三菱ボンネル株式会社を設立(昭和43年8月吸収合併)
- [9]昭和40年11月 日東化学工業株式会社の経営に参加
- 社史 三菱レイヨン30年史(1964年)第6章第3節 新繊維への進出(その2)―アクリル繊維の企業化―
- [3]当初交渉段階において当社はケムストランド社の資本参加を避け特許およびノウハウの買取りを希望したが、ついに同社の応ずるところとならず、新会社を設立することとなった
- [4]昭和32年5月17日ニューヨークで技術援助契約に調印し、同年12月10日に資本金15億円の新光アクリル繊維株式会社を設立した。株式の33%をケムストランド社に割り当て、日本側持分67%のうち25%を三菱化成工業に譲渡し、新会社の経営権は当社に一任することとなった
- [5]アクリル繊維の工場建設地は大竹工場隣接地に決定し、昭和33年3月19日に起工式を挙行、着工以来約1年で本運転に入り昭和34年4月25日竣工式を挙行した
- [6]昭和33年8月1日、新光アクリル繊維は商標名のボンネルをとって三菱ボンネル株式会社と商号を変更した
- 『企業の歴史 明治百年』(1968年)「三菱レイヨン」
- [8]年間売上高は約1,300億円でレーヨン及びポリノジック製品11%、アセテート製品17%、アクリル製品56%、ポリプロピレン製品10%、メタアクリル樹脂六%
1971年〜輸出依存を突かれたニクソン・ショック
1971年、合繊の需給と輸出が同時に崩れた。生産拡大のなかで需給の緩みが出て価格が下がりかけていたところへ、輸入課徴金を含むニクソン・ショックが重なる。好調だった輸出が打撃を受け、国内へのなだれ込みを見越して価格は暴落した。三菱レイヨンは同年9月、企業の原点に立ち返る社内刷新運動を始める。社内ではMR(Management Revolution)運動と呼ばれた。運動の中核の一つが、主力製品ボンネルの輸出依存度を約5割から3割へ引き下げることだった。市況の波をそのまま業績に受ける体質を、この時点で問題に挙げた。
- 証券アナリストジャーナル 1973年11巻4号
- [10]第2の刷新運動は、46年9月から実施したもので、当社ではこれをMR(Management Revolution)運動と称している
- [11]当社の主力製品であるボンネルの量的な輸出依存度を現在の約5割から3割に減らす対策等
もう一つの手が、1972年5月の東洋紡とのトップ会談だった。今後の繊維不況は構造的なものになる。それに対処するには両社の企業力を合わせて新しい有力なグループを作り、業界再編の先駆けを目指す。この共通認識のもとで両社は全面提携に踏み切った。1973年3月期の売上高は773億円の見通しで、内訳はボンネル384億円、ポリエステル長繊維ソルーナ179億円、樹脂131億円、パイレン39億円、化繊40億円で、輸出は154億円と約20%を占めた。当時のMMA樹脂の生産量では米ロームアンドハースの23万6,000トンに次ぐ11万1,000トンで、デュポンを抑えて世界2位に立っていた。
- 証券アナリストジャーナル 1973年11巻4号
- [12]今後、繊維不況が起きた場合、それは構造的なものであって、これに対処していくためには、両社の企業力を総合活用して、新しい時代にあった有力なグループを形成し、業界の再編成の先駆を目指していくという共同認識のもとで提携に踏み切ったのである
- [13]まず、昭和48年3月期であるが、売上高は773億円、対前期比2%増…この内訳であるが、ボンネル部門が384億円、ソルーナ部門が179億円、三菱パイレン部門が39億円、化繊部門が40億円、樹脂部門が131億円である。この売上げのうち輸出は154億円、約20%となっている(1973年3月2日の講演での予想値。確定実績は資産内で確認できない)
- [14]MMA樹脂生産の世界第1位はアメリカのロームアンドハス社で年産23万6,000トン、第2位は当社で11万1,000トン、第3位がデュポンで10万9,000トンである
輸出比率を下げる一方で、同社は加工と技術そのものを海外へ移した。発展途上国との賃金格差が広がるため労働集約型の加工事業は現地へ移す必要があり、円の切上げがこれを加速するという読みだった。台湾では現地資本50%、三菱レイヨンと三菱商事で50%を持つ東華合繊がアクリル繊維を生産し、ブラジルには自社開発の乾式紡糸技術を、オーストリアには重合技術を輸出する。先進国の化学繊維工業はすでに爛熟期を過ぎていたため、ユーゴスラビア・ポーランド・ブルガリアへは技術だけを売った。海外の合弁会社は1973年3月の時点で13社、駐在員は約100名を数える。その後もブラジル・ポルトガルに続いてインドネシアで合弁会社を設けた。
- 証券アナリストジャーナル 1973年11巻4号
- [15]今後は発展途上国との賃金格差が非常に広がるので、労働集約型の加工事業は逐次海外加工基地の設立をはかる必要がある。これは円の切上げで一段とスピードアップされよう
