光通信:回線販売代理での創業とHIT SHOPによる携帯電話販売の拡大
市外電話から携帯電話への事業転換
1988年〜日本電信電話の電話帳530万社を名簿に変えた営業設計
1988年2月、重田康光氏は資本金100万円で光通信を設立した。事業目的はOA機器と電話機の販売とリース、重田康光氏は23歳だった。電気通信事業の自由化で電話機の販売が新規参入に開かれ、重田康光氏はその一社で働きながら規制緩和のなかに商機を見た。弁護士の父と兄を持ち、高校のころには事業家を志していたが、巣鴨高校を出た2年間はアルバイトとパチンコに費やし、日本大学経済学部へ入ってすぐ中退した。日本電信電話の民営化の報道から、通信が伸びると判断し、事業はホームテレホンの訪問販売から始め、半年後に第二電電の代理店として市外電話の回線販売に入った。1990年4月に複写機とファクシミリ、1991年11月にコンピュータと周辺機器を加え、1994年の売上高は約100億円に達した。
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1988年2月 OA機器、電話機等の販売及びリースを目的として株式会社光通信を設立)
- [1]1988年2月 株式会社光通信を設立(資本金1百万円)
- [2]設立目的はOA機器・電話機等の販売及びリース
- 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
- [3]重田康光氏は1965年2月東京都生まれ(1997年4月時点で32歳)
- [4]自由化されたばかりの電話機販売会社でのアルバイトを通じ、規制緩和の動きの中にビジネスチャンスを見つけた
- [5]父の九十九氏と兄の樹男氏がともに弁護士。重田氏は高校に入るころから事業家になる自分を思い描いた
- [6]1983年3月に巣鴨高校を卒業後、2年間アルバイトとパチンコの生活。日本大学経済学部に入学するがすぐ中退
- [12]1994年当時の売上高は約100億円
- 日経ビジネス 1995年7月3日号(日経BP社)
- [7]日本電信電話(NTT)の民営化を報じる新聞記事を読み、これからは通信が伸びると判断した
- [8]ホームテレホンの訪問販売から開始し、半年後に第二電電(DDI)の代理店業務を開始
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(市外電話サービスの回線販売事業を開始)
- [9]市外電話サービスの回線販売事業を開始
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1990年4月 複写機、ファクシミリの販売を開始)
- [10]1990年4月 複写機、ファクシミリの販売を開始
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1991年11月 コンピュータ並びに周辺機器の販売を開始)
- [11]1991年11月 コンピュータ並びに周辺機器の販売を開始
訪問先を担当者の勘で選ばせないため、名簿には日本電信電話の電話帳に載る約530万社を使った。営業担当は名簿に沿って電話で訪問の約束を取り、訪問先のOA機器・通信会社名・リース期限・反応を記録して次の訪問に使った。市外電話の担当者には顧客の国際電話の利用量を記録させ、国際電話の担当者は利用の多い会社だけを回った。複写機は3年以上使い、買い換え時期に来た相手だけを訪ねた。訪問の量ではなく誰を訪ねるかを絞る設計であり、受注した相手は画面から消えて二度目の営業が生じなかった。複写機の販売は1995年1月の月間250台から、1年ほどで月間1,000台超の勢いへ伸びた。運用を支えたのは、従業員650人へ1,300台のパソコンを配った情報基盤だった。
- 証券アナリストジャーナル 1996年3月号別冊付録(日本証券アナリスト協会)
- [13]NTTのタウンページ掲載の約530万社を営業データベースの基礎に使用
- [15]市外電話の営業担当に顧客の国際電話利用量のデータ化を義務づけ、国際電話の営業担当が利用の多い会社だけを対象にできる
- [16]複写機は買い換え需要が出る3年以上使用した相手にのみ営業
- [17]一度受注した先は瞬時にパソコン画面から消え、同じ相手への重複営業を防ぐ
- [18]1995年1月に月間250台だった複写機の販売が、1996年初には月間1,000台を超える勢い
- [19]従業員650人に対し1,300台のパソコンを導入、社内LANにより情報を共有化
- 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
- [14]訪問先企業のOA機器・通信会社名・リース期限・訪問時の反応をデータベース化し、営業効率を向上
最大の成果が出る配置へ置き替えるため、人事異動は毎月行われ、営業成績しだいで平社員から統括部長級まで上がった。学歴は事実上問わず、高校卒も大学院卒も33等級の給与表の最下位から始めた。役員から降格した者も2人おり、昨日の部下が翌日に上司となる事態も起きた。企業向けの営業担当は朝8時過ぎから夜10時か11時まで働き、休日出勤も多かった。人事を貫いたのは『目標に対して最も成果の上がる組織、仕組みとは何か』という問いで、適材適所こそ最大の成果を生むという結論に立った。降格しても力を見せれば復活でき、一度の失敗で差別しない再挑戦の仕組みも置いた。毎月の入れ替えを重ねて組織は一般社員・管理職・役員・社長の4階層にとどまり、1995年11月末の平均年齢は25.9歳だった。
