ヤマハ発動機:ヤマハとの合併説の否定とトヨタ自動車との業務提携
1992年〜合併説を退けた江口秀人社長と、電動アシスト自転車PASで推進した多軸化
1992年12月、江口秀人社長は親会社ヤマハとの合併観測を否定し、独立経営を続ける考えを示した。江口秀人社長は1983年の就任1年目に350億円の赤字を出して過剰な生産体制を縮小し、二輪車事業を立て直した経緯を持つ。1992年2月には川上浩社長の辞任を受け、親会社ヤマハの会長も兼任していた。江口秀人社長は、2社の業務の仕分けができていないまま合併すれば混乱を招くと判断した。親会社ヤマハは木工家具から半導体まで関連の薄い事業を抱えており、まず社内の一体感を築くことを先に置いた。江口秀人社長は『将来の合併は否定しないが、その前にやるべきことが残っていると考えています』と語り、合併そのものには将来の含みを残した。
- 日経ビジネス 1992年12月14日号
- [1]1992年12月、江口秀人社長がヤマハとの合併を現時点では考えていないと答えた
- [3]1992年2月に親会社ヤマハの川上浩社長が辞任し、江口秀人氏がヤマハ会長を兼任した
- [4]2社の間で仕事の仕分けができておらず、このまま合併すれば混乱すると江口氏が答えた
- [5]ヤマハは木工家具から半導体まで事業間の関連性が薄く、まずヤマハ社内の一体感を生むのが先と江口氏が述べた
- [6]将来の合併は否定しないが、その前にやるべきことが残っていると江口氏が述べた
- 日経ビジネス 1994年9月5日号
- [2]江口秀人氏は1983年に社長就任、1年目の決算で350億円の赤字を計上し、二輪車の生産体制を年産350万台から150万台へ縮小する目標を立てて再建した
1994年4月、長谷川武彦専務が社長に就任し、江口秀人氏は会長に移った。長谷川武彦社長は1983年、本田技研工業との販売競争の責任を取り、船外機を生産する子会社の三信工業へ社長として出向した経歴を持つ。江口秀人氏の再建では、社員が原籍のまま自ら提案したテーマに取り組む「1人2役」のタスクフォースが推進力になった。長谷川武彦社長は江口秀人氏の路線を否定せず、仕事のやり方を基本から見直すリ・エンジニアリングとして引き継いだ。当時は売上の60%が輸出で、1ドル100円の円高に耐える体制づくりが目前の課題だった。人員を絞った再建の後に、兼務の少人数で事業を起こす仕組みを残したことが、次の多軸化の土台になったとみられる。
- 日経ビジネス 1994年5月16日号
- [7]長谷川武彦氏が1994年4月に社長に就任し、江口秀人氏が会長となった
- 財界人 1994年「捲土重来型社長に聞く――混乱期に強い“自然体経営の極意” 長谷川武彦ヤマハ発動機社長」
- [8]長谷川武彦氏はホンダとのシェア争いの責任を取って常務を退任し、1983年に三信工業の代表取締役社長となった
- [10]長谷川武彦社長は江口路線の否定ではないとし、仕事のやり方を基本から見直すリ・エンジニアリングを進めると述べた
- [11]売上の60%が輸出で、1ドル100円時代への対応が当面の課題と長谷川社長が述べた
- 日経ビジネス 1994年9月5日号
- [9]江口氏の再建期に、原籍のまま提案テーマに取り組む「タスクフォース」(1人2役運動)を設け、再建のエネルギーとなった
国内二輪車市場が成熟するなか、ヤマハ発動機は1993年11月に電動アシスト自転車「PAS」の販売を始め、1994年4月に全国へ広げた。事業化は1992年7月、専務事業開発本部長だった長谷川武彦氏が全社横断のタスクフォースを結成して急いだ。チームは日常業務と兼務する専門家で構成され、PASは1台14万9000円ながら初年度に3万5000台を販売した。1995年には産業用ロボットと中型スクーターも伸び、1996年3月期の経常利益は期初予想の30億円から40億円前後への回復が見込まれた。長谷川武彦社長は『空洞化を避けるためには、国内でより創造的なものを開発しなければならない』と語り、1995年5月から部課制の廃止に着手した。
- ヤマハ発動機 有価証券報告書 第91期(2025年12月期)【沿革】
- [12]1993年11月に電動アシスト自転車の販売を開始
- 日経ビジネス 1995年10月2日号