- [16]台湾では現地資本50%、当社と三菱商事で50%の東華合繊というファイバー会社を設立、順調に利益をあげている。またブラジルには当社の開発した乾式紡糸技術を輸出、オーストリアにも重合技術を輸出している
- [17]先進国の化繊工業はすでにらん熟期をすぎており主要国での工業化は終了しているため、当社はユーゴ、ポーランド、ブルガリアに対し技術輸出を行なっている
- [18]当社の海外合弁会社は現在13社、近く設立予定が数社ある。現在海外駐在員は約100名
- 日本企業要覧 1974年版「三菱レイヨン」
- [19]ブラジル、ポルトガルにつづいてインドネシアでも合弁会社を設立し、アクリル紡績生産に注力している
参考文献[10]-[19]
- 証券アナリストジャーナル 1973年11巻4号
- [10]第2の刷新運動は、46年9月から実施したもので、当社ではこれをMR(Management Revolution)運動と称している
- [11]当社の主力製品であるボンネルの量的な輸出依存度を現在の約5割から3割に減らす対策等
- [12]今後、繊維不況が起きた場合、それは構造的なものであって、これに対処していくためには、両社の企業力を総合活用して、新しい時代にあった有力なグループを形成し、業界の再編成の先駆を目指していくという共同認識のもとで提携に踏み切ったのである
- [13]まず、昭和48年3月期であるが、売上高は773億円、対前期比2%増…この内訳であるが、ボンネル部門が384億円、ソルーナ部門が179億円、三菱パイレン部門が39億円、化繊部門が40億円、樹脂部門が131億円である。この売上げのうち輸出は154億円、約20%となっている(1973年3月2日の講演での予想値。確定実績は資産内で確認できない)
- [14]MMA樹脂生産の世界第1位はアメリカのロームアンドハス社で年産23万6,000トン、第2位は当社で11万1,000トン、第3位がデュポンで10万9,000トンである
- [15]今後は発展途上国との賃金格差が非常に広がるので、労働集約型の加工事業は逐次海外加工基地の設立をはかる必要がある。これは円の切上げで一段とスピードアップされよう
- [16]台湾では現地資本50%、当社と三菱商事で50%の東華合繊というファイバー会社を設立、順調に利益をあげている。またブラジルには当社の開発した乾式紡糸技術を輸出、オーストリアにも重合技術を輸出している
- [17]先進国の化繊工業はすでにらん熟期をすぎており主要国での工業化は終了しているため、当社はユーゴ、ポーランド、ブルガリアに対し技術輸出を行なっている
- [18]当社の海外合弁会社は現在13社、近く設立予定が数社ある。現在海外駐在員は約100名
- 日本企業要覧 1974年版「三菱レイヨン」
- [19]ブラジル、ポルトガルにつづいてインドネシアでも合弁会社を設立し、アクリル紡績生産に注力している
1973年〜無配転落と、従業員を半分にした5年
1973年の第1次石油危機を境に、合繊事業は世界的な構造不況に入った。設備過剰と過剰人員が同時に露呈し、三菱レイヨンは1976年3月期に無配となる。自己資本比率は9%まで低下した。業界全体でも1977年10月から通産省の勧告操短が始まり、1978年4月からは不況カルテル、同年5月に成立した構造不況法のもとで1979年1月から設備凍結に入った。繊維産業の従事者は1974年末の87万人から1978年末には72万人へ減った。5年前に結んだ東洋紡との提携は1977年11月、アクリル繊維の共同販売会社ダイヤファイバーズの営業開始として具体化する。旭化成と鐘紡も翌1978年6月に日本合成繊維を発足させており、業界は二つのグループに分かれた。
- 証券アナリストジャーナル 1982年20巻4号
- [20]昭和48年の第1次石油危機を契機に合繊事業は、設備過剰と過剰人員から世界的構造不況に突入し、当社も51年3月期に無配を余儀なくされた/自己資本比率は、51年3月期の9%がボトム
- 日本産業史 第3巻 繊維(日本経済新聞社、1994年)「繊維-繊維不況からDCブームへ」
- [21]東洋紡、三菱レイヨンの両社は五十二年九月、アクリル繊維の共同販売会社「ダイヤファイバーズ」(本社大阪市)の設立を公正取引委員会に届け出、同11月から営業活動を開始
無配に落ちた1976年3月期の損失は、操短による固定費の負担と原料費・エネルギーコストの高騰から、経常段階で88億4,000万円に達した。退職金などの対策費用も重く、株式ほかの資産売却で補っても当期損失は58億7,000万円になる。同社は同年4月以降、ポリプロピレン繊維パイレンのステープルからの撤収を決めた。損を先に出し切る決算は1979年3月期にも続く。営業段階では88億3,600万円の利益を計上しながら、特別構造改善費用43億6,300万円と関係会社等整理損失31億100万円を積み、当期は10億5,700万円の損失で締めた。在籍者は1974年3月末の8,907名から1979年3月末には3,464名へ減り、売上に占めるボンネルの比率も45%から24%へ下がっている。