- 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
- [20]人事異動は毎月あり、営業成績しだいで平社員からサブマネージャー・マネージャー・統括(部長級)へ昇格
- [21]事実上学歴不問。高校卒も大学院卒も33等級ある給与表の最下位から始める
- [22]役員から降格した者が過去2人
- [23]昨日まで部下だった社員が翌日に上司となり、さん付けで呼ぶ事態も起きる
- [24]企業向け携帯電話の営業担当は朝8時過ぎから夜10時か11時まで働き、休日出勤もざら
- [25]組織が最大の成果を上げるために大事なのは何より適材適所、と重田氏が説明
- [26]降格しても力を見せればすぐに復活でき、一度失敗しても差別しないという敗者復活の人事
- 証券アナリストジャーナル 1996年3月号別冊付録(日本証券アナリスト協会)
- [27]一般社員・管理職・役員・社長の4階層しかないフラットな組織
- [28]従業員の平均年齢は25.9歳(1995年11月末時点)
参考文献[1]-[28]
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1988年2月 OA機器、電話機等の販売及びリースを目的として株式会社光通信を設立)
- [1]1988年2月 株式会社光通信を設立(資本金1百万円)
- [2]設立目的はOA機器・電話機等の販売及びリース
- 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
- [3]重田康光氏は1965年2月東京都生まれ(1997年4月時点で32歳)
- [4]自由化されたばかりの電話機販売会社でのアルバイトを通じ、規制緩和の動きの中にビジネスチャンスを見つけた
- [5]父の九十九氏と兄の樹男氏がともに弁護士。重田氏は高校に入るころから事業家になる自分を思い描いた
- [6]1983年3月に巣鴨高校を卒業後、2年間アルバイトとパチンコの生活。日本大学経済学部に入学するがすぐ中退
- [12]1994年当時の売上高は約100億円
- [14]訪問先企業のOA機器・通信会社名・リース期限・訪問時の反応をデータベース化し、営業効率を向上
- [20]人事異動は毎月あり、営業成績しだいで平社員からサブマネージャー・マネージャー・統括(部長級)へ昇格
- [21]事実上学歴不問。高校卒も大学院卒も33等級ある給与表の最下位から始める
- [22]役員から降格した者が過去2人
- [23]昨日まで部下だった社員が翌日に上司となり、さん付けで呼ぶ事態も起きる
- [24]企業向け携帯電話の営業担当は朝8時過ぎから夜10時か11時まで働き、休日出勤もざら
- [25]組織が最大の成果を上げるために大事なのは何より適材適所、と重田氏が説明
- [26]降格しても力を見せればすぐに復活でき、一度失敗しても差別しないという敗者復活の人事
- 日経ビジネス 1995年7月3日号(日経BP社)
- [7]日本電信電話(NTT)の民営化を報じる新聞記事を読み、これからは通信が伸びると判断した
- [8]ホームテレホンの訪問販売から開始し、半年後に第二電電(DDI)の代理店業務を開始
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(市外電話サービスの回線販売事業を開始)
- [9]市外電話サービスの回線販売事業を開始
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1990年4月 複写機、ファクシミリの販売を開始)
- [10]1990年4月 複写機、ファクシミリの販売を開始
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1991年11月 コンピュータ並びに周辺機器の販売を開始)
- [11]1991年11月 コンピュータ並びに周辺機器の販売を開始
- 証券アナリストジャーナル 1996年3月号別冊付録(日本証券アナリスト協会)
- [13]NTTのタウンページ掲載の約530万社を営業データベースの基礎に使用
- [15]市外電話の営業担当に顧客の国際電話利用量のデータ化を義務づけ、国際電話の営業担当が利用の多い会社だけを対象にできる
- [16]複写機は買い換え需要が出る3年以上使用した相手にのみ営業
- [17]一度受注した先は瞬時にパソコン画面から消え、同じ相手への重複営業を防ぐ
- [18]1995年1月に月間250台だった複写機の販売が、1996年初には月間1,000台を超える勢い
- [19]従業員650人に対し1,300台のパソコンを導入、社内LANにより情報を共有化
- [27]一般社員・管理職・役員・社長の4階層しかないフラットな組織
- [28]従業員の平均年齢は25.9歳(1995年11月末時点)
1993年〜第二電電の契約減から携帯電話への主力交代
