第3章 年〜年

ニチロ:在外資産の喪失と北洋母船式サケ・マス漁業の再開

1949年〜四つの基地から始めた戦後再建と北洋の再開

敗戦で失ったのは漁場だけではなく、樺太・千島・カムチャッカの租借権はすべて空証文になり、北洋の現場では2,300余名の従業員が抑留され、戦前に冷蔵庫43、缶詰工場37を擁した生産設備も残らなかった。当時64歳の平塚氏は残留社員1,000余名とその家族の生活を考え、どこの海でもいいから魚を獲ることに再建の道を求める。神奈川県久里浜を基地に遠洋のかつお・まぐろ漁業へ着手し、宮城県塩釜を補助基地、下関を根拠に東シナ海と黄海のトロールと機船底曳へ広げ、函館と合わせて四つの基地を置いた。資金は興業銀行から1億円余、復興金融公庫から2億円の融資を受け、終戦直後に三回の増資を重ねた。1949年5月には東京・名古屋・大阪の各証券取引所に株式を上場した。

  • 私の履歴書 経済人3「平塚常次郎」(日本経済新聞社、1980年)
    • [1]終戦時に北洋の現場で2,300余名の従業員が抑留された
    • [3]終戦時の残留社員は1,000余名だった
    • [4]久里浜・塩釜・下関・函館の四つの基地で戦後再建に着手した
  • 証券アナリストジャーナル 1969年12月号
    • [2]戦前の生産設備は冷蔵庫43と缶詰工場37だった
    • [5]興業銀行から1億円余、復興金融公庫から2億円の融資を受け三回増資した
    • [6]終戦直後に三回の増資を行った
  • ニチロ 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1949年5月に東京・名古屋・大阪の各証券取引所へ上場した

1952年の講和条約発効で、母船式のサケ・マス漁業とカニ漁業が復活した。初年度の漁獲は42万4,000尾と試験操業の域を出なかったが、1953年度は母船明晴丸が独航船34隻を率いて280万2,000尾を水揚げする。このとき缶詰製造設備を一ライン母船に積み込み、現地での製造に主力を置いて3万8,400函を生産した。翌1954年度には母船協宝丸を加えて缶詰機械を二ラインとし、前年度の4.1倍にあたる16万1,500函をあけぼの印で製造した。北海道沿岸のカニ缶詰と久里浜・石巻の各工場を合わせた缶詰は42万5,000函にのぼり、その7割を英国・米国・アイルランドなどへ輸出した。1956年には北洋サケ・マス母船16船団のうち5船団を確保した。資本金は戦後四回の増資を経て1955年6月に22億円となった。

  • 企業の歴史 明治百年 3編(1968年)「日魯漁業」
    • [8]1952年の講和条約発効で母船式サケ・マス漁業とカニ漁業が復活した
    • [14]1956年に北洋サケ・マス母船16船団のうち5船団を確保した
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日魯漁業」
    • [9]1952年度の漁獲は42万4,000尾にとどまった
    • [10]1953年度は明晴丸が独航船34隻を率いて280万2,000尾を水揚げした
    • [11]1953年度は母船に缶詰設備を積み3万8,400函を生産した
    • [12]1954年度は缶詰16万1,500函を製造し前年度の4.1倍となった
    • [13]1954年度の缶詰生産は合計42万5,000函でその7割を欧米へ輸出した
    • [15]資本金は戦後四回の増資を経て1955年6月に22億円となった
参考文献[1]-[15]
  • 私の履歴書 経済人3「平塚常次郎」(日本経済新聞社、1980年)
    • [1]終戦時に北洋の現場で2,300余名の従業員が抑留された
    • [3]終戦時の残留社員は1,000余名だった
    • [4]久里浜・塩釜・下関・函館の四つの基地で戦後再建に着手した
  • 証券アナリストジャーナル 1969年12月号
    • [2]戦前の生産設備は冷蔵庫43と缶詰工場37だった
    • [5]興業銀行から1億円余、復興金融公庫から2億円の融資を受け三回増資した
    • [6]終戦直後に三回の増資を行った
  • ニチロ 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1949年5月に東京・名古屋・大阪の各証券取引所へ上場した
  • 企業の歴史 明治百年 3編(1968年)「日魯漁業」
    • [8]1952年の講和条約発効で母船式サケ・マス漁業とカニ漁業が復活した
    • [14]1956年に北洋サケ・マス母船16船団のうち5船団を確保した
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日魯漁業」
    • [9]1952年度の漁獲は42万4,000尾にとどまった
    • [10]1953年度は明晴丸が独航船34隻を率いて280万2,000尾を水揚げした
    • [11]1953年度は母船に缶詰設備を積み3万8,400函を生産した
    • [12]1954年度は缶詰16万1,500函を製造し前年度の4.1倍となった
    • [13]1954年度の缶詰生産は合計42万5,000函でその7割を欧米へ輸出した
    • [15]資本金は戦後四回の増資を経て1955年6月に22億円となった

