長府製作所の歴史

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沿革

1954〜2025年 1954年の設立と農機具の製造開始が起源。1963年に全自動温水ボイラを開発し、2002年にエコキュート、2009年にエネファームの製造に乗り出した。
石油・ガス給湯器や風呂釜を主力とする住宅設備機器メーカーである。

沿革

1954年の設立と農機具の製造開始が起源。

1963年に全自動温水ボイラを開発し、2002年にエコキュート、2009年にエネファームの製造に乗り出した。
石油・ガス給湯器や風呂釜を主力とする住宅設備機器メーカーである。

創業期1954年〜長府製作所の設立と石油バーナー・温水ボイラの開発

  1. 長府製作所を設立
  2. 農機具の製造を開始
  3. 石油バーナーを開発
  4. 栃木工場を新設
  5. 全自動温水ボイラを開発
  6. 小売店直売方式を採用
  7. 石油ストーブ・風呂釜の製造を開始
  8. 港町工場を新設
歴史「第1章」を読む山口県経済連の長府工場を継いだ資本金500万円の農機具メーカーと、1年がかりの石油バーナー
長府製作所売上高—

転換期1968年〜農機具の製造中止とステンレス浴槽による住宅設備への転換

  1. 農機具の製造を中止
  2. 川上米男氏が社長に就任
  3. 才川工場を新設
  4. ステンレス浴槽の製造を開始
  5. 家庭用ルームエアコンの製造を開始
  6. 滋賀工場を新設
  7. 株式額面変更のため形式上の存続会社と合併
  8. 太陽熱温水器の製造を開始
  9. 広島証券取引所に上場
  10. 香川工場を新設
  11. 清原工場を新設
長府製作所売上高—

成長期1984年〜ガス給湯器の製造開始と東証一部への指定替え

  1. ガス給湯器の製造を開始
  2. 人工大理石浴槽の製造を開始
  3. システムバスの製造を開始
  4. 東京証券取引所市場第二部に上場
  5. 技術センターを新設
  6. 東京証券取引所市場第一部に指定替え
長府製作所売上高—

成熟期2002年〜エコキュート・エネファームの製造開始とサンポット買収

  1. CO2ヒートポンプ給湯機(エコキュート)の製造を開始
  2. 家庭用ガスコージェネレーションシステム(エコウィル)の製造を開始
  3. 潜熱回収型石油給湯器(エコフィール)の製造を開始
  4. サンポットを完全子会社化
  5. 家庭用燃料電池(エネファーム)の製造を開始
  6. 大規模太陽光発電(メガソーラー)の発電を開始
  7. ウルトラファインバブル搭載給湯器の製造を開始
長府製作所2025年12月期売上高465億円売上高経常利益率9.9%

第1章 1954年〜 長府製作所の設立と石油バーナー・温水ボイラの開発

1954年〜山口県経済連の長府工場を継いだ資本金500万円の農機具メーカーと、1年がかりの石油バーナー

1954年7月、資本金500万円の株式会社長府製作所が設立され、山口県経済農業協同組合連合会の長府工場を譲り受けて農機具の製造を始めた。1997年の上場時の会社紹介は設立年月日を1950年4月16日とし、実質上の設立を1954年7月1日と注記した。日付が2つある理由は、1979年1月に株式額面の変更のため、旧商号を長府ボイラーとする1950年設立の法人へ吸収合併されたことにある。創業の元手は、川上米男氏の前に社長を務めた人物が持ち込んだ資金だった。この人物は山口県で経済連などの農業団体を組織する立場に常務級で在籍し、資金を携えて社長に迎えられた。農業団体の工場と資金から出発したことが、最初の製品を農機具とした理由だったとみられる。

  • 長府製作所 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1954年7月 資本金500万円で設立、山口県経済農業協同組合連合会の長府工場を譲り受け農機具の製造開始
    • [3]1979年1月 株式額面変更のため1950年4月16日設立の株式会社長府製作所(旧商号 長府ボイラー)に吸収合併
  • 証券 50(1) 1998年(新規上場会社紹介)
    • [2]設立年月日 昭和25年4月16日(実質上 昭和29年7月1日)
  • 日経ビジネス 1981年2月9日号
    • [4]川上米男氏の前の社長(田中氏)は山口県の経済連等を組織する団体の常務級で、資金を持って社長に就任。岡本要氏はそれが長府の基盤と回想
    • [5]川上米男氏の前の社長(田中氏)は山口県の経済連等を組織する団体の常務級で、資金を持って社長に就任。岡本要氏はそれが長府の基盤と回想