1993年後半、光通信は第二電電・国際デジタル通信の取次とOA機器販売が中心の組織を携帯電話中心へ切り替え、社員を集中投入した。取次の対象は順に広げ、1992年12月に国際電話、1993年6月に携帯電話の回線販売事業を本格化していた。切り替えを促したのは、日本電信電話が長距離通話料金を値下げし、第二電電の料金優位が薄れて契約が激減したことだった。携帯電話の新規加入は1995年3月までの1年間で220万台に達し、1979年のサービス開始から1994年3月までの累積加入台数に匹敵した。それでも切り替えを決めた時点で、爆発的な普及を予想する声はほとんどなかった。主力の交代は売り方の交代も伴い、訪問販売から店頭販売へ軸足が移った。
- 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
- [29]DDI・IDCの加入取次やOA機器販売中心だった組織を携帯電話中心へ切り替え、社員を集中投入
- [34]携帯電話の爆発的普及を予想する声はほとんどなかった
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1992年12月 国際電話サービス回線販売事業を本格化)
- [30]1992年12月 国際電話サービス回線販売事業を本格化
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1993年6月 携帯電話サービス回線販売事業を本格化)
- [31]1993年6月 携帯電話サービス回線販売事業を本格化
- 日経ビジネス 1995年7月3日号(日経BP社)
- [32]1993年後半、NTTが長距離通話料金を値下げしてDDIの優位性が薄れ、契約が激減
- [33]1995年3月までの1年間の携帯電話新規加入は220万台で、1979年のサービス開始から1994年3月までの累積加入台数に匹敵
- [35]訪問販売から店頭販売へ軸足を移した
出店の速さを支えたのは、テナントを決める権限を現場へ置いた設計である。保証金3,000万円の物件でも中途入社1年目の社員が決め、統轄部長が現地を見て5分で決裁することもあったという。1994年4月に携帯電話機器へ売切り制が入り、光通信も端末の販売を始めていた。ツーカーセルラーとデジタルホンの2グループが参入し、販売価格は急落して加入料と通話料の値下げも相次いだ。在庫リスクと利幅の縮小が販売業者を襲い、東京デジタルホンは1次代理店を約300店から200店程度へ絞った。苦情処理の煩雑さを嫌って代理店をやめる例も多かった。撤退が続く局面で光通信は逆に出店を始め、1994年5月に新宿区で第1号店を開設して毎週1店舗の速さで出店を重ねた。
- 日経ビジネス 1995年7月3日号(日経BP社)
- [36]保証金3,000万円のテナント物件でも中途入社1年目の社員が決める
- [37]統轄部長が物件を見て5分で決裁することもある
- [39]1994年4月に端末の売り切り制が導入され、ツーカーセルラー・デジタルホンの2グループが新規参入。販売価格は急落し、加入料や通話料の値下げも相次いだ
- [40]売れ筋の変化による在庫リスクや価格低下による利幅の減少に販売業者がさらされた
- [41]東京デジタルホンの1次代理店はピーク時の約300店から200店程度へ絞り込まれた
- [42]説明や回線の契約、クレーム処理の煩雑さに嫌気がさして代理店をやめるケースも多い
- [44]ヒットショップを始めた1994年5月以降、毎週1店舗のペースで出店
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1994年4月 携帯電話機器の売切り制導入に伴い、携帯電話機器の販売を開始)
- [38]1994年4月 携帯電話機器の売切り制導入に伴い、携帯電話機器の販売を開始
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(東京都新宿区に携帯電話販売店舗第1号店が開店)
- [43]東京都新宿区に携帯電話販売店舗第1号店が開店(1994年5月)
1994年10月、光通信は組織を変えて卸部門を新設した。売切り制の開始から半年、価格は当初の半値の5万円前後まで下がり、さらに安く売る量販店が現れていた。同年9月初め、首都圏の営業担当が『今日、ある家電量販店が携帯電話を安売りしているのを見た』との情報を電子メールで全社員へ流した。2日後にはプロジェクトチームを組み、量販店の攻略を決めた。卸業の経験はなく、ノウハウ集めも市場調査もしなかった。販売奨励金は量が多いほど有利で、通話利用料に比例する継続手数料も積み上がり、量の確保が低価格と両立した。契約する量販店は3カ月で約70社に達し、1995年には携帯電話販売の約3分の2が量販店経由となった。1995年8月期の売上高は261億1,900万円に伸びた。
- 日経ビジネス 1996年5月27日号(日経BP社)
- [45]1994年10月に組織変更して卸部門を新設
- [46]1994年4月の売り切り制開始後、販売価格は当初の半値にあたる5万円前後まで下落。さらに安い価格で売る量販店が現れた
- [47]1994年9月初め、首都圏担当の営業担当が量販店の携帯電話安売りを電子メールで全社員に伝えた
- [48]2日後に社内プロジェクトチームを結成して量販店攻略を決定
- [49]卸業については全くの素人で、ノウハウ収集も綿密な市場調査もしなかった
- [54]1995年8月期の売上高261億1,900万円
- 日経ビジネス 1995年7月3日号(日経BP社)
