決断
外国の技術を買う話を断り、逆に自社の粉砕機を海外へ出す立場に転じた。1958年5月、従業員80人ほどの細川鉄工所で専務の細川益男氏は単身で香港に渡り、ナイトクラブを会場に粉砕機の展示会を開催した。展示会を知った東京の商社はスイスの粉砕機メーカーとの技術提携を持ち込み、銀行も導入資金の融資を申し出た。細川益男氏は現地で技術を確かめて期待外れと判断し、契約金の値引きを示されても導入を断っている。断られたスイス側は技術者を送り、細川鉄工所の粉砕機を見て欧州での販売許可を求めた。これが最初の技術提携となり、米国パルベライジング・マシナリー社などへの技術輸出も決まった。技術は海外から輸入するものという見方が一般的だった時期に、細川鉄工所は技術を売る側として海外の会社と結びついた。