第1章 年〜年

京セラ:稲盛和夫の京都セラミック設立と積層パッケージの世界シェア7割

1959年〜松風工業を出た27歳の技術者と、資本金300万円で借りた宮木電機の倉庫

稲盛和夫氏は1958年9月に京都の碍子会社である松風工業を退職し、翌1959年に京都セラミックを設立した。1955年に鹿児島大学工学部を出て松風工業に入った稲盛和夫氏は、フォルステライト磁器の商品化を手がけていた。退職のきっかけは仕事のやり方をめぐる上司との対立であり、松風工業で稲盛和夫氏の上役にあたる青山政次氏も同じく会社を去り、大学同期の西枝一江氏と交川有氏に相談した。2人が役員を務める宮木電機の社長、宮木男也氏を加えた3人が中心となって出資し、稲盛和夫氏の出資は資金ではなく技術である。資本金300万円に加え、西枝一江氏の個人保証を得て銀行から1000万円を借り入れた。 資金を持たない27歳の技術者にとって、出資と保証を引き受ける年長者の存在が独立の前提だったのだろう。

  • 日経ビジネス 1975年12月8日号
    • [1]稲盛和夫は1955年鹿児島大学工学部卒・松風工業入社、フォルステライト磁器を商品化、1958年9月退職、1959年京都セラミック設立
    • [2]稲盛和夫は1955年鹿児島大学工学部卒・松風工業入社、フォルステライト磁器を商品化、1958年9月退職、1959年京都セラミック設立
    • [7]資本金300万円、1000万円を個人保証で借入
  • 政経人 29(3) 1982年「個性派経営者列伝(14) 京都セラミツク社長 稲盛和夫」
    • [3]稲盛和夫は仕事の進め方で上司と衝突して1959年に27歳で独立、資本金300万円の大半はスポンサーが出資
  • 日経ビジネス 1999年1月18日号
    • [4]松風の上司青山政次が共に退社し、西枝一江・交川有に相談、宮木電機社長宮木男也を加えた3人が中心に出資、稲盛は技術出資
    • [5]松風の上司青山政次が共に退社し、西枝一江・交川有に相談、宮木電機社長宮木男也を加えた3人が中心に出資、稲盛は技術出資
  • 日経ビジネス 1984年3月19日号
    • [6]西枝一江が創業時に出資し、個人保証で銀行から資金を借りた

京都セラミックは初年度に300万円の利益を計上した。販路を持たない稲盛和夫氏は目を付けた会社を自ら回り、技術の裏付けが無い注文も断らずに引き受けた。国内有数の電子工業会社から新方式のカラーテレビ用ブラウン管の支持絶縁物を請けた際は、競合品の約3分の1の価格で受注し、約束の2カ月後に納めた。初年度の利益からは税金に百数十万円が出ていき、配当を払うと手元には約100万円しか残らなかった。借入の返済に10年かかると知った稲盛和夫氏は、税金を経費とみなし、残る利益の拡大に力点を移した。創業3年目の京都セラミックは従業員100名以下、年間売上高5000万円から1億円の規模にとどまった。

  • 日経ビジネス 1975年12月8日号
    • [8]初年度利益300万円、税金百数十万円と配当で残りは約100万円、返済10年と知り税金を経費と考え直した
    • [11]初年度利益300万円、税金百数十万円と配当で残りは約100万円、返済10年と知り税金を経費と考え直した
    • [12]初年度利益300万円、税金百数十万円と配当で残りは約100万円、返済10年と知り税金を経費と考え直した
  • 日経ビジネス 1973年7月9日号
    • [9]設立の頃から注文は断らない御用聞きで、国内有数の電子工業会社のカラーテレビ用ブラウン管支持絶縁物を競合の約3分の1の価格・2カ月で納入
    • [10]設立の頃から注文は断らない御用聞きで、国内有数の電子工業会社のカラーテレビ用ブラウン管支持絶縁物を競合の約3分の1の価格・2カ月で納入
  • 証券アナリストジャーナル 33(11) 1995年
    • [13]創業3年目は従業員100名以下、年間売上5000万〜1億円