- [50]キャリアの販売奨励金は販売量が多いほど有利で、顧客の通話利用料に比例する継続手数料も累積する
- [51]量の拡大が量販店・ディスカウントストアに引けを取らない低価格を支えた
- [53]1995年時点で携帯電話販売の約3分の2を量販店経由で販売
- 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
- [52]家電量販店への卸売り開始から3カ月で約70社と契約
参考文献[29]-[54]
- 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
- [29]DDI・IDCの加入取次やOA機器販売中心だった組織を携帯電話中心へ切り替え、社員を集中投入
- [34]携帯電話の爆発的普及を予想する声はほとんどなかった
- [52]家電量販店への卸売り開始から3カ月で約70社と契約
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1992年12月 国際電話サービス回線販売事業を本格化)
- [30]1992年12月 国際電話サービス回線販売事業を本格化
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1993年6月 携帯電話サービス回線販売事業を本格化)
- [31]1993年6月 携帯電話サービス回線販売事業を本格化
- 日経ビジネス 1995年7月3日号(日経BP社)
- [32]1993年後半、NTTが長距離通話料金を値下げしてDDIの優位性が薄れ、契約が激減
- [33]1995年3月までの1年間の携帯電話新規加入は220万台で、1979年のサービス開始から1994年3月までの累積加入台数に匹敵
- [35]訪問販売から店頭販売へ軸足を移した
- [36]保証金3,000万円のテナント物件でも中途入社1年目の社員が決める
- [37]統轄部長が物件を見て5分で決裁することもある
- [39]1994年4月に端末の売り切り制が導入され、ツーカーセルラー・デジタルホンの2グループが新規参入。販売価格は急落し、加入料や通話料の値下げも相次いだ
- [40]売れ筋の変化による在庫リスクや価格低下による利幅の減少に販売業者がさらされた
- [41]東京デジタルホンの1次代理店はピーク時の約300店から200店程度へ絞り込まれた
- [42]説明や回線の契約、クレーム処理の煩雑さに嫌気がさして代理店をやめるケースも多い
- [44]ヒットショップを始めた1994年5月以降、毎週1店舗のペースで出店
- [50]キャリアの販売奨励金は販売量が多いほど有利で、顧客の通話利用料に比例する継続手数料も累積する
- [51]量の拡大が量販店・ディスカウントストアに引けを取らない低価格を支えた
- [53]1995年時点で携帯電話販売の約3分の2を量販店経由で販売
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1994年4月 携帯電話機器の売切り制導入に伴い、携帯電話機器の販売を開始)
- [38]1994年4月 携帯電話機器の売切り制導入に伴い、携帯電話機器の販売を開始
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(東京都新宿区に携帯電話販売店舗第1号店が開店)
- [43]東京都新宿区に携帯電話販売店舗第1号店が開店(1994年5月)
- 日経ビジネス 1996年5月27日号(日経BP社)
- [45]1994年10月に組織変更して卸部門を新設
- [46]1994年4月の売り切り制開始後、販売価格は当初の半値にあたる5万円前後まで下落。さらに安い価格で売る量販店が現れた
- [47]1994年9月初め、首都圏担当の営業担当が量販店の携帯電話安売りを電子メールで全社員に伝えた
- [48]2日後に社内プロジェクトチームを結成して量販店攻略を決定
- [49]卸業については全くの素人で、ノウハウ収集も綿密な市場調査もしなかった
- [54]1995年8月期の売上高261億1,900万円
1995年〜二層コミッションという収益構造と、店頭公開後の売上2,592億円
端末価格が下がっても収益が続く構造を、キャリアからの手数料の受け取り方で作った。契約を獲得した段階の受付コミッションと、継続して受け取る変動コミッションである。変動コミッションは通話料金への比率などで算出され、費用を伴わずに長期にわたって入るため収益を安定させた。受付コミッションは仕入単価と対にして価格を決め、単価が下がってもその額だけ収益が減少する構造にはしなかった。この手数料は業界の1次代理店すべてに共通したが、当初から重要な収益モデルととらえた点が他社と違った。商材も広げ、1995年5月にビジネスホン、同年7月にPHSの取次と端末販売を始めた。携帯電話とPHSの月間販売台数は1994年9月の約4,000台から、1996年2月に6万台へ積み上がった。
- 証券アナリストジャーナル 1996年3月号別冊付録(日本証券アナリスト協会)
- [55]キャリアから受け取るコミッションは受付コミッションと変動コミッションの2種類
- [56]受付コミッションはサービスを獲得した段階での一時金、変動コミッションは継続的に受け取る手数料
