日本精機の歴史
沿革
1946年に設立され、1951年に本社工場を新設した計器メーカーが起源。
1976年に液晶表示素子の製造を開始し、1995年以降は中国・タイ・ブラジル・メキシコなどへ生産拠点を展開した。自動車や二輪車の計器・表示機器を主力とするメーカーで、2025年3月期の売上高は3,164億円。
創業期
1946年〜日本精機の設立と真人工場の新設
- 日本精機を設立[1]
- 本社工場を新設[1]
- 東京連絡所を開設[1]
- 長岡市西新町に本社と本社工場を移転[1]
- 大阪連絡所を開設[1]
- 旭計器製作所を設立[1]
- 浜松出張所を開設[1]
- 日精サービスを設立[1]
- 真人工場を新設[1]
- 真人工場を真人日本精機に改組[1]
- エヌ・エス・インターナショナルを設立[1]
- エヌエスエレクトロニクスを設立[1]
売上高
- 売上高
日本精機売上高—
成長期
1976年〜液晶表示素子への参入と東京証券取引所への上場
- 液晶表示素子の製造を開始[1]
- ホンダベルノ長岡を設立[1]
- ワイエヌエスを設立[1]
- 液晶組立を本社工場から液晶製造部として独立[1]
- 日精ホンダを設立[1]
- エヌエス・コンピュータサービスを設立[1]
- ニューサバイナインダストリーズを設立[1]
- ユーケーエヌ・エス・アイを設立[1]
- 東京証券取引所市場第二部に上場[1]
- R&Dセンターを新設[1]
- エヌエスエレクトロニクスとエフ・エス・シーが合併[1]
- 香港易初日精有限公司を設立[1]
売上高
- 売上高
日本精機売上高—
成長期
1995年〜上海易初日精の合弁と中国・ベトナムへの生産網の拡大
- 合弁で上海易初日精有限公司を設立[1]
- ISO9001認証を取得[1]
- タイ-ニッポンセイキを設立[2]
- ホンダベルノ長岡とホンダクリオ長岡が合併しホンダ四輪販売長岡を設立[1]
- タイ マット エヌエスを設立[1]
- エヌ・エス・インターナショナルの拠点を米国ミシガン州に統合[1]
- 第二液晶工場を新設[1]
- 真人日本精機と旭計器製作所が合併しエヌエスアドバンテックを設立[1]
- 香港日本精機有限公司を設立[1]
- インドネシア エヌエスを設立[1]
- ニッポンセイキ・ド・ブラジルを設立[1]
- アムステルダムにニッポンセイキヨーロッパを設立[1]
- 東莞日精電子有限公司を設立[1]
- 日精工程塑料(南通)有限公司を設立[1]
- NSテクニカルセンターを新設[3]
- エヌエスサンパウロ・コンポーネント・オートモーティブを設立[1]
- ベトナム・ニッポンセイキを設立[1]
- ニッポンセイキ・コンシューマ・プロダクツ(タイ)を設立[1]
- ニッポンセイキ・デ・メヒコを設立[1]
- 尚志精機股份有限公司を子会社化[1]
売上高
- 売上高
日本精機売上高—
| 就任年 | 社長氏名 | 役職名 |
|---|---|---|
| 2008年 | 佐藤守人 | 取締役社長→取締役常務→常務執行役員→専務執行役員→取締役 専務執行役員→ものづくり管掌(製造本部・生産技術本部)→取締役 副社長執行役員→代表取締役社長 社長執行役員 |
安定成長期
2010年〜新潟マツダ自動車の子会社化と東洋電装の買収
- 購買機能強化のため深圳代表処を開設[4]
- 新潟マツダ自動車を子会社化[1]
- 日精儀器武漢有限公司を設立[1]
- エヌエス インスツルメンツ インディアを設立[1]
- 日精儀器科技(上海)有限公司を設立[1]
- 東京テクニカルセンターを開設[1]
- ニッセイ・ディスプレイ・メヒコを設立[1]
- ダナンニッポンセイキを設立[1]
- ニッポンセイキポーランドを設立[1]
- 東京R&Dセンターを開設[1]
- 宇都宮テクニカルセンターを開設[1]
- エヌエス インディア デザイン アンド トレーディングを設立[1]
- スタンダード市場に移行[2]
- 共栄エンジニアリングを子会社化[1]
- 蔵王工場を新設[2]
- 中期経営計画「新中期経営計画2026」を開始[5]
- 東京都北区の拠点を東京本社に統合[1]
- メルエUIを設立[1]
- 東洋電装を子会社化[6]
- 吉原正博氏が代表取締役副社長に就任[6]
- エヌエスアドバンテックとの吸収分割を決定[6]