京都セラミックは創業2年目に高卒の新入社員10人を採用し、3カ月ほどで待遇改善を求める血判状を突き付けられた。日米安保条約をめぐり、国内で政治的な対立が激しくなっていた時期にあたる。稲盛和夫氏は3日3晩かけて自身の人生観と経営観を説き、社員を思いとどまらせた。説得の最後に、稲盛和夫氏は『オレが私利私欲のために働くようなことがあったら、いつでもかまわない。オレを追い出してくれ』と告げた。若手社員の反乱は、稲盛和夫氏が社長に就任するまでに直面した苦労の1つに数えられる。1984年の取材では、稲盛和夫氏は経営の規範を世間の常識でなく自身の内に求めてきたと評された。 出資者の資金で立った会社で、技術者の夢より社員の生活を先に置く必要を、稲盛和夫氏はこの談判で自覚したとみられる。

  • 日経ビジネス 1984年3月19日号
    • [14]創業2年目に高卒10名を採用、3カ月後に待遇改善の血判状、稲盛和夫が3日3晩かけて説得
    • [15]創業2年目に高卒10名を採用、3カ月後に待遇改善の血判状、稲盛和夫が3日3晩かけて説得
    • [16]創業2年目に高卒10名を採用、3カ月後に待遇改善の血判状、稲盛和夫が3日3晩かけて説得
    • [17]創業2年目に高卒10名を採用、3カ月後に待遇改善の血判状、稲盛和夫が3日3晩かけて説得
    • [19]創業2年目に高卒10名を採用、3カ月後に待遇改善の血判状、稲盛和夫が3日3晩かけて説得
  • 政経人 29(3) 1982年「個性派経営者列伝(14) 京都セラミツク社長 稲盛和夫」
    • [18]社長就任までの苦労に新入りの若手社員の反乱があった
参考文献[1]-[19]
  • 日経ビジネス 1975年12月8日号
    • [1]稲盛和夫は1955年鹿児島大学工学部卒・松風工業入社、フォルステライト磁器を商品化、1958年9月退職、1959年京都セラミック設立
    • [2]稲盛和夫は1955年鹿児島大学工学部卒・松風工業入社、フォルステライト磁器を商品化、1958年9月退職、1959年京都セラミック設立
    • [7]資本金300万円、1000万円を個人保証で借入
    • [8]初年度利益300万円、税金百数十万円と配当で残りは約100万円、返済10年と知り税金を経費と考え直した
    • [11]初年度利益300万円、税金百数十万円と配当で残りは約100万円、返済10年と知り税金を経費と考え直した
    • [12]初年度利益300万円、税金百数十万円と配当で残りは約100万円、返済10年と知り税金を経費と考え直した
  • 政経人 29(3) 1982年「個性派経営者列伝(14) 京都セラミツク社長 稲盛和夫」
    • [3]稲盛和夫は仕事の進め方で上司と衝突して1959年に27歳で独立、資本金300万円の大半はスポンサーが出資
    • [18]社長就任までの苦労に新入りの若手社員の反乱があった
  • 日経ビジネス 1999年1月18日号
    • [4]松風の上司青山政次が共に退社し、西枝一江・交川有に相談、宮木電機社長宮木男也を加えた3人が中心に出資、稲盛は技術出資
    • [5]松風の上司青山政次が共に退社し、西枝一江・交川有に相談、宮木電機社長宮木男也を加えた3人が中心に出資、稲盛は技術出資
  • 日経ビジネス 1984年3月19日号
    • [6]西枝一江が創業時に出資し、個人保証で銀行から資金を借りた
    • [14]創業2年目に高卒10名を採用、3カ月後に待遇改善の血判状、稲盛和夫が3日3晩かけて説得
    • [15]創業2年目に高卒10名を採用、3カ月後に待遇改善の血判状、稲盛和夫が3日3晩かけて説得
    • [16]創業2年目に高卒10名を採用、3カ月後に待遇改善の血判状、稲盛和夫が3日3晩かけて説得
    • [17]創業2年目に高卒10名を採用、3カ月後に待遇改善の血判状、稲盛和夫が3日3晩かけて説得
    • [19]創業2年目に高卒10名を採用、3カ月後に待遇改善の血判状、稲盛和夫が3日3晩かけて説得
  • 日経ビジネス 1973年7月9日号
    • [9]設立の頃から注文は断らない御用聞きで、国内有数の電子工業会社のカラーテレビ用ブラウン管支持絶縁物を競合の約3分の1の価格・2カ月で納入
    • [10]設立の頃から注文は断らない御用聞きで、国内有数の電子工業会社のカラーテレビ用ブラウン管支持絶縁物を競合の約3分の1の価格・2カ月で納入
  • 証券アナリストジャーナル 33(11) 1995年
    • [13]創業3年目は従業員100名以下、年間売上5000万〜1億円