- [57]変動コミッションは利用者の通話料金に対するパーセンテージなどで算出され、コストがかからず長期的に入るため収益面の安定化に寄与
- [58]受付コミッションは仕入単価と受付コミッション単価を鑑みて価格を決めており、受付コミッションが下がるとそのぶん収益が下がる仕組みにはしていない
- [62]携帯電話・PHSの月間販売台数は1994年9月の約4,000台から1995年11月2万台、同年12月3万4,000台、1996年1月4万4,000台、2月6万台
- 日経ビジネス 2000年3月20日号(日経BP社)
- [59]ストックコミッションの仕組みは業界の習慣で全ての1次代理店が同じだが、当初からこれを重要な収益モデルと捉えた点が他社と違った、と重田氏が説明
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1995年5月 ビジネスホンの販売を本格化)
- [60]1995年5月 ビジネスホンの販売を本格化
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(簡易型携帯電話(PHS)サービスの取次及びPHS端末の販売を開始)
- [61]簡易型携帯電話(PHS)サービスの取次及びPHS端末の販売を開始(1995年7月)
1996年2月、光通信は株式を日本証券業協会へ登録し、店頭公開に踏み切った。売切り制の導入から2年半で販売店は全国に約300店を数え、1998年8月には540店へ広げる計画だった。売上高の約8割は携帯電話とPHSの販売で、残りは企業向けの加入取次とOA機器が支えた。公開時の社長として31歳の重田康光氏は最年少記録を更新し、翌期に1,000億円企業となった32歳も史上最年少だった。約300店から1,500店へ出店を積み増す速さを支えたのは、公開で得た信用だった。売上高は1995年8月期の261億円から1996年8月期に560億円、1997年8月期は1,022億8,000万円の見込みへ伸び、1999年5月には携帯電話の販売店舗が全国で1,500店に達して、株式は東京証券取引所市場第一部へ上場した。
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1996年2月 光通信株式を日本証券業協会に登録)
- [63]1996年2月 光通信株式を日本証券業協会に登録(店頭公開は2月27日)
- 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
- [64]売り切り制導入から2年半で「HIT SHOP」を全国に約300店展開し、1998年8月には540店へ拡大する計画
- [65]携帯電話・PHSの販売が売上高の約8割。ほかにDDI・IDCの加入取次、コピー機などOA機器の販売
- [67]31歳で店頭公開、32歳で1,000億円企業はいずれも史上最年少
- [68]1997年8月期の売上高見込みは1,022億8,000万円。前期560億円、前々期261億円
- 日経ビジネス 1996年5月27日号(日経BP社)
- [66]1996年2月の株式店頭公開時、31歳の重田社長が公開時の社長最年少記録を更新
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1999年5月 携帯電話販売店舗数が全国で1,500店舗)
- [69]1999年5月 携帯電話販売店舗数が全国で1,500店舗
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(光通信株式を東京証券取引所市場第一部へ上場)
- [70]光通信株式を東京証券取引所市場第一部へ上場
1999年8月期の有価証券報告書には、クレイフィッシュへの8億2,865万円のほか24社の国内ネットベンチャーへの出資が並んだ。1998年9月にレンタルサーバー事業を本格化しており、通信の取次以外へ収益源を広げる動きは前年から始まっていた。1999年8月期の売上高は2,592億円、当期純利益は98億8,000万円だった。株式を公開した1996年8月期の560億円から3年で4倍を超えた。同じ年に株価は大幅に値上がりし、その背景にはインターネットと携帯電話への投資家の期待の高さがあった。回線の取次で積んだ資金を未公開株へ向ける方針が、次の10年の損益を大きく揺らす起点となった。
- 日経ビジネス 2000年3月20日号(日経BP社)
- [71]1999年8月期の有価証券報告書に基づく国内ネットベンチャー投資はクレイフィッシュ8億2,865万円ほか24社
- [75]1999年の株価大幅上昇について、インターネットや携帯電話への投資家の期待が高いためと重田氏が説明
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1998年9月 レンタルサーバービジネスを本格化)
- [72]1998年9月 レンタルサーバービジネスを本格化
- 光通信 会社年鑑(1999年8月期・単体業績)
- [73]1999年8月期 売上高2,592億円・当期純利益98億8,000万円(単体)
- 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
- [74]1996年8月期の売上高は560億円
