任天堂:ファミリーコンピュータの社会現象化とNINTENDO64の発売
1983年〜1万4800円のファミコンと専用LSI、6社特例と卸値2000円のカセット
1983年7月に出したファミリーコンピュータは、本体を1万4800円に抑え、遊ぶ中身は別売のROMカートリッジに収める作りだった。山内溥社長が独自のゲーム専用LSIの開発を決めたのは1981年秋で、米国アタリの機械の動きと画面が物足りないと感じたことが起点になった。この回路が色と速さで他社機との差を生み、売り場で試した客は任天堂の機械を選んだ。3万円以上のMSXパソコンや2万4800円のアタリ機より安く、アタリは価格競争に敗れて1984年秋に日本から退いた。1984年10月末までの販売は約165万台で、14社が出したMSXパソコンの累計30万〜40万台を大きく引き離した。パソコンの機能を削り、遊びの質だけに資源を寄せた設計が勝敗を分けた。
- 日経ビジネス 1984年12月10日号
- [1]ファミリーコンピュータ 1983年7月発売・本体1万4800円・ソフトは別売ROMカートリッジ
- [2]1981年秋 山内溥社長がアタリ機の動画能力・画面に不満を覚えゲーム専用LSIの独自開発を決定
- [3]専用LSIにより画面の色彩・動きの速さで他社製品と差・店頭で遊んでから買う客が多い
- [4]MSXパソコン3万円以上・アタリのゲーム機2万4800円
- [5]アタリは価格競争に敗れ1984年秋に日本から撤退
- [6]1984年10月末までに約165万台販売・MSXパソコン14社累計30万〜40万台
ソフトの出し方にも規律を敷いた。確実に売れると言えるものしか出さない方針で、1本あたり50万〜60万本を売った。発売初期の拡販のため、タイトー、ナムコ、コナミ工業など大手6社にはカセットの自社生産を認め、1本100〜200円の使用料を納めさせる特例を与えた。残る契約先のカセットは任天堂が代わって生産して卸し、2メガビット品の卸値は約2000円、代金は半額の前払いが原則だった。1990年3月期の経常利益率は26%に達し、その利益の約6割をカセットの生産と販売が稼いだ。本体を安く出してもソフトで回収できる構造は、カセットの製造を自社で握ったことで初めて成り立った。
- 日経ビジネス 1984年12月10日号
- [7]ソフトは絶対売れると確言できるものだけを出す少数精鋭・1種類あたり50万〜60万本
- 日経ビジネス 1990年7月2日号
- [8]発売初期の拡販策としてタイトー・ナムコ・コナミ工業など6社にカセット自社生産を認め1本100〜200円のロイヤルティー
- [9]それ以外のソフトハウスのカセットは任天堂が代行生産・2メガビット品の卸価格約2000円・代金50%前払い
- [10]1990年3月期 経常利益率26%・利益の約6割がゲームカセットの生産・販売
販売は会社の想定を超えた。1986年の山内社長は、ここまで売れるとは予想しておらず、崩れるならそれも仕方ないと語っている。小中学生のテレビゲーム保有率は1985年の29.7%から1991年には68.7%へ上がった。国内の本体出荷は1986年の390万台が頂点で、1989年には150万台まで減ったが、1990年までの累計は1500万台を超え、3世帯に1台の割で行き渡った。一方で1989年には過去最多の147作が出たのに、1作80万本が珍しくなかった初期と違い、10万本でヒットと呼ばれるようになった。山内社長自身、面白くないソフトの氾濫がファミコンを駄目にしたとみていた。
- 日経ビジネス 1986年3月17日号
- [11]1986年 山内社長はファミコンがこれほど売れるとは予想せず・崩壊しても仕方ないと発言
- 白鴎法学 1995年「任天堂――ネットワークをデザインした企業――テレビゲーム産業の経営学的分析」(栁川高行)
- [12]小中学生のテレビゲーム保有率 1985年29.7%・1991年68.7%(東海銀行調査)
- 日経ビジネス 1990年7月2日号
- [13]ファミコン国内出荷 1986年390万台がピーク・1989年150万台・累計1500万台超・3世帯に1台
- [14]1989年の新作147作で過去最高・初期は1作80万本が普通・最近は10万本でヒット
- [15]山内社長 面白くないソフトが数多く出回りファミコンをダメにした
参考文献[1]-[15]
- 日経ビジネス 1984年12月10日号
- [1]ファミリーコンピュータ 1983年7月発売・本体1万4800円・ソフトは別売ROMカートリッジ
- [2]1981年秋 山内溥社長がアタリ機の動画能力・画面に不満を覚えゲーム専用LSIの独自開発を決定