1954年の設立から、長府製作所の製品は農機具だった。1960年、長府製作所は世の中に無く開発は不可能とされていた石油バーナーに着手し、1年をかけて完成させた。後に2代目社長となる川上米男氏は1978年、開発の狙いを『何か一つでも他社より優れた商品が出来れば、それをきっかけに小売店との取引が可能になり、小売店とのつき合いも深くなる。そうすれば、他の製品も逐次取り扱ってもらえ、販路開拓は自然に可能になる』と振り返った。当時の会社の体力は乏しく、1961年の年商は1億8960万円、人員は90人弱。銀行には手形を選り分けられ、下関の町では掛けで物を仕入れることもできなかった。販路も信用も持たない会社にとって、1つの優れた商品で小売店との取引を開くことが、少ない元手で打てる策だったと推察される。

  • 長府製作所 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1954年7月 設立し農機具の製造開始
  • 日経ビジネス 1978年10月9日号
    • [7]昭和35年当時 石油バーナーは世に無く開発不可能とされたが、川上米男氏の読みで強行し1年がかりで開発に成功。社内の猛反対を押し切ったトップの決断
    • [8]昭和35年当時 石油バーナーは世に無く開発不可能とされたが、川上米男氏の読みで強行し1年がかりで開発に成功。社内の猛反対を押し切ったトップの決断
  • 日経ビジネス 1981年2月9日号
    • [9]岡本要氏の入社した昭和36年の年商1億8960万円・人員90人弱。銀行で手形を選別され、町で掛け買いもできない信用状態。2代目社長が川上米男氏
    • [10]岡本要氏の入社した昭和36年の年商1億8960万円・人員90人弱。銀行で手形を選別され、町で掛け買いもできない信用状態。2代目社長が川上米男氏
参考文献[1]-[10]
  • 長府製作所 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1954年7月 資本金500万円で設立、山口県経済農業協同組合連合会の長府工場を譲り受け農機具の製造開始
    • [3]1979年1月 株式額面変更のため1950年4月16日設立の株式会社長府製作所(旧商号 長府ボイラー)に吸収合併
    • [6]1954年7月 設立し農機具の製造開始
  • 証券 50(1) 1998年(新規上場会社紹介)
    • [2]設立年月日 昭和25年4月16日(実質上 昭和29年7月1日)
  • 日経ビジネス 1981年2月9日号
    • [4]川上米男氏の前の社長(田中氏)は山口県の経済連等を組織する団体の常務級で、資金を持って社長に就任。岡本要氏はそれが長府の基盤と回想
    • [5]川上米男氏の前の社長(田中氏)は山口県の経済連等を組織する団体の常務級で、資金を持って社長に就任。岡本要氏はそれが長府の基盤と回想
    • [9]岡本要氏の入社した昭和36年の年商1億8960万円・人員90人弱。銀行で手形を選別され、町で掛け買いもできない信用状態。2代目社長が川上米男氏
    • [10]岡本要氏の入社した昭和36年の年商1億8960万円・人員90人弱。銀行で手形を選別され、町で掛け買いもできない信用状態。2代目社長が川上米男氏
  • 日経ビジネス 1978年10月9日号
    • [7]昭和35年当時 石油バーナーは世に無く開発不可能とされたが、川上米男氏の読みで強行し1年がかりで開発に成功。社内の猛反対を押し切ったトップの決断
    • [8]昭和35年当時 石油バーナーは世に無く開発不可能とされたが、川上米男氏の読みで強行し1年がかりで開発に成功。社内の猛反対を押し切ったトップの決断

1963年〜栃木工場と全自動温水ボイラで東へ出た熱機器メーカーと、問屋を通さず小売店と結んだ直売方式

1963年5月、長府製作所は栃木県塩谷郡高根沢町に栃木工場を建設した。同じ年の11月には全自動温水ボイラを開発し、セントラルヒーティング部門へ進出。石油バーナーで得た燃焼の技術は、湯を沸かす機器へ用途を移した。ボイラーはその後の主力製品となり、1978年時点の長府製作所はボイラーを中心とした熱機器メーカーだった。栃木工場は1985年9月に清原工場へ統合され、宇都宮工場と改称された。下関から遠い栃木を選んだのは、石油による暖房と給湯の需要が大きい東日本の寒冷地に近い拠点を求めたためと思われる。