参考文献[55]-[75]
- 証券アナリストジャーナル 1996年3月号別冊付録(日本証券アナリスト協会)
- [55]キャリアから受け取るコミッションは受付コミッションと変動コミッションの2種類
- [56]受付コミッションはサービスを獲得した段階での一時金、変動コミッションは継続的に受け取る手数料
- [57]変動コミッションは利用者の通話料金に対するパーセンテージなどで算出され、コストがかからず長期的に入るため収益面の安定化に寄与
- [58]受付コミッションは仕入単価と受付コミッション単価を鑑みて価格を決めており、受付コミッションが下がるとそのぶん収益が下がる仕組みにはしていない
- [62]携帯電話・PHSの月間販売台数は1994年9月の約4,000台から1995年11月2万台、同年12月3万4,000台、1996年1月4万4,000台、2月6万台
- 日経ビジネス 2000年3月20日号(日経BP社)
- [59]ストックコミッションの仕組みは業界の習慣で全ての1次代理店が同じだが、当初からこれを重要な収益モデルと捉えた点が他社と違った、と重田氏が説明
- [71]1999年8月期の有価証券報告書に基づく国内ネットベンチャー投資はクレイフィッシュ8億2,865万円ほか24社
- [75]1999年の株価大幅上昇について、インターネットや携帯電話への投資家の期待が高いためと重田氏が説明
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1995年5月 ビジネスホンの販売を本格化)
- [60]1995年5月 ビジネスホンの販売を本格化
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(簡易型携帯電話(PHS)サービスの取次及びPHS端末の販売を開始)
- [61]簡易型携帯電話(PHS)サービスの取次及びPHS端末の販売を開始(1995年7月)
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1996年2月 光通信株式を日本証券業協会に登録)
- [63]1996年2月 光通信株式を日本証券業協会に登録(店頭公開は2月27日)
- 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
- [64]売り切り制導入から2年半で「HIT SHOP」を全国に約300店展開し、1998年8月には540店へ拡大する計画
- [65]携帯電話・PHSの販売が売上高の約8割。ほかにDDI・IDCの加入取次、コピー機などOA機器の販売
- [67]31歳で店頭公開、32歳で1,000億円企業はいずれも史上最年少
- [68]1997年8月期の売上高見込みは1,022億8,000万円。前期560億円、前々期261億円
- [74]1996年8月期の売上高は560億円
- 日経ビジネス 1996年5月27日号(日経BP社)
- [66]1996年2月の株式店頭公開時、31歳の重田社長が公開時の社長最年少記録を更新
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1999年5月 携帯電話販売店舗数が全国で1,500店舗)
- [69]1999年5月 携帯電話販売店舗数が全国で1,500店舗
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(光通信株式を東京証券取引所市場第一部へ上場)
- [70]光通信株式を東京証券取引所市場第一部へ上場
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1998年9月 レンタルサーバービジネスを本格化)
- [72]1998年9月 レンタルサーバービジネスを本格化
- 光通信 会社年鑑(1999年8月期・単体業績)
- [73]1999年8月期 売上高2,592億円・当期純利益98億8,000万円(単体)
筆者考察
取次という商売は、何を扱うかで競争の焦点が決まるように見えて、実際は誰に何をどう当てるかで決まる。光通信が創業からの10年で作ったのは携帯電話の販売網ではなく、商材を載せ替えられる営業の設計だった。訪問先を担当者の勘で選ばせず、電話帳を名簿に変え、相手の機器と契約の期限と反応を記録して次の訪問に引き継ぐ。そこに積まれたのは商品の知識ではなく、誰がいつ買い替えるかという順番の情報である。順番の情報は商材に縛られない。だからこそ第二電電の契約が減少したとき、光通信が失ったのは取次先であって仕組みではなく、組織を携帯電話中心へ切り替えるだけで足りた。市外電話でも複写機でも携帯電話でも、同じ名簿と同じ記録の運用が働いた。
同じ設計は、売上を積むほど現場に負荷を掛ける構造でもあった。誰を訪ねるかを絞る運用は、訪ねた結果が数字で残る運用と一体であり、数字が残れば人の序列もそれで決まる。33等級の給与表と毎月の異動は、成果で人を入れ替える装置であり、同時に成果の出ない者を残さない装置でもある。平均年齢が25.9歳にとどまったのは若い会社だったからというより、入れ替えが速かったからだと見るほうが筋が通る。そして1999年に未公開株へ向かった資金は、営業で積んだものを別の資産へ移すことに、この会社に抵抗がなかったことを示す。設計の汎用性は、商材を替える力であると同時に、事業から離れる力でもあった。
