井村荒喜
不二越・元不二越鋼材工業を創立し代表取締役社長
社長就任1928年12月
生年月日—
学歴行余学舎中退
出自—
経歴1913〜1964年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1913年主要役職の状況(推定含む目安)1964年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間企業 | |||||
| 民間企業 | 台湾帝国製糖 | 1913 | 入社(台湾へ渡る) | ||
| 中越水電 | 1919 | 支配人として入社 | |||
| 1924 | 中越製作所を設立 | ||||
| 1926 | 常務 | ||||
| 不二越 | 1928 | 社長 | |||
| 1964 | 社長 退任 | ||||
社長就任までの出自
出自
1891年11月に長崎県南高来郡北有馬村の農家で、五男一女の末子として生まれた。長崎の行余学舎に学んだが、家業の傾きで学資が尽きて中途でやめ、長崎民友新聞の配達で生計を立てた。1913年11月に台湾へ渡って台湾帝国製糖に勤め、1919年に富山の中越水電へ28歳で支配人として入った。1926年5月に池上健二社長が事故で死去したあとは常務を務めた。1927年8月に中越水電が富山電気と合併すると、新会社には加わらず電気業界を離れた。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1928年12月21日に公称資本金20万円で不二越鋼材工業を創立し、代表取締役に就任した。株式4,000株のうち2,800株を自ら引き受けており、前任のいない創業者としての就任である。社長の座には35年余りとどまった。1964年2月、前年11月期の決算に公認会計士が不適正意見を付けたことで経営危機が表面化し、株価は3月末に37円まで下げた。同年3月30日の取締役会で、専務の井村賢氏とともに社長を辞任した。のちに二代目社長に就任したのは市川忍氏である。
創業ストーリー
創業ストーリー
在任中の主な施策
井村荒喜氏:在任中の施策
1930年3月の火災のあと、大阪系の株主が求めた経営権と販売権の移譲を拒み、減資して事業を続けた。1931年初めには機械工具商11店と特約店契約を結んでナチ鋸刃会を発足させ、同年9月に三宅工具製作所を買ってドリルへ進んだ。1938年9月に富山市東富山へ製鋼所を新設して素材から製品までの一貫生産体制を整え、1939年1月にベアリング、1943年8月に工作機械の製造販売を始めた。終戦後は工場を小さく分ける案に反対し、主要な従業員を残して本業へ戻した。
参考文献3件
参考文献
- 私の履歴書 経済人4(日本経済新聞社、1980年)
- 不二越五十年史(不二越、1978年)
- 国立国会図書館サーチ「井村荒喜追想録」(井村荒喜追想録刊行会、1983年)の書誌の読み
事実根拠:出所(不二越)