決断
大東急が分かれて親会社の支援を見込めなくなると、施工を下請任せから直営に切り替えて原価を締めた。1947年8月に五島慶太氏が公職追放の指定を受け、1948年6月には大東急が4社に分割された。1948年12月から実務を担った専務の鈴木寅吉氏は、工事を下請に任せきりにする経営をやめ、直営で施工して原価を厳しく管理した。同じ年には東京鉄道局が指名する12社に入り、東急からは東横線渋谷駅の改良工事を受けて1950年8月に第1期を完成させている。1954年に五島慶太氏が利益と資産を持つ会社として合併を求めたことは、この立て直しが実を結んでいたことを示す。