決断
銑鉄と鋳鉄の会社が、普通鋼の鋼塊に主力を移して立ち直った。1958年ごろから大手が高炉を完成させて自家用の銑鉄を造り、安価な輸入銑も出回ったため、銑鉄を売る事業の足場が揺らいだ。新製品の開発に力を注いだが、製品にできたのは普通鋼鋼塊と直接鋳造品の2つにとどまり、開発費の負担で1958年11月期には無配へ転じた。そこで1959年4月に普通鋼鋼塊の製造を開始して量産に移し、吉原貞敏氏の社長就任をはじめとする経営陣の若返りと設備の合理化を重ねて、1965年11月期に復配した。
銑鉄と鋳鉄の会社が、普通鋼の鋼塊に主力を移して立ち直った。1958年ごろから大手が高炉を完成させて自家用の銑鉄を造り、安価な輸入銑も出回ったため、銑鉄を売る事業の足場が揺らいだ。新製品の開発に力を注いだが、製品にできたのは普通鋼鋼塊と直接鋳造品の2つにとどまり、開発費の負担で1958年11月期には無配へ転じた。そこで1959年4月に普通鋼鋼塊の製造を開始して量産に移し、吉原貞敏氏の社長就任をはじめとする経営陣の若返りと設備の合理化を重ねて、1965年11月期に復配した。
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