決断
製油所を持たない後発として、空港の給油設備を先に押さえて足場を構築した会社である。大型機の給油はスタンダードとシェルが担っていたため、市村清氏は空港の地下に配管を通すハイドラント方式を構想し、1953年4月に50klの地下タンク10基の工事に着手している。その結果、1954年2月にはスタンダード石油から日本航空国内線機の給油業務を委譲され、初めて自社の手で大型機に給油した。続いて1955年12月にハイドラント式施設での給油を始め、1956年1月には国際線へ広げている。通過量が伸びたため1956年4月に500klタンク4基を着工して12月に完成させ、1959年にはジェット機に備えて1,000klタンク4基の工事に入った。