1962年〜3度目の渡米で取ったTIの宇宙部品と、IBMから受けたIC基板2500万個

稲盛和夫氏は創業3年目から米国での市場開拓に着手した。国内の電子機器メーカーは新興の京都セラミックを信用せず、技術の多くを米国企業から導入していた。技術の本元である米国で採用されれば、国内でも販売しやすくなるという読みだった。1963年と1964年の2度の渡米では宿泊費も食費も切り詰めて東西を回り、注文は1件も取れなかった。テキサス・インスツルメンツ(TI)から声がかかったのは、1965年の3度目の渡米。NASAの宇宙計画向けセラミック部品で、米国と西独のメーカーを抑えて最高の評価を得た。同じ頃、フェアチャイルドのシリコン・トランジスタ用セラミック・ヘッダーを米国の窯業メーカーと競って日本で量産した。

  • 証券アナリストジャーナル 33(11) 1995年
    • [20]国内で信用が得られず、米国の技術の大本で採用されれば日本でも売れると考え創業3年目から米国市場開拓、フェアチャイルド向けシリコン・トランジスタ用セラミック・ヘッダーを日本で量産
    • [21]国内で信用が得られず、米国の技術の大本で採用されれば日本でも売れると考え創業3年目から米国市場開拓、フェアチャイルド向けシリコン・トランジスタ用セラミック・ヘッダーを日本で量産
    • [22]国内で信用が得られず、米国の技術の大本で採用されれば日本でも売れると考え創業3年目から米国市場開拓、フェアチャイルド向けシリコン・トランジスタ用セラミック・ヘッダーを日本で量産
    • [26]国内で信用が得られず、米国の技術の大本で採用されれば日本でも売れると考え創業3年目から米国市場開拓、フェアチャイルド向けシリコン・トランジスタ用セラミック・ヘッダーを日本で量産
  • 日経ビジネス 1973年7月9日号
    • [23]1963・64年の2度の渡米は受注ゼロ、1965年の3度目の渡米でTIのNASA宇宙計画向けセラミック部品を受注し米・西独メーカーと競って最優秀
    • [24]1963・64年の2度の渡米は受注ゼロ、1965年の3度目の渡米でTIのNASA宇宙計画向けセラミック部品を受注し米・西独メーカーと競って最優秀
    • [25]1963・64年の2度の渡米は受注ゼロ、1965年の3度目の渡米でTIのNASA宇宙計画向けセラミック部品を受注し米・西独メーカーと競って最優秀

TIからの受注を突破口に、稲盛和夫氏は米国での販売に手応えを得た。得意先はやがてIBMをはじめとする計算機メーカーと電子機器メーカーに広がり、製品のほぼすべてが顧客ごとの1対1の受注生産だった。1964年3月期の京都セラミックの売上高は1.61億円である。売上高は1966年3月期の2.98億円から、1967年3月期に6.43億円、1968年3月期には10億円に拡大した。量産は京都の外にも広がり、滋賀に地方工場を構えた。滋賀を含む地方工場の賃金は、どこも同じ水準にそろえた。 計算機メーカーの仕様に1件ずつ応える受注生産が、2年で3倍強という売上の伸びを支えたと推察される。

