津村重舎(初代)
ツムラ・元社長
社長就任1936年4月
生年月日—
学歴—
出自—
経歴1893〜1941年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1893年主要役職の状況(推定含む目安)1941年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | 津村順天堂(個人営業) | 1893 | 創業 | ||
| ツムラ(旧・株式会社津村順天堂) | 1936 | 設立 社長 | |||
| 1941 | 社長 退任 |
社長就任までの出自
出自
1871年、奈良県宇陀郡伊那佐村の山田安次郎の二男として生まれた。兄は胃活を売り出した山田安民氏、弟は創業から店を支えた津村岩吉氏である。母なかの生家である藤村家は医を家業とし、婦人薬の中将湯を家伝の薬として希望者に分けていた。のちに津村磯次郎氏と養子縁組を結び、このとき初めて津村姓を名乗った。1893年、学業のかたわら日本橋に津村順天堂を創業した、ツムラの創業者である。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1936年4月25日、個人営業の津村順天堂を株式会社に組織変更する創立総会が日本橋の本社で開かれ、取締役社長に就任した。原始定款は資本金を300万円、株式を6万株とし、本店を東京市、支店を大阪市に置くと定めた。取締役には長男の津村基太郎氏と弟の津村岩吉氏ら一族が就任し、監査役には兄の山田安民氏が入った。新会社は、創業から43年にわたり個人で営んできた本店と大阪支店の業務をそのまま引き継いだ。
在任中の主な施策
施策
株式会社としての在任は、1941年4月28日に70歳で死去するまでの5年間であった。在任中は中将湯とバスクリンの製造販売を続けたが、1937年から1938年ごろには原料の不足や製剤材料の値上がり、煎じ出し用の布袋の調達難に見舞われた。1939年には、製品の納入が遅れる旨の書状を取引先に出すまでに至っている。死去の翌月、長男の津村基太郎氏が2代目津村重舎を襲名し、専務取締役から社長に就任した。
創業ストーリー
創業ストーリー
参考文献5件
参考文献
- 津村順天堂七十年史(1964)第一部「第二章 津村家と中将姫伝説」
- 津村順天堂七十年史(1964)第一部「第三章 創業の由来」
- 津村順天堂七十年史(1964)第三部「第一章 組織変更(会社創立)」
- 津村順天堂七十年史(1964)第三部「第二章 初代社長死去」
- Tsumura & Co. Integrated Report 2019(英文)
事実根拠:出所(ツムラ)