- [13]PASは1993年11月に3県で試験販売し、1994年4月に全国発売した
- [14]1992年7月、専務事業開発本部長の長谷川武彦氏がPASのタスクフォース結成を決断した
- [15]タスクフォースのメンバーは全員が日常業務との兼務。PASは1台14万9000円で、初年度に当初目標の3倍以上の3万5000台を販売した
- [17]長谷川社長は空洞化を避けるには国内でより創造的なものを開発すべきとし、1995年5月から部課制を廃止しようとしている
- 日経ビジネス 1995年10月16日号
- [16]産業用ロボットや中型スクーター「マジェスティ」が好調で、1996年3月期の経常利益予想を期初の30億円から40億円前後へ回復する可能性が出た
参考文献[1]-[17]
- 日経ビジネス 1992年12月14日号
- [1]1992年12月、江口秀人社長がヤマハとの合併を現時点では考えていないと答えた
- [3]1992年2月に親会社ヤマハの川上浩社長が辞任し、江口秀人氏がヤマハ会長を兼任した
- [4]2社の間で仕事の仕分けができておらず、このまま合併すれば混乱すると江口氏が答えた
- [5]ヤマハは木工家具から半導体まで事業間の関連性が薄く、まずヤマハ社内の一体感を生むのが先と江口氏が述べた
- [6]将来の合併は否定しないが、その前にやるべきことが残っていると江口氏が述べた
- 日経ビジネス 1994年9月5日号
- [2]江口秀人氏は1983年に社長就任、1年目の決算で350億円の赤字を計上し、二輪車の生産体制を年産350万台から150万台へ縮小する目標を立てて再建した
- [9]江口氏の再建期に、原籍のまま提案テーマに取り組む「タスクフォース」(1人2役運動)を設け、再建のエネルギーとなった
- 日経ビジネス 1994年5月16日号
- [7]長谷川武彦氏が1994年4月に社長に就任し、江口秀人氏が会長となった
- 財界人 1994年「捲土重来型社長に聞く――混乱期に強い“自然体経営の極意” 長谷川武彦ヤマハ発動機社長」
- [8]長谷川武彦氏はホンダとのシェア争いの責任を取って常務を退任し、1983年に三信工業の代表取締役社長となった
- [10]長谷川武彦社長は江口路線の否定ではないとし、仕事のやり方を基本から見直すリ・エンジニアリングを進めると述べた
- [11]売上の60%が輸出で、1ドル100円時代への対応が当面の課題と長谷川社長が述べた
- ヤマハ発動機 有価証券報告書 第91期(2025年12月期)【沿革】
- [12]1993年11月に電動アシスト自転車の販売を開始
- 日経ビジネス 1995年10月2日号
- [13]PASは1993年11月に3県で試験販売し、1994年4月に全国発売した
- [14]1992年7月、専務事業開発本部長の長谷川武彦氏がPASのタスクフォース結成を決断した
- [15]タスクフォースのメンバーは全員が日常業務との兼務。PASは1台14万9000円で、初年度に当初目標の3倍以上の3万5000台を販売した
- [17]長谷川社長は空洞化を避けるには国内でより創造的なものを開発すべきとし、1995年5月から部課制を廃止しようとしている
- 日経ビジネス 1995年10月16日号
- [16]産業用ロボットや中型スクーター「マジェスティ」が好調で、1996年3月期の経常利益予想を期初の30億円から40億円前後へ回復する可能性が出た
1996年〜国内4販社の統合と、赤字のマリン事業を縮めた総合エンジンメーカー路線
1998年4月、ヤマハ発動機は国内の販売会社を1社に統合し、ヤマハ発動機販売を発足させた。当時の二輪車は欧州の免許制度改革と米国の大型車需要で販売台数を増やした一方、日本とアジアでは台数が伸び悩んでいた。1998年度には40歳以上の間接部門の社員を対象に早期退職を募り、507人が退職した。2002年3月期までの前中期計画は国内二輪車事業を改革すべき不採算事業に挙げ、同事業は2000年3月期に黒字化した。1999年3月期の単独決算は5期連続の増収となり、営業利益は過去最高の230億円に達した。縮む国内市場に販売網の規模を合わせたことが、国内二輪車の黒字化を支えたと推察される。
- ヤマハ発動機 有価証券報告書 第91期(2025年12月期)【沿革】
- [18]1998年4月に国内販売会社を1社へ統合した