  • 日経ビジネス 1973年7月9日号
    • [27]TI受注を突破口に米国販売に自信、地方工場は鹿児島2・滋賀1でいずれも賃金は同じ
    • [31]TI受注を突破口に米国販売に自信、地方工場は鹿児島2・滋賀1でいずれも賃金は同じ
    • [32]TI受注を突破口に米国販売に自信、地方工場は鹿児島2・滋賀1でいずれも賃金は同じ
  • 日経ビジネス 1974年8月5日号
    • [28]得意先はIBMをはじめ各電子計算機メーカー・電子機器メーカー、製品はほぼ全部1対1の受注生産
  • 会社総鑑 1965年版「京都セラミック」
    • [29]1964年3月期 売上高1.61億円(単体)
  • 証券 24(10) 1972年
    • [30]売上高 1966年3月期2.98億円、1967年3月期6.43億円、1968年3月期10億円(単体)

稲盛和夫氏は1966年5月、京都セラミックの社長に就任した。設立から7年目のことで、それまでの社長は初代が宮木電機社長の宮木男也氏、2代目が松風工業から共に独立した青山政次氏である。資本金300万円の大半はスポンサーが出資しており、稲盛和夫氏は取締役技術部長として経営に加わっていた。社長就任時の従業員は400人前後だった。1966年3月期の売上高は2.98億円、当期純利益は0.19億円。 出資の比重が小さい技術者に経営を委ねたのは、設立以来の開発と受注を稲盛和夫氏が担ってきた実績によるものと思われる。

  • 日経ビジネス 1975年12月8日号
    • [33]稲盛和夫は1966年(昭和41年)5月に社長就任、それまで社長は出資者
  • 日経ビジネス 1999年1月18日号
    • [34]初代社長は宮木男也、2代目は青山政次、稲盛の社長就任は設立7年後
  • 政経人 29(3) 1982年「個性派経営者列伝(14) 京都セラミツク社長 稲盛和夫」
    • [35]資本金300万円の大半はスポンサーが出資し社長に、稲盛は取締役技術部長、1966年5月社長就任時の従業員は400人前後
    • [36]資本金300万円の大半はスポンサーが出資し社長に、稲盛は取締役技術部長、1966年5月社長就任時の従業員は400人前後
  • 証券 24(10) 1972年
    • [37]1966年3月期 売上高2.98億円・当期純利益0.19億円(単体)
参考文献[20]-[37]
  • 証券アナリストジャーナル 33(11) 1995年
    • [20]国内で信用が得られず、米国の技術の大本で採用されれば日本でも売れると考え創業3年目から米国市場開拓、フェアチャイルド向けシリコン・トランジスタ用セラミック・ヘッダーを日本で量産
    • [21]国内で信用が得られず、米国の技術の大本で採用されれば日本でも売れると考え創業3年目から米国市場開拓、フェアチャイルド向けシリコン・トランジスタ用セラミック・ヘッダーを日本で量産
    • [22]国内で信用が得られず、米国の技術の大本で採用されれば日本でも売れると考え創業3年目から米国市場開拓、フェアチャイルド向けシリコン・トランジスタ用セラミック・ヘッダーを日本で量産
    • [26]国内で信用が得られず、米国の技術の大本で採用されれば日本でも売れると考え創業3年目から米国市場開拓、フェアチャイルド向けシリコン・トランジスタ用セラミック・ヘッダーを日本で量産
  • 日経ビジネス 1973年7月9日号
    • [23]1963・64年の2度の渡米は受注ゼロ、1965年の3度目の渡米でTIのNASA宇宙計画向けセラミック部品を受注し米・西独メーカーと競って最優秀
    • [24]1963・64年の2度の渡米は受注ゼロ、1965年の3度目の渡米でTIのNASA宇宙計画向けセラミック部品を受注し米・西独メーカーと競って最優秀
    • [25]1963・64年の2度の渡米は受注ゼロ、1965年の3度目の渡米でTIのNASA宇宙計画向けセラミック部品を受注し米・西独メーカーと競って最優秀
    • [27]TI受注を突破口に米国販売に自信、地方工場は鹿児島2・滋賀1でいずれも賃金は同じ
    • [31]TI受注を突破口に米国販売に自信、地方工場は鹿児島2・滋賀1でいずれも賃金は同じ
    • [32]TI受注を突破口に米国販売に自信、地方工場は鹿児島2・滋賀1でいずれも賃金は同じ
  • 日経ビジネス 1974年8月5日号
    • [28]得意先はIBMをはじめ各電子計算機メーカー・電子機器メーカー、製品はほぼ全部1対1の受注生産
  • 会社総鑑 1965年版「京都セラミック」
    • [29]1964年3月期 売上高1.61億円(単体)
  • 証券 24(10) 1972年
    • [30]売上高 1966年3月期2.98億円、1967年3月期6.43億円、1968年3月期10億円(単体)
    • [37]1966年3月期 売上高2.98億円・当期純利益0.19億円(単体)
  • 日経ビジネス 1975年12月8日号
    • [33]稲盛和夫は1966年(昭和41年)5月に社長就任、それまで社長は出資者
  • 日経ビジネス 1999年1月18日号
    • [34]初代社長は宮木男也、2代目は青山政次、稲盛の社長就任は設立7年後
  • 政経人 29(3) 1982年「個性派経営者列伝(14) 京都セラミツク社長 稲盛和夫」
    • [35]資本金300万円の大半はスポンサーが出資し社長に、稲盛は取締役技術部長、1966年5月社長就任時の従業員は400人前後
    • [36]資本金300万円の大半はスポンサーが出資し社長に、稲盛は取締役技術部長、1966年5月社長就任時の従業員は400人前後