- [3]専用LSIにより画面の色彩・動きの速さで他社製品と差・店頭で遊んでから買う客が多い
- [4]MSXパソコン3万円以上・アタリのゲーム機2万4800円
- [5]アタリは価格競争に敗れ1984年秋に日本から撤退
- [6]1984年10月末までに約165万台販売・MSXパソコン14社累計30万〜40万台
- [7]ソフトは絶対売れると確言できるものだけを出す少数精鋭・1種類あたり50万〜60万本
- 日経ビジネス 1990年7月2日号
- [8]発売初期の拡販策としてタイトー・ナムコ・コナミ工業など6社にカセット自社生産を認め1本100〜200円のロイヤルティー
- [9]それ以外のソフトハウスのカセットは任天堂が代行生産・2メガビット品の卸価格約2000円・代金50%前払い
- [10]1990年3月期 経常利益率26%・利益の約6割がゲームカセットの生産・販売
- [13]ファミコン国内出荷 1986年390万台がピーク・1989年150万台・累計1500万台超・3世帯に1台
- [14]1989年の新作147作で過去最高・初期は1作80万本が普通・最近は10万本でヒット
- [15]山内社長 面白くないソフトが数多く出回りファミコンをダメにした
- 日経ビジネス 1986年3月17日号
- [11]1986年 山内社長はファミコンがこれほど売れるとは予想せず・崩壊しても仕方ないと発言
- 白鴎法学 1995年「任天堂――ネットワークをデザインした企業――テレビゲーム産業の経営学的分析」(栁川高行)
- [12]小中学生のテレビゲーム保有率 1985年29.7%・1991年68.7%(東海銀行調査)
1989年〜1万2500円のゲームボーイと16ビットのスーパーファミコン、ソニーと割れたCD-ROM機
ファミコンの伸びが止まるなか、任天堂は1989年4月に携帯型のゲームボーイを1万2500円で売り出した。1990年11月21日には後継機のスーパーファミコンを発売し、処理の中心を8ビットから16ビットへ上げ、3万色以上を表せるようにした。本体を一気に広げるため、ファミコンで最も売れたスーパーマリオブラザーズの4作目を同じ11月にぶつけた。先に16ビット機を出したセガのメガドライブは国内累計100万台にとどまっていた。1991年3月期の単体売上高は4509億円、純利益は706億円に達した。携帯機と据置機を並べて持つ形は、この時期に任天堂の事業の骨組みとして固まった。
- 日経ビジネス 1990年7月2日号
- [16]ゲームボーイ 1989年4月国内発売・1万2500円・携帯用ゲーム機
- [17]スーパーファミコン 1990年11月21日発売・CPU16ビット(ファミコンは8ビット)・3万色以上
- [18]スーパーマリオブラザーズのシリーズ4作目をスーパーファミコン用に11月発売
- [19]メガドライブ 1988年10月発売・16ビット・国内出荷累計100万台(1990年時点)
- 会社年鑑(任天堂・単体業績)
- [20]1991年3月期 売上高4509億円・当期純利益706億円(単体)
スーパーファミコンでは、ソフトの管理を一段と締めた。使用料で済む特例契約は一切認めず、全社に同じ値段でカセットを卸し、生産量も任天堂が決める形に改めた。開発の前に企画書を出させて中身を審査し、開発用の機械は1台約1500万円で任天堂から買わせ、100万円に届かなかったファミコン用の機材とは桁が一つ違った。それでも40社近くが名乗りを上げたのは、他社機の普及がファミコンと桁違いに小さかったからである。1991年の山内社長は、国内のソフト会社は100社を超え、数を作って稼ぐ段階は過ぎて質が軸になったと語った。ただソフト会社や問屋の間では、利益を吸い上げすぎだという不満もくすぶり始めていた。
- 日経ビジネス 1990年7月2日号
- [21]スーパーファミコンではロイヤルティー契約を認めず・同一価格で卸し生産量の決定権を握る
- [22]開発前に企画書を審査・ソフト開発用コンピューター1台約1500万円を購入させる・ファミコン用開発ツールは100万円未満
- [23]条件が厳しくても40社近くが参入・他社機の普及台数はファミコンより桁違いに少ない
- [25]ソフトハウス・問屋から任天堂は利益を吸い上げ過ぎとの批判
- Financial forum 1991年「任天堂社長山内溥氏に聞く――新たなエンターテイメントの時代」
- [24]国内のソフト会社は100社以上・種類を作って稼ぐ段階は過ぎ質が基軸
