第1章 年〜年

アスクル:プラス全額出資のプラス工業設立と休眠会社化

1963年〜北葛飾の岩野木工場で事務用器具を製造したプラス工業と、入間の埼玉シルバー精工への営業譲渡

プラスは1963年11月、事務用品と事務用器具の製造を目的に、全額出資でプラス工業株式会社を設立した。本社は東京都千代田区に置き、生産の拠点として埼玉県北葛飾郡に岩野木工場を設けた。設立時の目的は製造と定められ、販売ではなく生産を担う子会社として生まれた。親会社のプラスは文具メーカーで、30年後の1993年3月にはアスクルの事業を社内ベンチャーとして発足させる。プラス工業の法人は、1997年2月にアスクル株式会社へ商号を変える会社の出発点に当たる。プラスは器具の生産を本体の販売から切り分け、工場の運営を子会社に任せる体制を採ったとみられる。

  • アスクル 有価証券報告書 第43期(2006年5月期)沿革
    • [1]1963年11月、事務用品・事務用器具の製造を目的にプラス100%出資でプラス工業を設立。本社千代田区、北葛飾郡に岩野木工場。1997年2月にアスクルへ商号変更
    • [2]1963年11月、事務用品・事務用器具の製造を目的にプラス100%出資でプラス工業を設立。本社千代田区、北葛飾郡に岩野木工場。1997年2月にアスクルへ商号変更
    • [3]1963年11月、事務用品・事務用器具の製造を目的にプラス100%出資でプラス工業を設立。本社千代田区、北葛飾郡に岩野木工場。1997年2月にアスクルへ商号変更
    • [5]1963年11月、事務用品・事務用器具の製造を目的にプラス100%出資でプラス工業を設立。本社千代田区、北葛飾郡に岩野木工場。1997年2月にアスクルへ商号変更
  • 証券アナリストジャーナル 38(12) 2000年12月号(岩田彰一郎)
    • [4]アスクルは1993年3月に文具メーカーのプラスの社内ベンチャーとして発足

プラス工業は1986年10月、営業を他社に譲渡して休眠会社になった。譲渡先は埼玉県入間市の埼玉シルバー精工株式会社。埼玉シルバー精工は先にプラス工業株式会社へ商号を改め、そのうえで営業を引き継いだ。製造の事業と社名は入間の会社に移り、1963年設立の法人は営業を持たないまま残った。この法人は1993年3月にリンクス株式会社へ商号を変え、不動産の売買・賃貸・管理を目的として再び動き出す。同じ1986年のプラスは、創業者の父から社長の今泉嘉久氏へ経営が代替わりした直後だった。代替わりを機にプラスは製造子会社の所在を入間に集め、古い法人を休ませておいたと推察される。

  • アスクル 有価証券報告書 第43期(2006年5月期)沿革
    • [6]1986年10月、入間市の埼玉シルバー精工をプラス工業に商号変更後、同社に営業譲渡し休眠会社となる。1993年3月にリンクスへ商号変更し営業目的を不動産に変更
    • [7]1986年10月、入間市の埼玉シルバー精工をプラス工業に商号変更後、同社に営業譲渡し休眠会社となる。1993年3月にリンクスへ商号変更し営業目的を不動産に変更
    • [8]1986年10月、入間市の埼玉シルバー精工をプラス工業に商号変更後、同社に営業譲渡し休眠会社となる。1993年3月にリンクスへ商号変更し営業目的を不動産に変更
    • [9]1986年10月、入間市の埼玉シルバー精工をプラス工業に商号変更後、同社に営業譲渡し休眠会社となる。1993年3月にリンクスへ商号変更し営業目的を不動産に変更
    • [10]1986年10月、入間市の埼玉シルバー精工をプラス工業に商号変更後、同社に営業譲渡し休眠会社となる。1993年3月にリンクスへ商号変更し営業目的を不動産に変更
  • 日経ビジネス 1075 2001年1月22日号
    • [11]1986年当時のプラスは創業者の父から今泉嘉久社長へ代替わりしたばかり
参考文献[1]-[11]
  • アスクル 有価証券報告書 第43期(2006年5月期)沿革
    • [1]1963年11月、事務用品・事務用器具の製造を目的にプラス100%出資でプラス工業を設立。本社千代田区、北葛飾郡に岩野木工場。1997年2月にアスクルへ商号変更
    • [2]1963年11月、事務用品・事務用器具の製造を目的にプラス100%出資でプラス工業を設立。本社千代田区、北葛飾郡に岩野木工場。1997年2月にアスクルへ商号変更
    • [3]1963年11月、事務用品・事務用器具の製造を目的にプラス100%出資でプラス工業を設立。本社千代田区、北葛飾郡に岩野木工場。1997年2月にアスクルへ商号変更
    • [5]1963年11月、事務用品・事務用器具の製造を目的にプラス100%出資でプラス工業を設立。本社千代田区、北葛飾郡に岩野木工場。1997年2月にアスクルへ商号変更
    • [6]1986年10月、入間市の埼玉シルバー精工をプラス工業に商号変更後、同社に営業譲渡し休眠会社となる。1993年3月にリンクスへ商号変更し営業目的を不動産に変更
    • [7]1986年10月、入間市の埼玉シルバー精工をプラス工業に商号変更後、同社に営業譲渡し休眠会社となる。1993年3月にリンクスへ商号変更し営業目的を不動産に変更
    • [8]1986年10月、入間市の埼玉シルバー精工をプラス工業に商号変更後、同社に営業譲渡し休眠会社となる。1993年3月にリンクスへ商号変更し営業目的を不動産に変更
    • [9]1986年10月、入間市の埼玉シルバー精工をプラス工業に商号変更後、同社に営業譲渡し休眠会社となる。1993年3月にリンクスへ商号変更し営業目的を不動産に変更
    • [10]1986年10月、入間市の埼玉シルバー精工をプラス工業に商号変更後、同社に営業譲渡し休眠会社となる。1993年3月にリンクスへ商号変更し営業目的を不動産に変更
  • 証券アナリストジャーナル 38(12) 2000年12月号(岩田彰一郎)
    • [4]アスクルは1993年3月に文具メーカーのプラスの社内ベンチャーとして発足
  • 日経ビジネス 1075 2001年1月22日号
    • [11]1986年当時のプラスは創業者の父から今泉嘉久社長へ代替わりしたばかり