1967年〜フェアチャイルドと詰めたICパッケージと、世界シェア7割を得た鹿児島の量産

ICの量産が始まると、素子をどの外囲器に収めて実装するかが半導体メーカーの課題になった。京都セラミックはフェアチャイルドと協議し、セラミックのベースとキャップの間からリード線を出す構造を決めた。ベースとキャップを京都セラミック、封止用の低融点ガラスを米国のオーエンス・イリノイスが受け持つこの方式は、サーディップと呼ばれた。一方、ICが求める複雑な形状には、粉末を型で固めて焼く従来の窯業の手法では応えられなかった。京都セラミックはセラミックをシート状に成形して打ち抜き、高融点金属の粉末で回路を印刷して重ね、一体で焼く方法を考案した。この積層技術は1971年度の大河内記念生産特賞を受けた。

  • 証券アナリストジャーナル 33(11) 1995年
    • [38]ICのパッケージをフェアチャイルドと相談し、セラミックのベースとキャップをオーエンス・イリノイスの低融点ガラスでリードフレームと封止するサーディップを決定、セラミックは京セラ
    • [39]ICのパッケージをフェアチャイルドと相談し、セラミックのベースとキャップをオーエンス・イリノイスの低融点ガラスでリードフレームと封止するサーディップを決定、セラミックは京セラ
    • [40]ICのパッケージをフェアチャイルドと相談し、セラミックのベースとキャップをオーエンス・イリノイスの低融点ガラスでリードフレームと封止するサーディップを決定、セラミックは京セラ
  • 電子材料 1979年「この人に聞く “ニューセラミック”を武器に新しい可能性の追求を 京都セラミック 稲盛和夫」
    • [41]従来の窯業手法ではIC産業の要求形状に応えられず、シート成形・打ち抜き・積層・耐火金属の印刷による回路形成・一体焼結の方法を考案
    • [42]従来の窯業手法ではIC産業の要求形状に応えられず、シート成形・打ち抜き・積層・耐火金属の印刷による回路形成・一体焼結の方法を考案
  • 日経ビジネス 1974年8月5日号
    • [43]京都セラミックが開発したセラミック積層技術が昭和46年度大河内記念生産特賞を受賞

京都セラミックの売上高は1968年3月期の10億円から、1969年3月期に19億円、1970年3月期には44億円に拡大した。1970年3月期の当期純利益は9.3億円である。増産の拠点は稲盛和夫氏の出身地である鹿児島に置かれ、1973年時点で鹿児島に2つの地方工場があった。鹿児島の工場でも賃金を他の工場と同じ水準にそろえ、周辺の企業からは企業エゴだとうらやまれた。ICパッケージは積層型のマルチレイヤーとサーディップの2系統で構成された。1974年時点で、DIP型ICパッケージの世界市場の60%以上を京都セラミックが占め、得意先にはIBMをはじめとする計算機メーカーが並んだ。