次の争点はCD-ROMだった。任天堂はスーパーファミコンにつなぐCD-ROM装置をソニーと共同で開発していたが、ソフトの使用許諾の権利を誰が持つかで対立し、フィリップスとの提携に動いた。1992年初めには、権利を任天堂が握る形でソニーと仕切り直すと伝えられた。それでも同年6月の山内社長は、ユーザーが買うソフトを用意できない限りCD-ROM機は出さないと言い切り、高性能と面白さは別物だと述べた。国内だけで100社を超える契約先には、新しい機械に向けて少なくとも1〜2年の準備期間を与えねばならないとも語っている。規格の主導権を手放さなかったこの判断が、やがて最大の競争相手を業界に呼び込んだ。
- 日経ビジネス 1992年1月27日号
- [26]スーパーファミコン用CD-ROM装置をソニーと共同開発・ソフトのライセンス権を巡り対立し任天堂がフィリップスとの提携へ
- [27]1992年初め ソニーとCD-ROM機で仕切り直し・ライセンス権は任天堂
- 日経ビジネス 1992年6月1日号
- [28]1992年6月 山内社長 ユーザーが買うソフトを出せない限りCD-ROM機は発売しない・高性能と面白さは別物
- [29]国内の契約ソフトメーカー100社以上・少なくとも1〜2年の準備期間が必要
参考文献[16]-[29]
- 日経ビジネス 1990年7月2日号
- [16]ゲームボーイ 1989年4月国内発売・1万2500円・携帯用ゲーム機
- [17]スーパーファミコン 1990年11月21日発売・CPU16ビット(ファミコンは8ビット)・3万色以上
- [18]スーパーマリオブラザーズのシリーズ4作目をスーパーファミコン用に11月発売
- [19]メガドライブ 1988年10月発売・16ビット・国内出荷累計100万台(1990年時点)
- [21]スーパーファミコンではロイヤルティー契約を認めず・同一価格で卸し生産量の決定権を握る
- [22]開発前に企画書を審査・ソフト開発用コンピューター1台約1500万円を購入させる・ファミコン用開発ツールは100万円未満
- [23]条件が厳しくても40社近くが参入・他社機の普及台数はファミコンより桁違いに少ない
- [25]ソフトハウス・問屋から任天堂は利益を吸い上げ過ぎとの批判
- 会社年鑑(任天堂・単体業績)
- [20]1991年3月期 売上高4509億円・当期純利益706億円(単体)
- Financial forum 1991年「任天堂社長山内溥氏に聞く――新たなエンターテイメントの時代」
- [24]国内のソフト会社は100社以上・種類を作って稼ぐ段階は過ぎ質が基軸
- 日経ビジネス 1992年1月27日号
- [26]スーパーファミコン用CD-ROM装置をソニーと共同開発・ソフトのライセンス権を巡り対立し任天堂がフィリップスとの提携へ
- [27]1992年初め ソニーとCD-ROM機で仕切り直し・ライセンス権は任天堂
- 日経ビジネス 1992年6月1日号
- [28]1992年6月 山内社長 ユーザーが買うソフトを出せない限りCD-ROM機は発売しない・高性能と面白さは別物
- [29]国内の契約ソフトメーカー100社以上・少なくとも1〜2年の準備期間が必要
1996年〜NINTENDO64の116万台とプレイステーションの1000万台、ポケモンとゲームボーイアドバンス
1996年6月23日、任天堂はカートリッジ式のNINTENDO64をスーパーマリオ64とともに発売した。予約で用意した30万台は売り切れたが、その後の店頭消化は7割に下がり、2万5000円の値段も割高とみられた。9月末までの出荷は116万台にとどまった。対するプレイステーションは1996年11月末に世界累計1000万台を超え、500を超えるソフト会社が毎週のように新作を出していた。ソニー・コンピュータエンタテインメントは自ら一次卸となって小売店にソフトを直販し、流通在庫を抑えた。1997年3月期の任天堂の単体売上高は3454億円、純利益は362億円で、1991年3月期から大きく後退した。
- 日経ビジネス 1997年1月27日号
- [30]NINTENDO64 1996年6月23日発売・スーパーマリオ64同時発売
- [32]1996年9月末までに116万台出荷
- [33]プレイステーション 1996年11月末に全世界累計1000万台超・500を超えるソフトメーカー
- [34]SCEは自ら1次卸となり小売店へソフトを直販し流通在庫を抑制
- 実業往来 1996年
- [31]発売時の30万台は予約で完売・その後の店頭消化率は7割・価格2万5000円に割高感
- 会社年鑑(任天堂・単体業績)
- [35]1997年3月期 売上高3454億円・当期純利益362億円(単体)
