樫山純三
オンワードホールディングス・元樫山商店 創業・社長
社長就任1927年2月
生年月日—
学歴小諸町の尋常小学校
出自—
経歴1914〜1974年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1914年主要役職の状況(推定含む目安)1986年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間企業 | |||||
| 民間企業 | 三越呉服店 | 1914 | 入店 | ||
| 1918 | 大阪店へ転勤 | ||||
| 1924 | 退職 | ||||
| 島田商会 | 1924 | 入社 | |||
| オンワードホールディングス(旧・樫山商店/樫山) | 1927 | 創業 社長 | |||
| 1947 | 社長 | ||||
| 1974 | 退任 | ||||
| 1974 | 会長 | ||||
社長就任までの出自
出自
1901年9月21日、長野県北佐久郡小諸町に樫山伝太郎氏の二男として生まれた。1914年3月、尋常小学校の卒業式を待たずに上京し、三越呉服店へ丁稚として入店した。入口の案内係を2年務めておもちゃ部の仕入れ担当に移り、新設の運動具売り場で国内外の品を買い付けた。1918年に大阪店へ移ってからも同じ仕入れを続け、夜は大阪貿易語学校でロシア語を学んだ。学歴は小学校までで、百貨店の売り場と仕入れの現場で商いを覚えた。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1924年3月に三越を辞め、神戸・元町の雑貨商である島田商会の再建を共同経営で引き受けた。2年で共同経営を解き、1927年2月に大阪・東区備後町で樫山商店を創業した。1942年の衣料統制で既製服中央第七十四代行株式会社の社長に就任し、樫山商店は事実上なくなった。1946年6月に大阪・老松町へ被服工場を建て、1947年3月に代行会社の全株を取得して樫山工業とし、同年9月に販売会社の樫山株式会社を設けた。1949年6月に樫山株式会社が樫山工業を合併し、資本金500万円で生産と販売を一つにした。
創業ストーリー
創業ストーリー
在任中の主な施策
樫山純三氏:在任中の施策
1950年に背広の縫製を30工程の流れ作業に組み替え、1着2日の手間を7時間に縮めた。1951年7月に「オンワード」の商標を登録し、紳士既製服を百貨店へ売り込んだ。1953年には生産を協力工場へ預け、百貨店との取引に委託販売を取り入れた。1959年に婦人服部を設け、1960年代前半には子供服・和装・ユニホームへ品目を広げた。1972年から1974年にかけて米国・フランス・イタリア・フィリピンに現地法人を設け、1974年3月に社長を退任した。
参考文献2件
参考文献
- 私の履歴書 経済人16(1981)「樫山純三(樫山会長)」
- オンワードホールディングス 公式サイト「沿革」(2026年10月)
事実根拠:出所(オンワードホールディングス)