  • 証券 24(10) 1972年
    • [44]売上高 1968年3月期10億円・1969年3月期19億円・1970年3月期44億円、1970年3月期当期純利益9.3億円(単体)
    • [45]売上高 1968年3月期10億円・1969年3月期19億円・1970年3月期44億円、1970年3月期当期純利益9.3億円(単体)
  • 日経ビジネス 1975年12月8日号
    • [46]稲盛和夫は鹿児島市出身
  • 日経ビジネス 1973年7月9日号
    • [47]地方工場は鹿児島2・滋賀1、賃金は同じで鹿児島では周辺企業から企業エゴとうらやまれた
    • [48]地方工場は鹿児島2・滋賀1、賃金は同じで鹿児島では周辺企業から企業エゴとうらやまれた
  • 証券アナリストジャーナル 20(10) 1982年
    • [49]ICパッケージは積層型マルチレイヤーとサーディップ型の2種類、鹿児島に2工場
  • 日経ビジネス 1974年8月5日号
    • [50]DIP型ICパッケージで世界の60%以上のシェア、得意先はIBMをはじめ網羅

京都セラミックは1969年7月、米国に販売会社のKyocera International, Inc.を設立。同年初めまでは丸紅が米国の代理店で、上西阿沙氏ら2人が丸紅ロサンゼルス支店に間借りして営業していた。技術の打ち合わせを欠かせない製品では商社経由の販売に限界があり、受注残と在庫を丸紅に残して独立した。稲盛和夫氏も、商社の社員に御用聞きは務まらないと振り返っている。事務所は半導体メーカーが集まるシリコンバレーに構え、大口得意先のフェアチャイルドがあることを理由に選んだ。 米国と鹿児島で同時に生産を広げる資金の手当てが、株式の公開へ向かう次の課題になったと考えられる。