  • 長府製作所 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1963年5月 栃木県塩谷郡高根沢町に栃木工場建設/1963年11月 全自動温水ボイラを開発しセントラルヒーティング部門に進出/1985年9月 栃木工場を清原工場へ統合し宇都宮工場に改称
    • [12]1963年5月 栃木県塩谷郡高根沢町に栃木工場建設/1963年11月 全自動温水ボイラを開発しセントラルヒーティング部門に進出/1985年9月 栃木工場を清原工場へ統合し宇都宮工場に改称
    • [15]1963年5月 栃木県塩谷郡高根沢町に栃木工場建設/1963年11月 全自動温水ボイラを開発しセントラルヒーティング部門に進出/1985年9月 栃木工場を清原工場へ統合し宇都宮工場に改称
  • 日経ビジネス 1978年10月9日号
    • [13]石油バーナーの開発を機に農機具メーカーから熱機器メーカーへ変わる。1978年時点の主力製品はボイラー
    • [14]石油バーナーの開発を機に農機具メーカーから熱機器メーカーへ変わる。1978年時点の主力製品はボイラー

1965年、長府製作所は問屋を通さず小売店と直に取引する小売店直結方式を採用した。狙いの1つは中間の利幅を省き、大手メーカーと品質と価格で対抗する余地を作ることだった。主な動機は、ボイラーには据え付け後の保守が欠かせず、卸経由では販売量を確保できても最終的な顧客を失うという判断である。ボイラーを扱う業者は規模の小さな事業者が大半で、1社に大量の販売権を与えれば自社の経営基盤を損なうとも見た。方式の採用は、社内の強い反対があるなかでトップが決めた。この販売網は1997年時点で全国約30,000店の特約店と直に結び、低価格と高収益の源泉と位置づけられた。

  • 日経ビジネス 1978年10月9日号
    • [16]昭和40年から小売店直結方式。中間マージン省略、アフタケア不可欠で卸経由は顧客を失うとの読み、流通業者の経営基盤の弱さ。トップが社内の猛反対を押し切って決断
    • [17]昭和40年から小売店直結方式。中間マージン省略、アフタケア不可欠で卸経由は顧客を失うとの読み、流通業者の経営基盤の弱さ。トップが社内の猛反対を押し切って決断
    • [18]昭和40年から小売店直結方式。中間マージン省略、アフタケア不可欠で卸経由は顧客を失うとの読み、流通業者の経営基盤の弱さ。トップが社内の猛反対を押し切って決断
    • [19]昭和40年から小売店直結方式。中間マージン省略、アフタケア不可欠で卸経由は顧客を失うとの読み、流通業者の経営基盤の弱さ。トップが社内の猛反対を押し切って決断
    • [20]昭和40年から小売店直結方式。中間マージン省略、アフタケア不可欠で卸経由は顧客を失うとの読み、流通業者の経営基盤の弱さ。トップが社内の猛反対を押し切って決断
  • 証券 50(1) 1998年(新規上場会社紹介)
    • [21]独自の小売店直売方式で全国約30,000店の特約店と直結し、中間流通経路を省いて低価格と高収益体質を実現(1997年上場時)

1967年2月、長府製作所は下関市長府港町に港町工場を建設した。1971年11月には本社事務所を港町工場内へ移し、港町を生産と管理の中心に据えた。品目の広げ方は、1つの優れた商品で小売店との取引を始め、ほかの製品も順に扱ってもらうという川上米男氏の考えに沿っていた。1977年時点の営業品目は温水ボイラー、ふろがま、温風暖房機、ルームクーラー、ステンレス浴そうに及んだ。取引する特約店は1968年の3000店から、1978年には9000店超まで増加。港町工場は、小売店の店頭に並べる家庭用の熱機器を量産する拠点として建てられたと考えられる。