- 日本企業要覧 1976年版「三菱レイヨン」
- [22]51年3月期は主力製品のボンネル・ソルーナを中心としたマーケティング活動に総力を結集したが、原料費エネルギーコストの高騰と操短による固定費負担もあり経常損失88億4,000万円を計上。退職金等対策費用の負担も大きく、株式売却など資産売却に努めたが58億7,000万円の損失となった
- [23]51年4月以降「パイレン」スフの撤収を決定
- 日本企業要覧 1979年版「三菱レイヨン」
- [24]54年3月期は売上高1,466億6,200万円、営業利益88億3,647万円、経常利益32億4,541万円。特別構造改善費用43億6,334万円、関係会社等整理損失31億154万円などの特別損失により当期損失10億5,764万円となった
- [26]在籍人員は男2,926名・女538名の計3,464名(昭和54年3月末)、事業内容はボンネル24%・ソルーナ34%・パイレン3%・樹脂製品35%
- 日本企業要覧 1974年版「三菱レイヨン」
- [25]在籍人員は男6,420名・女2,487名の計8,907名(昭和49年3月末)、事業内容はボンネル45%・ソルーナ21%・パイレン5%・化繊5%・合成樹脂2%
減らしたのは、まず人だった。三菱レイヨングループの従業員数はピーク時の11,000人から5,500人へ半減し、単体では9,300人が3,600人へと3分の1になっている。それでいて業容は縮まなかった。不採算事業の撤収、人員削減、コスト削減を重ねた結果、1979年3月期に浮上し、1980年3月期には累積赤字を一掃して経常利益55億円を計上、5年越しで6%の復配にこぎ着けた。レーヨン事業そのものは、この構造改善のなかで全面撤収された。社名に残った"レイヨン"は、事業としてはこの時期に消えた。
- 証券アナリストジャーナル 1982年20巻4号
- [27]減量経営により三菱レイヨン・グループの従業員数は、ピーク時の11,000人が現在の5,500人へ半減した。当社単独では9,300人から3,600人へと3分の1になったが、業容は逆に拡大している
- [28]レーヨン・ステープルのわが国のパイオニアとしてスタートしたが、レーヨン事業は後述の構造改善期に全面撤収した
参考文献[20]-[28]
- 証券アナリストジャーナル 1982年20巻4号
- [20]昭和48年の第1次石油危機を契機に合繊事業は、設備過剰と過剰人員から世界的構造不況に突入し、当社も51年3月期に無配を余儀なくされた/自己資本比率は、51年3月期の9%がボトム
- [27]減量経営により三菱レイヨン・グループの従業員数は、ピーク時の11,000人が現在の5,500人へ半減した。当社単独では9,300人から3,600人へと3分の1になったが、業容は逆に拡大している
- [28]レーヨン・ステープルのわが国のパイオニアとしてスタートしたが、レーヨン事業は後述の構造改善期に全面撤収した
- 日本産業史 第3巻 繊維(日本経済新聞社、1994年)「繊維-繊維不況からDCブームへ」
- [21]東洋紡、三菱レイヨンの両社は五十二年九月、アクリル繊維の共同販売会社「ダイヤファイバーズ」(本社大阪市)の設立を公正取引委員会に届け出、同11月から営業活動を開始
- 日本企業要覧 1976年版「三菱レイヨン」
- [22]51年3月期は主力製品のボンネル・ソルーナを中心としたマーケティング活動に総力を結集したが、原料費エネルギーコストの高騰と操短による固定費負担もあり経常損失88億4,000万円を計上。退職金等対策費用の負担も大きく、株式売却など資産売却に努めたが58億7,000万円の損失となった
- [23]51年4月以降「パイレン」スフの撤収を決定
- 日本企業要覧 1979年版「三菱レイヨン」
- [24]54年3月期は売上高1,466億6,200万円、営業利益88億3,647万円、経常利益32億4,541万円。特別構造改善費用43億6,334万円、関係会社等整理損失31億154万円などの特別損失により当期損失10億5,764万円となった
- [26]在籍人員は男2,926名・女538名の計3,464名(昭和54年3月末)、事業内容はボンネル24%・ソルーナ34%・パイレン3%・樹脂製品35%
- 日本企業要覧 1974年版「三菱レイヨン」
- [25]在籍人員は男6,420名・女2,487名の計8,907名(昭和49年3月末)、事業内容はボンネル45%・ソルーナ21%・パイレン5%・化繊5%・合成樹脂2%
1953年〜1979年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1953年03月期 | 単体 | 75 | n/a | 9 | n/a | 6 | 8.0% | n/a |
| 1954年03月期 | 単体 | 78 | +4.0% | 11 | n/a | 8 | 10.3% | n/a |
| 1955年03月期 | 単体 | 78 | 0.0% | 5 | n/a | 4 | 5.1% | n/a |