任天堂は長期戦を構えた。問屋の実力に応じて商品を割り当てる方式でソフトの流通量を抑え、振動パックや64DDでハードに機能を足した。国内で1600万台が普及したスーパーファミコンも、ローソンの店頭でフラッシュメモリーのカセットにソフトを書き込む仕組みで延命を図った。2001年の山内社長は、ROMカセットの限界をソフト会社も流通も感じていた時期に、ソニーがたまたまCD-ROMの権利を持つ一社だったと振り返り、自社の路線の誤りは認めなかった。映像の迫力を競う高機能化はハードの会社の発想で、娯楽の面白さとは離れるというのが山内社長の持論だった。据置機の性能では追わないという姿勢が、王座を失った後の任天堂の手を決めていった。
- 日経ビジネス 1997年1月27日号
- [36]NINTENDO64は長期戦・問屋への割当制でソフト流通量を管理・振動パックと64DDを投入
- [37]スーパーファミコン国内普及1600万台・ローソン店頭でフラッシュメモリーカセットへ書き込み販売
- 日経ビジネス 2001年4月9日号
- [38]山内社長 ROMカセットに限界との声が高まった時期にソニーはCD-ROMのライセンサーの1社で運が良かった・任天堂の路線は間違っていない
- [39]山内社長 ハードの視点では高性能・映像の迫力を追うが娯楽の楽しさ・面白さとは乖離
立て直しを支えたのは携帯機だった。1996年2月、ゲームボーイ向けソフトのポケットモンスターが日本で発売された。米国任天堂は同年夏にその存在を知って日本とアジアを除く全世界の権利を取り、登場人物の名前からゲームの中身まで米国向けに作り直した。1998年8月のテレビ放送に合わせて大量宣伝を打ち、ゲーム、カード、グッズを順に出して、初期費用は3000万ドル弱に達した。国内では1998年4月、ゲームフリーク、クリーチャーズと共同でポケモンセンター株式会社を設けた。2001年3月期の連結売上高は4625億円、純利益は966億円まで戻った。同じ3月に出したゲームボーイアドバンスの時点で、ゲームボーイの世界累計出荷は1億台を超えていた。据置機では続いてニンテンドーゲームキューブを国内と米国で発売した。
- 日経ビジネス 2000年1月31日号
- [40]ポケットモンスター 1996年2月日本で発売・ゲームボーイ向けソフト
- [41]米国任天堂は1996年夏に知り日本・アジアを除く全世界の権利を獲得・人物名やゲーム内容を米国向けに変更
- [42]1998年8月の放送開始に合わせ大量宣伝・ゲーム・カード・グッズを順に投入・初期費用3000万ドル弱
- 任天堂 有価証券報告書【沿革】
- [43]1998年4月 ゲームフリーク・クリーチャーズと共同でポケモンセンター株式会社を設立
- 会社年鑑(任天堂・連結業績)
- [44]2001年3月期 連結売上高4625億円・当期純利益966億円
- 日経ビジネス 2001年4月9日号
- [45]ゲームボーイアドバンス 2001年3月21日発売・ゲームボーイシリーズは1989年4月以来全世界累計出荷1億台超
- 任天堂 平成14年3月期 決算短信(連結)
- [46]ニンテンドーゲームキューブを国内・米国で発売(2002年3月期中)
参考文献[30]-[46]
- 日経ビジネス 1997年1月27日号
- [30]NINTENDO64 1996年6月23日発売・スーパーマリオ64同時発売
- [32]1996年9月末までに116万台出荷
- [33]プレイステーション 1996年11月末に全世界累計1000万台超・500を超えるソフトメーカー
- [34]SCEは自ら1次卸となり小売店へソフトを直販し流通在庫を抑制
- [36]NINTENDO64は長期戦・問屋への割当制でソフト流通量を管理・振動パックと64DDを投入
- [37]スーパーファミコン国内普及1600万台・ローソン店頭でフラッシュメモリーカセットへ書き込み販売
- 実業往来 1996年
- [31]発売時の30万台は予約で完売・その後の店頭消化率は7割・価格2万5000円に割高感
- 会社年鑑(任天堂・単体業績)
- [35]1997年3月期 売上高3454億円・当期純利益362億円(単体)
- 日経ビジネス 2001年4月9日号
- [38]山内社長 ROMカセットに限界との声が高まった時期にソニーはCD-ROMのライセンサーの1社で運が良かった・任天堂の路線は間違っていない
- [39]山内社長 ハードの視点では高性能・映像の迫力を追うが娯楽の楽しさ・面白さとは乖離
- [45]ゲームボーイアドバンス 2001年3月21日発売・ゲームボーイシリーズは1989年4月以来全世界累計出荷1億台超
