藤田観光の決断社史:経営の意思決定を振り返る

更新:

決断

兄弟の個人出資で賄っていた組合を、商法の施行に合わせて会社組織へ改めた。1884年9月に官営小坂鉱山の払下げを受けると、藤田組の主力は商いから鉱業へ移り、鉱山の経営は巨額の資金を要するようになった。三井は1892年に三井鉱山合資を、三菱は1893年に三菱合資を設けており、藤田組も1893年7月の商法の一部施行を機に、同年12月に合名会社へ改組した。資本金は60万円で、藤田傳三郎氏が30万円、藤田鹿太郎氏と久原庄三郎氏が15万円ずつを出資し、目的には鉱物の採掘・製錬・売買を掲げた。1905年には藤田傳三郎氏が持分の一部を3人の息子に分け、1912年の死去後も藤田組は長男の藤田平太郎氏が率いた。

免責事項およびポリシー