犬丸徹三
帝国ホテル・元取締役社長
社長就任1945年12月
生年月日—
学歴東京高等商業学校
出自—
経歴1910〜1972年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1910年主要役職の状況(推定含む目安)1972年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間企業 | |||||
| 民間企業 | 南満洲鉄道(長春ヤマトホテル) | 1910 | 入社 | ||
| 帝国ホテル | 1919 | 入社 | |||
| 1923 | 支配人 | ||||
| 1931 | 取締役 | ||||
| 1934 | 常務取締役 | ||||
| 1942 | 代表取締役常務 | ||||
| 1943 | 代表取締役専務 | ||||
| 1945 | 取締役社長 | ||||
| 1970 | 社長 退任(取締役相談役へ) | ||||
| 1970 | 取締役相談役 | ||||
| 1972 | 退任 | ||||
社長就任までの出自
出自
1887年6月8日、石川県能美郡根上村の農家に生まれた。1910年7月に東京高等商業学校を卒業し、満鉄が経営する長春ヤマトホテルにボーイとして採用された。1913年に退社して上海のホテルでコックとなり、1914年に渡英してロンドンのホテルで窓ガラスふき、フロア・ポーター、コックを順に務めた。その後クラリッジス・ホテルの料理場で2年余り技術を学んだ。1917年11月に渡米し、ニューヨークのリッツ・カールトンとウォルドルフ・アストリアで働いた。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1919年1月、新館の料理場を設計できる人材を探していた常務兼支配人の林愛作氏に招かれて帰国し、社長の大倉喜八郎氏から副支配人の辞令を受けた。1923年4月に支配人となり、1931年9月に取締役、1934年9月に常務、1943年3月に専務へ進んだ。1945年12月8日に大倉鉱業関係の25社が制限会社に指定され、翌日に会長の大倉喜七郎氏が辞任した。大倉喜七郎氏は1922年から25年にわたり、会長または社長として経営の最高責任者を務めていた。取締役会は会長に高杉晋氏、社長に犬丸徹三氏を選んだ。
中興ストーリー
中興ストーリー
在任中の主な施策
犬丸徹三氏:在任中の施策
連合軍による接収は7年に及んだ。1954年12月に200室の第一新館を開業し、本館と合わせた室数を450とした。パン・アメリカン航空からの共同建設の提案は断り、1958年7月に450室の第二新館を単独で完成させた。投じた資金は第一新館が7億円、第二新館が32億円である。1961年10月には東京証券取引所市場第二部に上場した。1970年3月にはライト館に代わる777室の新本館を開業し、同年11月に社長を退任して取締役相談役となった。
参考文献2件
参考文献
- 私の履歴書 経済人4「犬丸徹三」(日本経済新聞社、1980年)
- 帝国ホテル『帝国ホテル百年史 1890-1990』(1990年)
事実根拠:出所(帝国ホテル)