決断
喫茶店を広げきったところで、業種そのものを切り替えた会社である。松原正行氏は喫茶店に冷淡だった銀行の支店長を説得して融資を受け、1956年に2号店を出した。その後は出店地ごとに別の会社を設立し、1963年には洋菓子の製造まで抱える金山の店を設けるなど、話題性と大型店化を軸に年1店の速さで出店を重ねた。一方で同業との競争、人手の確保難、一等地の地価高騰が重なり、1966年にしゃぶしゃぶ店の木曽路へ業態を移した。最盛期に14店あった喫茶店は、すべて木曽路に転じるか閉じた。
喫茶店を広げきったところで、業種そのものを切り替えた会社である。松原正行氏は喫茶店に冷淡だった銀行の支店長を説得して融資を受け、1956年に2号店を出した。その後は出店地ごとに別の会社を設立し、1963年には洋菓子の製造まで抱える金山の店を設けるなど、話題性と大型店化を軸に年1店の速さで出店を重ねた。一方で同業との競争、人手の確保難、一等地の地価高騰が重なり、1966年にしゃぶしゃぶ店の木曽路へ業態を移した。最盛期に14店あった喫茶店は、すべて木曽路に転じるか閉じた。
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