- ヤマハ発動機『アニュアルレポート2009』「ヤマハ発動機グループの歩み」
- [19]1998年にヤマハ発動機販売株式会社を設立
- 日経ビジネス 1999年9月6日号
- [20]欧州は免許制度改革、米国は好景気で1000cc超の大型バイクが伸びた一方、アジアと日本国内では販売台数が伸び悩んだ
- [21]1998年度に40歳以上の間接部門社員を対象に早期退職優遇制度で募集し、507人が退職した
- [23]1999年3月期の単独決算は5期連続増収の売上高5812億円、営業利益は過去最高の230億円
- ヤマハ発動機 新中期経営計画説明会資料(2002年4月9日)
- [22]前回中期計画は連結売上高1兆円などを2002年3月期の目標とし、不採算事業の改革を課題に掲げた。国内二輪車事業は2000年3月期より黒字化した
長谷川武彦社長は1998年度、赤字続きのマリン事業の構造改革に着手した。マリン事業は1999年3月期に連結売上高1522億円を占めながら、営業利益は1億5000万円にとどまり、黒字も5期ぶりだった。ボートの販売隻数は1990年の7320隻から1998年に4000隻以下へ減ったが、ピーク時の生産体制が残っていた。5つのボート工場を3工場に集約して志度工場を1999年3月に閉鎖し、八代工場は船外機工場へ転換した。改革を率いた梶川隆取締役マリン事業本部長は、『当社の舟艇事業の規模と、市場規模のギャップをなくしただけ』と説明した。ただし国内舟艇事業の赤字脱却は、2002年の時点でも達成できていなかった。
- 日経ビジネス 1999年9月6日号
- [24]ヤマハ発動機が赤字続きのマリン事業のリストラを断行し、1998年度に早期退職を募った
- [25]マリン事業の1999年3月期連結売上高は1522億円、連結営業利益は1億5000万円で、営業黒字は5期ぶり
- [26]ボートの販売隻数は1990年の7320隻から1998年に4000隻以下へ減少したが、ピーク時の生産体制を維持してきた
- [27]ボート・漁船の5工場を3工場に集約し、志度工場を1999年3月に閉鎖、八代工場を船外機工場に転換する
- [28]梶川隆取締役マリン事業本部長がリストラを舟艇事業の規模と市場規模のギャップをなくしただけと述べた
- ヤマハ発動機 新中期経営計画説明会資料(2002年4月9日)
- [29]国内舟艇事業とPAS事業の赤字脱却は達成できなかった
2000年3月、ヤマハ発動機はトヨタ自動車との業務提携を強化した。両社の関係は1966年のスポーツカー「トヨタ2000GT」の共同開発にさかのぼる。1994年時点でヤマハ発動機はトヨタとフォードに自動車用の高性能エンジンを供給していた。長谷川武彦社長は、大量生産の自動車メーカーが手を回せないニッチな領域を小回りの利く自社が担うと位置づけていた。マリン改革の後、ヤマハ発動機は二輪車から船外機、自動車エンジンまでを手がける総合エンジンメーカーを進路に掲げた。2001年には長谷川武彦会長が、F1やスーパーカーの開発で培った技術がトヨタ向けのエンジンと足回り部品に生きていると述べた。
- ヤマハ発動機 有価証券報告書 第91期(2025年12月期)【沿革】
- [30]2000年3月にトヨタ自動車株式会社との業務提携を強化
- ヤマハ発動機『アニュアルレポート2009』「ヤマハ発動機グループの歩み」
- [31]2000年にトヨタ自動車と業務提携を強化
- 日経ビジネス 1994年5月16日号
- [32]長谷川武彦氏は1966年にトヨタ自動車と共同でスポーツカー「トヨタ2000GT」を開発した
- 財界人 1994年「捲土重来型社長に聞く――混乱期に強い“自然体経営の極意” 長谷川武彦ヤマハ発動機社長」
- [33]トヨタとフォードに自動車用高性能エンジンを供給しており、大量生産の4輪メーカーが手の回らないニッチな部分を小回りの利く自社が担うと長谷川武彦社長が述べた
- [34]トヨタとフォードに自動車用高性能エンジンを供給しており、大量生産の4輪メーカーが手の回らないニッチな部分を小回りの利く自社が担うと長谷川武彦社長が述べた
- 日経ビジネス 1999年9月6日号
- [35]マリン事業のリストラ後、二輪車から船外機、自動車エンジンまでを手がける総合エンジンメーカーへの脱皮を目指す