  • 長府製作所 有価証券報告書【沿革】
    • [22]1967年2月 港町工場(下関市長府港町)建設/1971年11月 本社事務所を港町工場内に新築移転
    • [23]1967年2月 港町工場(下関市長府港町)建設/1971年11月 本社事務所を港町工場内に新築移転
  • 日経ビジネス 1978年10月9日号
    • [24]川上米男氏の小売店起点で他製品も逐次扱ってもらう読み。1977年時点の営業内容に温水ボイラー・ふろがま・温風暖房機・ルームクーラー・ステンレス浴そう。特約店は昭和43年3000店→1978年9000店超
    • [25]川上米男氏の小売店起点で他製品も逐次扱ってもらう読み。1977年時点の営業内容に温水ボイラー・ふろがま・温風暖房機・ルームクーラー・ステンレス浴そう。特約店は昭和43年3000店→1978年9000店超
    • [26]川上米男氏の小売店起点で他製品も逐次扱ってもらう読み。1977年時点の営業内容に温水ボイラー・ふろがま・温風暖房機・ルームクーラー・ステンレス浴そう。特約店は昭和43年3000店→1978年9000店超
参考文献[11]-[26]
  • 長府製作所 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1963年5月 栃木県塩谷郡高根沢町に栃木工場建設/1963年11月 全自動温水ボイラを開発しセントラルヒーティング部門に進出/1985年9月 栃木工場を清原工場へ統合し宇都宮工場に改称
    • [12]1963年5月 栃木県塩谷郡高根沢町に栃木工場建設/1963年11月 全自動温水ボイラを開発しセントラルヒーティング部門に進出/1985年9月 栃木工場を清原工場へ統合し宇都宮工場に改称
    • [15]1963年5月 栃木県塩谷郡高根沢町に栃木工場建設/1963年11月 全自動温水ボイラを開発しセントラルヒーティング部門に進出/1985年9月 栃木工場を清原工場へ統合し宇都宮工場に改称
    • [22]1967年2月 港町工場(下関市長府港町)建設/1971年11月 本社事務所を港町工場内に新築移転
    • [23]1967年2月 港町工場(下関市長府港町)建設/1971年11月 本社事務所を港町工場内に新築移転
  • 日経ビジネス 1978年10月9日号
    • [13]石油バーナーの開発を機に農機具メーカーから熱機器メーカーへ変わる。1978年時点の主力製品はボイラー
    • [14]石油バーナーの開発を機に農機具メーカーから熱機器メーカーへ変わる。1978年時点の主力製品はボイラー
    • [16]昭和40年から小売店直結方式。中間マージン省略、アフタケア不可欠で卸経由は顧客を失うとの読み、流通業者の経営基盤の弱さ。トップが社内の猛反対を押し切って決断
    • [17]昭和40年から小売店直結方式。中間マージン省略、アフタケア不可欠で卸経由は顧客を失うとの読み、流通業者の経営基盤の弱さ。トップが社内の猛反対を押し切って決断
    • [18]昭和40年から小売店直結方式。中間マージン省略、アフタケア不可欠で卸経由は顧客を失うとの読み、流通業者の経営基盤の弱さ。トップが社内の猛反対を押し切って決断
    • [19]昭和40年から小売店直結方式。中間マージン省略、アフタケア不可欠で卸経由は顧客を失うとの読み、流通業者の経営基盤の弱さ。トップが社内の猛反対を押し切って決断
    • [20]昭和40年から小売店直結方式。中間マージン省略、アフタケア不可欠で卸経由は顧客を失うとの読み、流通業者の経営基盤の弱さ。トップが社内の猛反対を押し切って決断
    • [24]川上米男氏の小売店起点で他製品も逐次扱ってもらう読み。1977年時点の営業内容に温水ボイラー・ふろがま・温風暖房機・ルームクーラー・ステンレス浴そう。特約店は昭和43年3000店→1978年9000店超
    • [25]川上米男氏の小売店起点で他製品も逐次扱ってもらう読み。1977年時点の営業内容に温水ボイラー・ふろがま・温風暖房機・ルームクーラー・ステンレス浴そう。特約店は昭和43年3000店→1978年9000店超
    • [26]川上米男氏の小売店起点で他製品も逐次扱ってもらう読み。1977年時点の営業内容に温水ボイラー・ふろがま・温風暖房機・ルームクーラー・ステンレス浴そう。特約店は昭和43年3000店→1978年9000店超
  • 証券 50(1) 1998年(新規上場会社紹介)
    • [21]独自の小売店直売方式で全国約30,000店の特約店と直結し、中間流通経路を省いて低価格と高収益体質を実現(1997年上場時)

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出典・参考 4件
出典・参考
  • 長府製作所 有価証券報告書【沿革】
  • 日経ビジネス 1978年10月9日号
  • 日経ビジネス 1981年2月9日号
  • 証券 50(1) 1998年(新規上場会社紹介)

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