- 日経ビジネス 2000年1月31日号
- [40]ポケットモンスター 1996年2月日本で発売・ゲームボーイ向けソフト
- [41]米国任天堂は1996年夏に知り日本・アジアを除く全世界の権利を獲得・人物名やゲーム内容を米国向けに変更
- [42]1998年8月の放送開始に合わせ大量宣伝・ゲーム・カード・グッズを順に投入・初期費用3000万ドル弱
- 任天堂 有価証券報告書【沿革】
- [43]1998年4月 ゲームフリーク・クリーチャーズと共同でポケモンセンター株式会社を設立
- 会社年鑑(任天堂・連結業績)
- [44]2001年3月期 連結売上高4625億円・当期純利益966億円
- 任天堂 平成14年3月期 決算短信(連結)
- [46]ニンテンドーゲームキューブを国内・米国で発売(2002年3月期中)
1983年〜2001年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1983年08月期 | 単体 | 651 | n/a | 236 | 116 | 17.9% | n/a |
| 1984年08月期 | 単体 | 654 | +0.5% | 181 | 94 | 14.4% | n/a |
| 1985年08月期 | 単体 | 772 | +17.9% | n/a | 97 | 12.7% | n/a |
| 1986年08月期 | 単体 | 1,177 | +52.5% | n/a | 160 | 13.6% | n/a |
| 1987年08月期 | 単体 | 1,401 | +19.0% | n/a | 245 | 17.5% | n/a |
| 1988年08月期 | 単体 | 1,786 | +27.5% | n/a | 266 | 14.9% | n/a |
| 1989年08月期 | 単体 | 2,501 | +40.0% | n/a | 296 | 11.8% | n/a |
| 1990年03月期 | 単体 | 2,100 | ▲16.0% | n/a | 275 | 13.1% | n/a |
| 1991年03月期 | 単体 | 4,509 | +114.7% | n/a | 706 | 15.7% | n/a |
| 1992年03月期 | 単体 | 5,075 | +12.6% | n/a | 852 | 16.8% | n/a |
| 1993年03月期 | 単体 | 5,627 | +10.9% | n/a | 871 | 15.5% | n/a |
| 1994年03月期 | 単体 | 4,670 | ▲17.0% | n/a | 654 | 14.0% | n/a |
| 1995年03月期 | 単体 | 3,506 | ▲24.9% | n/a | 564 | 16.1% | n/a |
| 1996年03月期 | 単体 | 3,004 | ▲14.3% | n/a | 512 | 17.0% | n/a |
| 1997年03月期 | 単体 | 3,454 | +15.0% | n/a | 362 | 10.5% | n/a |
| 1998年03月期 | 連結 | 5,346 | +54.8% | n/a | 836 | 15.6% | n/a |
| 1999年03月期 | 連結 | 5,728 | +7.1% | n/a | 858 | 15.0% | n/a |
| 2000年03月期 | 連結 | 5,306 | ▲7.4% | n/a | 560 | 10.6% | n/a |
| 2001年03月期 | 連結 | 4,625 | ▲12.8% | n/a | 966 | 20.9% | n/a |
出所:会社年鑑
出典・参考
15件
- 任天堂 有価証券報告書【沿革】
- 任天堂 平成14年3月期 決算短信(連結)
- 会社年鑑(任天堂・単体業績)
- 会社年鑑(任天堂・連結業績)
- 日経ビジネス 1984年12月10日号
- 日経ビジネス 1986年3月17日号
- 日経ビジネス 1990年7月2日号
- 日経ビジネス 1992年1月27日号
- 日経ビジネス 1992年6月1日号
- 日経ビジネス 1997年1月27日号
- 日経ビジネス 2000年1月31日号
- 日経ビジネス 2001年4月9日号
- Financial forum 1991年「任天堂社長山内溥氏に聞く――新たなエンターテイメントの時代」
- 白鴎法学 1995年「任天堂――ネットワークをデザインした企業――テレビゲーム産業の経営学的分析」(栁川高行)
- 実業往来 1996年