1960年〜海から陸へ ── 五年で300億円を投じた多角化と無配転落

日ソ漁業条約のもとでは漁獲の割当量に限りがあり、北洋の売上増は望めなかった。日魯漁業は陸上加工と畜産加工の強化に着手し、総合食品メーカーへの転換を始めた。1960年から1964年までの五年間に300億円を投じ、久里浜・広島・弘前の各工場、東京冷蔵庫、栃木畜産試験場、川崎配合飼料、白鷹工場を整備した。品目はマヨネーズ、魚肉ハム・ソーセージ、冷凍カキ、パン、養鶏養豚、果実栽培、ミンク飼育へ広がる。1967年度の売上高は467億6,200万円で、内訳は鮮冷副産品42%、缶詰28%、飼料・畜産11%、ハム・ソーセージ7%だった。1958年には大洋冷凍母船を合併して母船を6船団に増やした。

  • 証券アナリストジャーナル 1969年12月号
    • [16]日ソ漁業条約の漁獲割当により北洋の売上増が望めなかった
    • [17]日魯漁業は陸上加工と畜産加工の強化に着手し総合食品メーカーを目指した
  • 企業の歴史 明治百年 3編(1968年)「日魯漁業」
    • [18]1960年から1964年の五年間で300億円を設備に投じた
    • [19]多角化の品目はマヨネーズ・魚肉ハム・冷凍カキ・パン・養鶏養豚などに及んだ
    • [20]1967年度の売上高は467億6,200万円だった
    • [21]1967年度の構成比は鮮冷副産品42%、缶詰28%、飼料・畜産11%だった
    • [22]1958年に大洋冷凍母船を合併し母船を六船団に増やした

陸への転換は重い負担を伴い、1960年度から1968年度までの九年間の設備投資は約350億円に達した。うち海上が約6割を占め、資本金70億円の会社が金利負担に追われた。水産業が認許可制であるため、『許可を得たからにはその権利を確保するため』に無理な投資を強行せざるを得なかった(証券アナリストジャーナル 1969/12)。1968年11月期は大幅な減益で無配に転落する。同社は3年間の無配を続けて手元の資金を厚くする方針を決めたが、初年度に40億円を留保して経常利益4,100万円の黒字無配とし、3年を待たずに目標を達成した。

  • 証券アナリストジャーナル 1969年12月号
    • [23]1960年度から1968年度の九年間で設備投資は約350億円に達した
    • [24]設備投資のうち海上が約6割を占めた
    • [25]認許可制ゆえ権利確保のため無理な投資を強行せざるを得なかった
    • [26]1968年11月期に大幅減益で無配へ転落した
    • [27]無配初年度に40億円を留保し経常利益4,100万円を計上した

多角化は子会社の設立でも進み、1968年11月に宮畜産を子会社化し、1971年3月に函館国際ホテル、1973年7月にインドネシアのP.T.Alfa Kurnia Fish Enterprise、1975年6月には北海道畜産事業部を分離してニチロ畜産を設立した。1969年7月には本社を東京都千代田区有楽町へ移している。海外の漁業基地づくりでは商社との協業もあり、1961年には三井物産と組んでガーナのテマにカツオ専門の基地を設けた。将来の漁撈は、開発途上国の沿岸では現地へ技術と手段を供与して漁獲させ、日本の市場へ流す形になる——副社長の平野氏が描いた展望である(証券アナリストジャーナル 1969/12)。