| 1956年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年03月期 | 単体 | 116 | n/a | 16 | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1958年03月期 | 単体 | 110 | ▲5.2% | 4 | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1959年03月期 | 単体 | 103 | ▲6.4% | 3 | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1960年03月期 | 単体 | 169 | +64.1% | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1961年03月期 | 単体 | 239 | +41.4% | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1962年03月期 | 単体 | 211 | ▲11.7% | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1963年03月期 | 単体 | 263 | +24.6% | n/a | n/a | 8 | 3.0% | n/a |
| 1964年03月期 | 単体 | 387 | +47.1% | n/a | n/a | 13 | 3.4% | n/a |
| 1965年03月期 | 単体 | 553 | +42.9% | n/a | n/a | 12 | 2.2% | n/a |
| 1966年03月期 | 単体 | 672 | +21.5% | n/a | n/a | 11 | 1.6% | n/a |
| 1967年03月期 | 単体 | 892 | +32.7% | n/a | n/a | 12 | 1.3% | n/a |
| 1968年03月期 | 単体 | 1,098 | +23.1% | n/a | n/a | 14 | 1.3% | n/a |
| 1969年03月期 | 単体 | 1,113 | +1.4% | n/a | n/a | 15 | 1.3% | n/a |
| 1970年03月期 | 単体 | 1,143 | +2.7% | n/a | n/a | 18 | 1.6% | n/a |
| 1971年03月期 | 単体 | 1,352 | +18.3% | n/a | 44 | 25 | 1.8% | n/a |
| 1972年03月期 | 単体 | 1,482 | +9.6% | n/a | 26 | 18 | 1.2% | n/a |
| 1973年03月期 | 単体 | 1,587 | +7.1% | n/a | 17 | 17 | 1.1% | n/a |
| 1974年03月期 | 単体 | 1,804 | +13.7% | n/a | 117 | 49 | 2.7% | n/a |
| 1975年03月期 | 単体 | 1,663 | ▲7.8% | n/a | 11 | 10 | 0.6% | n/a |
| 1976年03月期 | 単体 | 1,893 | +13.8% | n/a | ▲88 | ▲59 | ▲3.1% | n/a |
| 1977年03月期 | 単体 | 1,950 | +3.0% | n/a | ▲27 | 48 | 2.5% | n/a |
| 1978年03月期 | 単体 | 1,783 | ▲8.6% | n/a | ▲92 | ▲13 | ▲0.7% | n/a |
| 1979年03月期 | 単体 | 1,467 | ▲17.7% | n/a | 32 | ▲11 | ▲0.7% | n/a |
出所:上場会社総覧(1956年版)半期合算、上場会社総覧(1959年版)半期合算、上場会社総覧(1959年版、1961年版)半期合算、会社年鑑(1963年版)半期合算、会社年鑑(1967年版)半期合算、会社年鑑(1971年版)半期合算、会社年鑑(1976年版)半期合算、会社年鑑
出典・参考
10件
- 三菱レイヨン 有価証券報告書 第81期(2006年3月期)【沿革】
- 社史 三菱レイヨン30年史(1964年)第6章第3節 新繊維への進出(その2)―アクリル繊維の企業化―
- 『会社銀行八十年史』(1955年)「三菱レイヨン」
- 『企業の歴史 明治百年』(1968年)「三菱レイヨン」
- 日本産業史 第3巻 繊維(日本経済新聞社、1994年)「繊維-繊維不況からDCブームへ」
- 証券アナリストジャーナル 1973年11巻4号
- 証券アナリストジャーナル 1982年20巻4号
- 日本企業要覧 1974年版「三菱レイヨン」
- 日本企業要覧 1976年版「三菱レイヨン」
- 日本企業要覧 1979年版「三菱レイヨン」