  • 京セラ 有価証券報告書「沿革」
    • [51]1969年7月 販売会社Kyocera International, Inc.を設立
  • 日経ビジネス 1974年8月5日号
    • [52]69年初めは上西阿沙社長と社員1人が代理店丸紅のロサンゼルス支店に間借り、技術面で商社経由に限界、69年7月受注残・在庫を丸紅に置いて独立、事務所は大口得意先フェアチャイルドがあるシリコンバレー
    • [53]69年初めは上西阿沙社長と社員1人が代理店丸紅のロサンゼルス支店に間借り、技術面で商社経由に限界、69年7月受注残・在庫を丸紅に置いて独立、事務所は大口得意先フェアチャイルドがあるシリコンバレー
    • [55]69年初めは上西阿沙社長と社員1人が代理店丸紅のロサンゼルス支店に間借り、技術面で商社経由に限界、69年7月受注残・在庫を丸紅に置いて独立、事務所は大口得意先フェアチャイルドがあるシリコンバレー
  • 日経ビジネス 1973年7月9日号
    • [54]1969年にカリフォルニアに現地販売会社京セラインターナショナル(資本金4万ドル)を設立、商社マンには御用聞きは無理と稲盛が述懐
参考文献[38]-[55]
  • 証券アナリストジャーナル 33(11) 1995年
    • [38]ICのパッケージをフェアチャイルドと相談し、セラミックのベースとキャップをオーエンス・イリノイスの低融点ガラスでリードフレームと封止するサーディップを決定、セラミックは京セラ
    • [39]ICのパッケージをフェアチャイルドと相談し、セラミックのベースとキャップをオーエンス・イリノイスの低融点ガラスでリードフレームと封止するサーディップを決定、セラミックは京セラ
    • [40]ICのパッケージをフェアチャイルドと相談し、セラミックのベースとキャップをオーエンス・イリノイスの低融点ガラスでリードフレームと封止するサーディップを決定、セラミックは京セラ
  • 電子材料 1979年「この人に聞く “ニューセラミック”を武器に新しい可能性の追求を 京都セラミック 稲盛和夫」
    • [41]従来の窯業手法ではIC産業の要求形状に応えられず、シート成形・打ち抜き・積層・耐火金属の印刷による回路形成・一体焼結の方法を考案
    • [42]従来の窯業手法ではIC産業の要求形状に応えられず、シート成形・打ち抜き・積層・耐火金属の印刷による回路形成・一体焼結の方法を考案
  • 日経ビジネス 1974年8月5日号
    • [43]京都セラミックが開発したセラミック積層技術が昭和46年度大河内記念生産特賞を受賞
    • [50]DIP型ICパッケージで世界の60%以上のシェア、得意先はIBMをはじめ網羅
    • [52]69年初めは上西阿沙社長と社員1人が代理店丸紅のロサンゼルス支店に間借り、技術面で商社経由に限界、69年7月受注残・在庫を丸紅に置いて独立、事務所は大口得意先フェアチャイルドがあるシリコンバレー
    • [53]69年初めは上西阿沙社長と社員1人が代理店丸紅のロサンゼルス支店に間借り、技術面で商社経由に限界、69年7月受注残・在庫を丸紅に置いて独立、事務所は大口得意先フェアチャイルドがあるシリコンバレー
    • [55]69年初めは上西阿沙社長と社員1人が代理店丸紅のロサンゼルス支店に間借り、技術面で商社経由に限界、69年7月受注残・在庫を丸紅に置いて独立、事務所は大口得意先フェアチャイルドがあるシリコンバレー
  • 証券 24(10) 1972年
    • [44]売上高 1968年3月期10億円・1969年3月期19億円・1970年3月期44億円、1970年3月期当期純利益9.3億円(単体)
    • [45]売上高 1968年3月期10億円・1969年3月期19億円・1970年3月期44億円、1970年3月期当期純利益9.3億円(単体)
  • 日経ビジネス 1975年12月8日号
    • [46]稲盛和夫は鹿児島市出身
  • 日経ビジネス 1973年7月9日号
    • [47]地方工場は鹿児島2・滋賀1、賃金は同じで鹿児島では周辺企業から企業エゴとうらやまれた
    • [48]地方工場は鹿児島2・滋賀1、賃金は同じで鹿児島では周辺企業から企業エゴとうらやまれた
    • [54]1969年にカリフォルニアに現地販売会社京セラインターナショナル(資本金4万ドル)を設立、商社マンには御用聞きは無理と稲盛が述懐
  • 証券アナリストジャーナル 20(10) 1982年
    • [49]ICパッケージは積層型マルチレイヤーとサーディップ型の2種類、鹿児島に2工場
  • 京セラ 有価証券報告書「沿革」
    • [51]1969年7月 販売会社Kyocera International, Inc.を設立

1959年〜1970年の業績

決算期 区分 売上高 純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率
1959年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1960年03月期 単体 0 n/a 0 3.8% n/a
1961年03月期 単体 0 +88.5% 0 6.1% n/a
1962年03月期 単体 0 +71.4% 0 4.8% n/a
1963年03月期 単体 1 +41.7% 0 9.2% n/a
1964年03月期 単体 1 +35.3% 0 6.2% n/a
1965年03月期 単体 2 +53.4% 0 6.9% n/a
1966年03月期 単体 2 +20.6% 0 6.4% n/a
1967年03月期 単体 6 +115.8% 1 15.9% n/a
1968年03月期 単体 10 +55.5% 1 11.4% n/a
1969年03月期 単体 19 +90.0% 3 15.8% n/a
1970年03月期 単体 44 +131.6% 9 21.1% n/a

出所:会社総鑑、証券24(10)

出典・参考

12件
出典・参考
  • 京セラ 有価証券報告書「沿革」
  • 日経ビジネス 1973年7月9日号
  • 日経ビジネス 1974年8月5日号
  • 日経ビジネス 1975年12月8日号
  • 証券アナリストジャーナル 20(10) 1982年
  • 日経ビジネス 1984年3月19日号
  • 証券アナリストジャーナル 33(11) 1995年
  • 日経ビジネス 1999年1月18日号
  • 会社総鑑 1965年版「京都セラミック」
  • 証券 24(10) 1972年
  • 電子材料 1979年「この人に聞く “ニューセラミック”を武器に新しい可能性の追求を 京都セラミック 稲盛和夫」
  • 政経人 29(3) 1982年「個性派経営者列伝(14) 京都セラミツク社長 稲盛和夫」

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