  • ニチロ 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1968年11月に宮畜産を子会社化した
    • [29]1975年6月に北海道畜産事業部を分離してニチロ畜産を設立した
    • [30]1969年7月に本社を東京都千代田区有楽町へ移転した
  • 私の商社昭和史(1987年)「日本人の食生活改善に貢献」
    • [31]1961年に三井物産と日魯漁業がガーナのテマにカツオ基地を設けた
  • 証券アナリストジャーナル 1969年12月号
    • [32]平野赳副社長は将来の漁撈を現地への技術供与による漁獲と日本市場への流通と述べた
参考文献[16]-[32]
  • 証券アナリストジャーナル 1969年12月号
    • [16]日ソ漁業条約の漁獲割当により北洋の売上増が望めなかった
    • [17]日魯漁業は陸上加工と畜産加工の強化に着手し総合食品メーカーを目指した
    • [23]1960年度から1968年度の九年間で設備投資は約350億円に達した
    • [24]設備投資のうち海上が約6割を占めた
    • [25]認許可制ゆえ権利確保のため無理な投資を強行せざるを得なかった
    • [26]1968年11月期に大幅減益で無配へ転落した
    • [27]無配初年度に40億円を留保し経常利益4,100万円を計上した
    • [32]平野赳副社長は将来の漁撈を現地への技術供与による漁獲と日本市場への流通と述べた
  • 企業の歴史 明治百年 3編(1968年)「日魯漁業」
    • [18]1960年から1964年の五年間で300億円を設備に投じた
    • [19]多角化の品目はマヨネーズ・魚肉ハム・冷凍カキ・パン・養鶏養豚などに及んだ
    • [20]1967年度の売上高は467億6,200万円だった
    • [21]1967年度の構成比は鮮冷副産品42%、缶詰28%、飼料・畜産11%だった
    • [22]1958年に大洋冷凍母船を合併し母船を六船団に増やした
  • ニチロ 有価証券報告書【沿革】
    • [28]1968年11月に宮畜産を子会社化した
    • [29]1975年6月に北海道畜産事業部を分離してニチロ畜産を設立した
    • [30]1969年7月に本社を東京都千代田区有楽町へ移転した
  • 私の商社昭和史(1987年)「日本人の食生活改善に貢献」
    • [31]1961年に三井物産と日魯漁業がガーナのテマにカツオ基地を設けた

1945年〜1977年の業績

決算期 区分 売上高 営業利益経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率 億円
1949年11月期 単体 11 n/a n/a 0 2.2% n/a n/a
1950年11月期 単体 17 +55.1% n/a 0 ▲4.3% n/a n/a
1951年11月期 単体 23 +38.3% n/a 0 3.3% n/a n/a
1952年11月期 単体 26 +9.5% n/a 0 1.6% n/a n/a
1953年11月期 単体 38 +46.2% n/a 1 2.9% n/a n/a
1954年11月期 単体 46 +20.4% n/a 2 4.5% n/a n/a
1955年11月期 単体 60 +31.3% n/a 3 6.3% n/a n/a
1956年11月期 単体 103 +71.2% n/a 4 4.0% n/a n/a
1957年11月期 単体 101 ▲2.5% n/a 6 6.0% n/a n/a
1958年11月期 単体 151 +50.0% n/a 5 3.6% n/a n/a
1959年11月期 単体 193 +27.5% 12 5 2.9% 4 n/a
1960年11月期 単体 170 ▲11.9% 18 7 4.5% 6 n/a
1961年11月期 単体 171 +0.4% 15 7 4.6% 5 n/a
1962年11月期 単体 268 +56.8% 17 9 3.5% 7 n/a
1963年11月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1964年11月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1965年11月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1966年11月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1967年11月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1968年11月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1969年11月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1970年11月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1971年11月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1972年11月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1973年11月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1974年11月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1975年11月期 単体 1,414 n/a n/a ▲83 ▲5.9% ▲30 n/a
1976年11月期 単体 1,407 ▲0.5% n/a 27 1.9% 7 n/a
1977年11月期 単体 1,702 +21.0% n/a 44 2.6% 13 n/a

出所:ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版、会社年鑑 1986年版

出典・参考

6件
出典・参考
  • ニチロ 有価証券報告書【沿革】
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日魯漁業」
  • 企業の歴史 明治百年 3編(1968年)「日魯漁業」
  • 証券アナリストジャーナル 1969年12月号
  • 私の履歴書 経済人3「平塚常次郎」(日本経済新聞社、1980年)
  • 私の商社昭和史(1987年)「日本人の食生活改善に貢献」

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