- 日経ビジネス 2001年6月25日号
- [36]F1やスーパーカー作りで培った技術が、トヨタ自動車へ供給しているエンジンや足回り部品に生かされていると長谷川武彦会長が述べた
参考文献[18]-[36]
- ヤマハ発動機 有価証券報告書 第91期(2025年12月期)【沿革】
- [18]1998年4月に国内販売会社を1社へ統合した
- [30]2000年3月にトヨタ自動車株式会社との業務提携を強化
- ヤマハ発動機『アニュアルレポート2009』「ヤマハ発動機グループの歩み」
- [19]1998年にヤマハ発動機販売株式会社を設立
- [31]2000年にトヨタ自動車と業務提携を強化
- 日経ビジネス 1999年9月6日号
- [20]欧州は免許制度改革、米国は好景気で1000cc超の大型バイクが伸びた一方、アジアと日本国内では販売台数が伸び悩んだ
- [21]1998年度に40歳以上の間接部門社員を対象に早期退職優遇制度で募集し、507人が退職した
- [23]1999年3月期の単独決算は5期連続増収の売上高5812億円、営業利益は過去最高の230億円
- [24]ヤマハ発動機が赤字続きのマリン事業のリストラを断行し、1998年度に早期退職を募った
- [25]マリン事業の1999年3月期連結売上高は1522億円、連結営業利益は1億5000万円で、営業黒字は5期ぶり
- [26]ボートの販売隻数は1990年の7320隻から1998年に4000隻以下へ減少したが、ピーク時の生産体制を維持してきた
- [27]ボート・漁船の5工場を3工場に集約し、志度工場を1999年3月に閉鎖、八代工場を船外機工場に転換する
- [28]梶川隆取締役マリン事業本部長がリストラを舟艇事業の規模と市場規模のギャップをなくしただけと述べた
- [35]マリン事業のリストラ後、二輪車から船外機、自動車エンジンまでを手がける総合エンジンメーカーへの脱皮を目指す
- ヤマハ発動機 新中期経営計画説明会資料(2002年4月9日)
- [22]前回中期計画は連結売上高1兆円などを2002年3月期の目標とし、不採算事業の改革を課題に掲げた。国内二輪車事業は2000年3月期より黒字化した
- [29]国内舟艇事業とPAS事業の赤字脱却は達成できなかった
- 日経ビジネス 1994年5月16日号
- [32]長谷川武彦氏は1966年にトヨタ自動車と共同でスポーツカー「トヨタ2000GT」を開発した
- 財界人 1994年「捲土重来型社長に聞く――混乱期に強い“自然体経営の極意” 長谷川武彦ヤマハ発動機社長」
- [33]トヨタとフォードに自動車用高性能エンジンを供給しており、大量生産の4輪メーカーが手の回らないニッチな部分を小回りの利く自社が担うと長谷川武彦社長が述べた
- [34]トヨタとフォードに自動車用高性能エンジンを供給しており、大量生産の4輪メーカーが手の回らないニッチな部分を小回りの利く自社が担うと長谷川武彦社長が述べた
- 日経ビジネス 2001年6月25日号
- [36]F1やスーパーカー作りで培った技術が、トヨタ自動車へ供給しているエンジンや足回り部品に生かされていると長谷川武彦会長が述べた
2001年〜売上高1兆円を掲げた長谷川至社長と、12月決算に移ったアジア二輪の増産
2001年4月、長谷川至専務が社長に就任し、長谷川武彦氏は会長に移った。2001年3月期の連結売上高は8840億5400万円、営業利益率は3.6%で、海外比率は75%に達していた。前中期計画が掲げた連結売上高1兆円と経常利益率5%は、2002年3月期の時点で達成できなかった。2002年4月の新中期計画「NEXT50」は、2005年3月期に売上高1兆500億円、当期利益310億円を目標に置いた。計画は『売上成長の7割は二輪車事業から生まれ、地域別ではアジアの成長に期待している』とし、中国・インド・アセアン諸国を成長地域に挙げた。長谷川至社長は開発・営業・生産の一体化を計画達成の条件とし、2001年4月に二輪車の開発体制から部門の壁を取り払った。
- 日経ビジネス 2001年7月9日号
- [37]長谷川至氏が2001年4月1日にヤマハ発動機社長に就任し、長谷川武彦氏の後を受けた
- [39]2001年3月期連結売上高は8840億5400万円、営業利益率3.6%。連結売上高に占める海外比率は75%