- 1995年11月末 25.9歳(証券アナリストジャーナル)
- 1998年8月 27.2歳(アニュアルレポート1998)
- 1999年10月 約26歳・丸めた値(第12期決算説明会資料)
- 棒はすべて単体。連結の従業員数が開示されるのは2002年3月期から。
- 棒の出所は光通信 ファクトシート(1999年10月)「従業員1人当たり指標」。
1988年〜1999年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | |||
| 1988年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1989年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1990年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1991年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1992年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1993年08月期 | 単体 | 116 | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1994年08月期 | 単体 | 122 | +5.2% | 3 | 2.6% | n/a |
| 1995年08月期 | 単体 | 261 | +113.9% | 7 | 2.7% | n/a |
| 1996年08月期 | 単体 | 562 | +115.3% | 14 | 2.6% | n/a |
| 1997年08月期 | 単体 | 1,220 | +117.1% | 31 | 2.6% | n/a |
| 1998年08月期 | 単体 | 1,596 | +30.8% | 50 | 3.2% | n/a |
| 1999年08月期 | 単体 | 2,592 | +62.4% | 98 | 3.8% | n/a |
出所:実業往来、証券 51(11)、会社年鑑
出典・参考
20件
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1988年2月 OA機器、電話機等の販売及びリースを目的として株式会社光通信を設立)
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(市外電話サービスの回線販売事業を開始)
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1990年4月 複写機、ファクシミリの販売を開始)
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1991年11月 コンピュータ並びに周辺機器の販売を開始)
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1992年12月 国際電話サービス回線販売事業を本格化)
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1993年6月 携帯電話サービス回線販売事業を本格化)
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1994年4月 携帯電話機器の売切り制導入に伴い、携帯電話機器の販売を開始)
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(東京都新宿区に携帯電話販売店舗第1号店が開店)
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1995年5月 ビジネスホンの販売を本格化)
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(簡易型携帯電話(PHS)サービスの取次及びPHS端末の販売を開始)
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1996年2月 光通信株式を日本証券業協会に登録)
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1999年5月 携帯電話販売店舗数が全国で1,500店舗)
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(光通信株式を東京証券取引所市場第一部へ上場)
- 光通信 有価証券報告書 第38期(2025年3月期)【沿革】(1998年9月 レンタルサーバービジネスを本格化)
- 光通信 会社年鑑(1999年8月期・単体業績)
- 日経ビジネス 1995年7月3日号(日経BP社)
- 証券アナリストジャーナル 1996年3月号別冊付録(日本証券アナリスト協会)
- 日経ビジネス 1996年5月27日号(日経BP社)
- 日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)
- 日経ビジネス 2000年3月20日号(日経BP社)