蝶理の歴史
創業期
1861年〜京都西陣での生糸問屋の創業
- 京都西陣で生糸問屋として創業[1]
売上高
- 売上高
蝶理売上高—
成長期
1908年〜人絹糸取扱いの開始と人絹糸生産量30%を扱う大手糸商
- 人絹糸の取扱いを開始[1]
- 人絹糸生産量の30%を取り扱う大手糸商に[1]
売上高
- 売上高
蝶理売上高—
成長期
1948年〜蝶理の設立と東洋レーヨンのウーリーナイロン一手販売
- 蝶理を設立[2]
- 本社を大阪市東区(現中央区)に移転[1]
- 合成繊維の取扱いを開始[2]
- 東洋レーヨンのウーリーナイロンの一手販売を開始[2]
- 合成樹脂・化学品の取扱いを開始[2]
- ニューヨークに蝶理ニューヨーク(現 蝶理アメリカ)を設立[1]
- ポリエステル・アクリル繊維の取扱いを開始[2]
- 大阪証券取引所に上場[2]
- 中国の友好商社第一号に指定[2]
- 東京証券取引所に上場[2]
- デュッセルドルフに蝶理ドイツ(現 蝶理ヨーロッパ)を設立[1]
- モスクワに駐在員事務所を設置[1]
- 蝶理シンガポールを設立[1]
- バンコクにタイ蝶理を設立[1]
売上高
- 売上高
蝶理売上高—
1975年〜主力銀行の支援による減量経営と合成樹脂事業の分社
- 主力仕入先と主力銀行の支援で経営の効率化・減量化を実施[1]
- チリのサンティアゴに駐在員事務所を設置[1]
- 北京に駐在員事務所を設置[1]
- 東西両本社制に移行[2]
- クアラルンプールに蝶理マレーシアを設立[1]
- 時価発行増資で資本金91億4840万円に[1]
- 青島に駐在員事務所を設置[1]
- 中国で初の拠点として蝶理(上海)有限公司を設立[1]
- ホーチミンに駐在員事務所を設置[1]
- ジャカルタに蝶理インドネシアを設立[1]
- 中期経営計画「EPOC21」を策定[1]
- 中期経営計画「CC-21」を策定[1]
- ドバイに蝶理中東を設立[1]
- 執行役員制を導入[1]
- 合成樹脂事業部門を分社・営業譲渡[2]
- 中期経営計画「新生経営計画」を開始[1]
売上高
- 売上高
蝶理売上高—
転換期
2004年〜東レの連結子会社化とミヤコ化学・アサダユウなどの買収
- 蝶理(天津)有限公司と蝶理(大連)貿易有限公司を設立[1]
- 中期経営計画「躍進2006」を策定[1]
- 東レの連結子会社に[2]
- 蝶理(中国)商業有限公司を設立[2]
- ソウルに蝶理コリアを設立[1]
- シンガポールの化学品商社MEGACHEMに出資[1]
- ピイ・ティ・アイ・ジャパンを完全子会社化[2]
- インドネシアの染色合弁会社PT URASE PRIMAに出資[3]
- 化学品分析センター「蝶理(蘇州)材料科技有限公司」を設立[4]
- 東京本社を品川に移転[1]
- 東京白ゆり會を子会社化[4]
- 青島紅蝶新材料有限公司に出資[4]
- ムンバイ事務所を法人化して蝶理インドを設立[4]
- ミヤコ化学を完全子会社化[3]
- ホーチミンに蝶理ベトナムを設立[1]
- 蝶理マシナリーを設立[1]
- メキシコシティに蝶理メキシコを設立[1]
- アサダユウを完全子会社化[2]
- 小桜商会を完全子会社化[2]
- 大連に蝶理(大連)商貿を設立[1]
- スミテックス・インターナショナルを完全子会社化[2]
- プライム市場に移行[2]
- 基幹システム(SAP)を新たに稼働[1]
- 連結子会社の澄蝶の清算と債権放棄を決議[5]