1986年〜ライオンから招かれた岩田彰一郎氏と、3人の部下で始めたアスクル事業推進室

岩田彰一郎氏は1986年3月、ライオンからプラスに移った。岩田彰一郎氏は1950年に大阪府で生まれ、1973年に慶応義塾大学商学部を卒業してライオン油脂に入社し、営業を経て商品開発を担った。誘ったのは大学時代の友人で、社長の今泉嘉久氏の実弟にあたる今泉公二氏だった。今泉公二氏は代替わりしたばかりのプラスを『自由の国にしたい。異文化がぶつかり合って新しい価値を生む会社にしたい』と語り、3年かけて説得した。入社後の岩田彰一郎氏は文具事業本部の副本部長などを務め、主に文具の商品開発を受け持った。プラスが1993年3月にアスクルを社内ベンチャーとして発足させたとき、事業を率いたのは岩田彰一郎氏だった。

  • 日経ビジネス 1075 2001年1月22日号
    • [12]岩田彰一郎:1950年大阪府生まれ、73年慶応義塾大学商学部卒業後ライオン油脂入社、営業を経て商品開発。86年3月プラス入社、文具事業本部副本部長などで文具の商品開発を担当
    • [13]岩田彰一郎:1950年大阪府生まれ、73年慶応義塾大学商学部卒業後ライオン油脂入社、営業を経て商品開発。86年3月プラス入社、文具事業本部副本部長などで文具の商品開発を担当
    • [14]大学時代の友人でプラス社長今泉嘉久の実弟・今泉公二が「自由の国にしたい」と3年越しで口説き、86年に岩田がプラスへ転じた
    • [15]大学時代の友人でプラス社長今泉嘉久の実弟・今泉公二が「自由の国にしたい」と3年越しで口説き、86年に岩田がプラスへ転じた
    • [16]岩田彰一郎:1950年大阪府生まれ、73年慶応義塾大学商学部卒業後ライオン油脂入社、営業を経て商品開発。86年3月プラス入社、文具事業本部副本部長などで文具の商品開発を担当
  • 証券アナリストジャーナル 38(12) 2000年12月号(岩田彰一郎)
    • [17]1993年3月にプラスの社内ベンチャーとして発足(筆者は社長の岩田彰一郎)

岩田彰一郎氏は1992年5月、プラスのアスクル事業推進室長に就任し、3人の部下とオフィス用品の通販事業を開始。背景には、プラスで開発した新基礎文具が、全国で3万店近い文具店のうち300店足らずにしか並ばなかった経験があった。文具の流通はコクヨが系列の卸を通じて販売店を組織しており、実績のない新製品は店頭に置かれにくかった。プラスは1990年に委員会「ブルースカイ」を設けて10年後の文具流通を2年議論し、その中でアスクルの原型となる事業案が固まった。事業の狙いは中小事業所向けのカタログ通信販売で、1992年6月に実験販売を始め、1カ月後に顧客企業へ送ったアンケートの回答がすぐに戻った。販売店を経ずに顧客へ直接届けて声を集める仕組みに、岩田彰一郎氏は店頭の壁を越える道筋を見たのだろう。