- [43]長谷川至社長は各部門が一体となる組織の構築を計画達成の条件と考え、2001年4月25日に2輪車の開発体制を部門の壁を取り払った形に改めた
- ヤマハ発動機 有価証券報告書 第71期(2005年12月期)【役員の状況】
- [38]長谷川至氏は2001年4月に代表取締役社長、2005年1月に取締役会長に就任
- ヤマハ発動機 新中期経営計画説明会資料(2002年4月9日)
- [40]前回中期計画は2002年3月期に連結売上高1兆円・経常利益率5%を目標とし、売上高・経常利益とも未達成だった
- [41]新3カ年計画「NEXT50」は2005年3月期に売上高1兆500億円、当期利益310億円を目標とした
- [42]売上成長の7割を二輪車事業に、地域別ではアジアの成長に期待し、中国・インド・タイ・ベトナムなどを低シェアの成長地域とした
ヤマハ発動機の連結売上高は2003年3月期に1兆131億円となり、初めて1兆円を上回った。2003年11月、長谷川至社長は決算期を3月から12月へ移すと発表し、2004年6月に変更した。売上高の8割以上を海外が占め、関係会社150社のうち80社が12月決算だったため、本社の期をグループに揃えた。二輪車や船外機は3〜9月に出荷が集中し、2003年3月期の連結営業利益677億円のうち410億円を上期で計上していた。長谷川至社長は『当社では春に投入して秋頃に需要が終息する製品が多く、3 月期決算では業績を管理しにくい』と説明した。売上の大半が海外に移るにつれ、管理の暦も海外の需要の季節に合わせる必要が生じたのだろう。
- ヤマハ発動機 有価証券報告書 第68期(2003年3月期)
- [44]2003年3月期の連結売上高は1兆131億円
- ヤマハ発動機『アニュアルレポート2009』「ヤマハ発動機グループの歩み」
- [45]2003年に初の売上高1兆円を達成
- 日経ビジネス 2003年12月22日号
- [46]2003年11月初旬の中間決算発表で、決算期を3月期から12月期へ変更すると発表した
- [48]売上高の8割以上を海外で稼ぎ、関係会社150社のうち80社が12月期決算。本社を揃えてグループ全体を管理する
- [49]主力製品の出荷は3〜9月に集中し、2003年3月期の連結営業利益677億円のうち約6割の410億円を上期で稼いだ
- [50]長谷川至社長が、春に投入して秋頃に需要が終息する製品が多く3月期決算では業績を管理しにくいと説明した
- ヤマハ発動機 有価証券報告書 第91期(2025年12月期)【沿革】
- [47]2004年6月に決算期を3月31日から12月31日に変更
2005年1月、1990年代に欧州子会社の社長とマリン事業本部長を務めた梶川隆専務が社長に就任した。梶川隆社長は2005年に中期計画「NEXT50-Phase II」を策定し、2007年にフィリピンとインドで二輪車の新会社を設立した。2008年6月には静岡県袋井市で船外機の生産工場を稼働させた。2007年12月期の連結売上高は1兆7567億円、営業利益は1270億円に達した。同期の所在地別売上高は北米4680億円と欧州3665億円で、合計はアジアの4656億円を大きく上回った。アジアの実用二輪車を広げながらも、北米・欧州の大型二輪車と船外機の比重が高いまま、2008年の金融危機を迎えたと思われる。
- ヤマハ発動機 有価証券報告書 第71期(2005年12月期)【役員の状況】
- [51]梶川隆氏は1993年7月にYamaha Motor Europe N.V.取締役社長、1997年5月にマリン事業本部長、2005年1月に代表取締役社長に就任
- ヤマハ発動機『アニュアルレポート2009』「ヤマハ発動機グループの歩み」
- [52]2005年に3カ年の中期経営計画「NEXT50-Phase II」を策定、2007年にヤマハモーター・フィリピンが二輪車の製造・販売を開始
- ヤマハ発動機 有価証券報告書 第91期(2025年12月期)【沿革】
- [53]2007年5月にYamaha Motor Philippines, Inc.を設立、2007年10月にIndia Yamaha Motor Pvt. Ltd.を設立、2008年6月に袋井市で船外機生産工場として袋井工場が稼働