  • 日経ビジネス 1075 2001年1月22日号
    • [18]1992年5月、岩田がプラスのアスクル事業推進室長に就任し、3人の部下とオフィス用品通販を始めた
    • [19]新基礎文具は文具店3万店近くのうち300店足らずにしか置かれず。コクヨの系列卸による流通網。1990年に委員会「ブルースカイ」で10年後の文具流通を検討し、2年の議論でアスクルの原型の事業案が固まった
    • [20]新基礎文具は文具店3万店近くのうち300店足らずにしか置かれず。コクヨの系列卸による流通網。1990年に委員会「ブルースカイ」で10年後の文具流通を検討し、2年の議論でアスクルの原型の事業案が固まった
    • [21]新基礎文具は文具店3万店近くのうち300店足らずにしか置かれず。コクヨの系列卸による流通網。1990年に委員会「ブルースカイ」で10年後の文具流通を検討し、2年の議論でアスクルの原型の事業案が固まった
    • [22]1992年6月に実験的な販売を開始し、1カ月後に品揃え・価格・カタログを問うアンケートを顧客企業に送ると即座に回答が戻った
  • アスクル 有価証券報告書 第43期(2006年5月期)沿革
    • [23]アスクル事業部はオフィス用品の中小事業所向けカタログ通信販売を目的とする新規流通事業部門としてプラス社内で発足
参考文献[12]-[23]
  • 日経ビジネス 1075 2001年1月22日号
    • [12]岩田彰一郎:1950年大阪府生まれ、73年慶応義塾大学商学部卒業後ライオン油脂入社、営業を経て商品開発。86年3月プラス入社、文具事業本部副本部長などで文具の商品開発を担当
    • [13]岩田彰一郎:1950年大阪府生まれ、73年慶応義塾大学商学部卒業後ライオン油脂入社、営業を経て商品開発。86年3月プラス入社、文具事業本部副本部長などで文具の商品開発を担当
    • [14]大学時代の友人でプラス社長今泉嘉久の実弟・今泉公二が「自由の国にしたい」と3年越しで口説き、86年に岩田がプラスへ転じた
    • [15]大学時代の友人でプラス社長今泉嘉久の実弟・今泉公二が「自由の国にしたい」と3年越しで口説き、86年に岩田がプラスへ転じた
    • [16]岩田彰一郎:1950年大阪府生まれ、73年慶応義塾大学商学部卒業後ライオン油脂入社、営業を経て商品開発。86年3月プラス入社、文具事業本部副本部長などで文具の商品開発を担当
    • [18]1992年5月、岩田がプラスのアスクル事業推進室長に就任し、3人の部下とオフィス用品通販を始めた
    • [19]新基礎文具は文具店3万店近くのうち300店足らずにしか置かれず。コクヨの系列卸による流通網。1990年に委員会「ブルースカイ」で10年後の文具流通を検討し、2年の議論でアスクルの原型の事業案が固まった
    • [20]新基礎文具は文具店3万店近くのうち300店足らずにしか置かれず。コクヨの系列卸による流通網。1990年に委員会「ブルースカイ」で10年後の文具流通を検討し、2年の議論でアスクルの原型の事業案が固まった
    • [21]新基礎文具は文具店3万店近くのうち300店足らずにしか置かれず。コクヨの系列卸による流通網。1990年に委員会「ブルースカイ」で10年後の文具流通を検討し、2年の議論でアスクルの原型の事業案が固まった
    • [22]1992年6月に実験的な販売を開始し、1カ月後に品揃え・価格・カタログを問うアンケートを顧客企業に送ると即座に回答が戻った
  • 証券アナリストジャーナル 38(12) 2000年12月号(岩田彰一郎)
    • [17]1993年3月にプラスの社内ベンチャーとして発足(筆者は社長の岩田彰一郎)
  • アスクル 有価証券報告書 第43期(2006年5月期)沿革
    • [23]アスクル事業部はオフィス用品の中小事業所向けカタログ通信販売を目的とする新規流通事業部門としてプラス社内で発足

出典・参考

3件
出典・参考
  • アスクル 有価証券報告書 第43期(2006年5月期)沿革
  • 証券アナリストジャーナル 38(12) 2000年12月号(岩田彰一郎)
  • 日経ビジネス 1075 2001年1月22日号

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