- [54]2007年5月にYamaha Motor Philippines, Inc.を設立、2007年10月にIndia Yamaha Motor Pvt. Ltd.を設立、2008年6月に袋井市で船外機生産工場として袋井工場が稼働
- ヤマハ発動機 有価証券報告書 第73期(2007年12月期)
- [55]2007年12月期の連結売上高は1兆7567億円、営業利益は1270億円。所在地別売上高は北米4680億円、欧州3665億円、アジア4656億円
- [56]2007年12月期の連結売上高は1兆7567億円、営業利益は1270億円。所在地別売上高は北米4680億円、欧州3665億円、アジア4656億円
参考文献[37]-[56]
- 日経ビジネス 2001年7月9日号
- [37]長谷川至氏が2001年4月1日にヤマハ発動機社長に就任し、長谷川武彦氏の後を受けた
- [39]2001年3月期連結売上高は8840億5400万円、営業利益率3.6%。連結売上高に占める海外比率は75%
- [43]長谷川至社長は各部門が一体となる組織の構築を計画達成の条件と考え、2001年4月25日に2輪車の開発体制を部門の壁を取り払った形に改めた
- ヤマハ発動機 有価証券報告書 第71期(2005年12月期)【役員の状況】
- [38]長谷川至氏は2001年4月に代表取締役社長、2005年1月に取締役会長に就任
- [51]梶川隆氏は1993年7月にYamaha Motor Europe N.V.取締役社長、1997年5月にマリン事業本部長、2005年1月に代表取締役社長に就任
- ヤマハ発動機 新中期経営計画説明会資料(2002年4月9日)
- [40]前回中期計画は2002年3月期に連結売上高1兆円・経常利益率5%を目標とし、売上高・経常利益とも未達成だった
- [41]新3カ年計画「NEXT50」は2005年3月期に売上高1兆500億円、当期利益310億円を目標とした
- [42]売上成長の7割を二輪車事業に、地域別ではアジアの成長に期待し、中国・インド・タイ・ベトナムなどを低シェアの成長地域とした
- ヤマハ発動機 有価証券報告書 第68期(2003年3月期)
- [44]2003年3月期の連結売上高は1兆131億円
- ヤマハ発動機『アニュアルレポート2009』「ヤマハ発動機グループの歩み」
- [45]2003年に初の売上高1兆円を達成
- [52]2005年に3カ年の中期経営計画「NEXT50-Phase II」を策定、2007年にヤマハモーター・フィリピンが二輪車の製造・販売を開始
- 日経ビジネス 2003年12月22日号
- [46]2003年11月初旬の中間決算発表で、決算期を3月期から12月期へ変更すると発表した
- [48]売上高の8割以上を海外で稼ぎ、関係会社150社のうち80社が12月期決算。本社を揃えてグループ全体を管理する
- [49]主力製品の出荷は3〜9月に集中し、2003年3月期の連結営業利益677億円のうち約6割の410億円を上期で稼いだ
- [50]長谷川至社長が、春に投入して秋頃に需要が終息する製品が多く3月期決算では業績を管理しにくいと説明した
- ヤマハ発動機 有価証券報告書 第91期(2025年12月期)【沿革】
- [47]2004年6月に決算期を3月31日から12月31日に変更
- [53]2007年5月にYamaha Motor Philippines, Inc.を設立、2007年10月にIndia Yamaha Motor Pvt. Ltd.を設立、2008年6月に袋井市で船外機生産工場として袋井工場が稼働
- [54]2007年5月にYamaha Motor Philippines, Inc.を設立、2007年10月にIndia Yamaha Motor Pvt. Ltd.を設立、2008年6月に袋井市で船外機生産工場として袋井工場が稼働
- ヤマハ発動機 有価証券報告書 第73期(2007年12月期)
- [55]2007年12月期の連結売上高は1兆7567億円、営業利益は1270億円。所在地別売上高は北米4680億円、欧州3665億円、アジア4656億円
- [56]2007年12月期の連結売上高は1兆7567億円、営業利益は1270億円。所在地別売上高は北米4680億円、欧州3665億円、アジア4656億円
1992年〜2008年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1992年03月期 | 連結 | 6,952 | n/a | n/a | n/a | 92 | 1.3% | 中国に重慶建設・雅馬哈摩托車有限公司を設立(1992) |
| 1993年03月期 | 連結 | 6,767 | ▲2.7% | n/a | n/a | 60 | 0.9% | n/a |
| 1994年03月期 | 連結 | 6,527 | ▲3.5% | n/a | n/a | 26 | 0.4% | n/a |
| 1995年03月期 | 連結 | 6,662 | +2.1% | n/a | n/a | 40 | 0.6% | n/a |
| 1996年03月期 | 連結 | 7,328 | +10.0% | n/a | n/a | 36 | 0.5% | n/a |
| 1997年03月期 | 連結 | 8,509 | +16.1% | n/a | n/a | 136 | 1.6% | n/a |
| 1998年03月期 | 連結 | 8,517 | +0.1% | n/a | n/a | 148 | 1.7% | ベトナムにYamaha Motor Vietnamを設立(1998) |
| 1999年03月期 | 連結 | 8,081 | ▲5.1% | n/a | n/a | 97 | 1.2% | ヤマハマリンの前身、ヤマハ熊本プロダクツを設立(1998/11) |
| 2000年03月期 | 連結 | 8,771 | +8.5% | n/a | n/a | 110 | 1.3% | n/a |
| 2001年03月期 | 連結 | 8,840 | +0.8% | n/a | n/a | 76 | 0.9% | n/a |
| 2002年03月期 | 連結 | 9,468 | +7.1% | n/a | n/a | 95 | 1.0% | n/a |
| 2003年03月期 | 連結 | 10,131 | +7.0% | n/a | n/a | 255 | 2.5% | n/a |
| 2004年12月期 | 連結 | 10,119 | ▲0.1% | 701 | 704 | 381 | 3.8% | n/a |
| 2005年12月期 | 連結 | 13,752 | +35.9% | 1,033 | 1,031 | 640 | 4.7% | n/a |
| 2006年12月期 | 連結 | 15,820 | +15.0% | 1,235 | 1,254 | 772 | 4.9% | 静岡県袋井市のグローバルパーツセンターが稼動(2006/05) |
| 2007年12月期 | 連結 | 17,567 | +11.0% | 1,270 | 1,403 | 712 | 4.1% | n/a |
| 2008年12月期 | 連結 | 16,038 | ▲8.7% | 484 | 589 | 18 | 0.1% | 船外機生産の袋井工場が稼動(2008/06) |
出所:会社年鑑、有価証券報告書
出典・参考
16件
- ヤマハ発動機 有価証券報告書 第68期(2003年3月期)
- ヤマハ発動機 有価証券報告書 第71期(2005年12月期)【役員の状況】
- ヤマハ発動機 有価証券報告書 第73期(2007年12月期)
- ヤマハ発動機『アニュアルレポート2009』「ヤマハ発動機グループの歩み」
- ヤマハ発動機 有価証券報告書 第91期(2025年12月期)【沿革】
- 日経ビジネス 1992年12月14日号
- 日経ビジネス 1994年9月5日号
- 日経ビジネス 1994年5月16日号
- 日経ビジネス 1995年10月2日号
- 日経ビジネス 1995年10月16日号
- 日経ビジネス 1999年9月6日号
- 日経ビジネス 2001年6月25日号
- 日経ビジネス 2001年7月9日号
- 日経ビジネス 2003年12月22日号
- 財界人 1994年「捲土重来型社長に聞く――混乱期に強い“自然体経営の極意” 長谷川武彦ヤマハ発動機社長」
- ヤマハ発動機 新中期経営計画説明会資料(2002年4月9日)