第2章 年〜年

SGホールディングス:東京佐川急便事件の摘発と栗和田榮一社長の解任動議

1992年〜東京佐川急便への強制捜査と、中核6社の合併で就いた栗和田榮一社長

1992年2月13日、東京地検特捜部と警視庁は東京佐川急便に合同で強制捜査に入った。東京佐川急便は年間売上高が8,000億円を超える佐川急便グループの中核会社で、同社による4,000億円を超える債務保証が疑惑の中心にあった。佐川急便グループは各地の運送会社を傘下に収め、最も多い時には62社を数えた。大阪佐川急便社長だった栗和田榮一氏は、各社の社長に与えられた権限の大きさが東京佐川急便の逸脱を許したと説明した。特別背任の罪に問われたのは渡辺広康元社長で、暴力団系列の企業へ融資し債務保証を付けたことが、会社に約400億円の損失をもたらしたとされた。渡辺広康元社長の実刑は2003年3月に最高裁で確定した。地域会社に権限を委ねて規模を追う仕組みのもとで、本社は資金の流れを押さえる手段を持たなかったとみられる。

  • 日経ビジネス 1992年3月2日号
    • [1]1992年2月13日、東京地検特捜部と警視庁が東京佐川急便に合同で強制捜査に入った
  • 日経ビジネス 1992年1月27日号
    • [2]東京佐川急便は年間売上高8,000億円超の佐川急便グループの中核企業で、4,000億円を超える債務保証疑惑が浮上していた
  • 日経ビジネス 2001年1月29日号〔敗軍の将、兵を語る〕
    • [3]佐川急便グループは全国の運送会社を傘下に収め、最も多い時で62社あった
    • [4]栗和田榮一は、各社社長の権限がケタ外れに大きく、東京佐川急便の暴走を許した背景になったと語った
  • 日経ビジネス 2004年11月22日号 特集
    • [5]渡辺広康元社長は暴力団系列企業への融資・債務保証で会社に約400億円の損害を与えたとして特別背任に問われた
    • [6]渡辺広康の実刑は2003年3月に最高裁で確定した

1992年2月、再建を話し合う銀行団との協議で、次期社長の候補者が病気を理由に辞退した。代わって栗和田榮一氏が、中京佐川急便社長の湊川誠生氏と主取引銀行の三和銀行京都支店長らの説得で社長を引き受けた。栗和田榮一氏は創業者の佐川清氏の実子で、就任の事情を『非公開の会社だから、創業者と血のつながった者が社長に就いた方が座りが良かったのだろう。でも、本当はやりたくなかった』と振り返った。引き受けに際して、栗和田榮一氏は経営の独立性と権限を明確にすることを条件とし、受け入れられた。1992年5月1日付で中核の地域会社が合併し、新しい佐川急便が発足した。栗和田榮一氏は同じ1992年5月、新会社の代表取締役社長に就任した。一方で就任時の覚書には、3年後に後を託すことと、将来の後継者を創業家の長男とすることが記されていた。

  • 日経ビジネス 2001年1月29日号〔敗軍の将、兵を語る〕
    • [7]1992年2月上旬、金沢で療養中の佐川清のもとで銀行団と次期社長候補が協議したが、候補者は病気を理由に辞退した
    • [10]栗和田は経営の独立性と権限を明確に確立できることを条件とし、それは受け入れられた
  • 日経ビジネス 2004年11月22日号 特集
    • [8]栗和田は、本命とされた湊川誠生と三和銀行京都支店長らに説得されて社長を引き受けた
    • [9]栗和田榮一の父は創業者の佐川清である
    • [13]就任時の覚書に「3年後にしかるべき人に後を託す」「将来の後継者は正明(長男)」の趣旨が書かれていた
  • 中部財界 1998年6月号「佐川急便副社長・財務本部長・中京支社長 湊川誠生氏に聞く――勇気・闘魂・和」
    • [11]1992年5月1日付で全国の佐川急便の中核会社が合併した
  • SGホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】(2018年3月期)
    • [12]栗和田榮一は1992年5月に佐川急便の代表取締役社長に就任した

東京佐川急便事件で佐川急便が抱えた債務は、一時5,963億円に上った。グループ全体の有利子負債は、事件当時9,336億円あった。佐川急便は当初、東京佐川急便に会社更生法を適用することも検討した。栗和田榮一社長は金融機関から融資の個人保証を求められた。社内に向けて、栗和田榮一社長は資金が途切れかねない状況を前に緊縮財政を訴えた。1992年6月の集計では、1991年までの5年間の申告所得の伸び率で佐川急便が全国の首位にあった。その後の返済で、債務は2001年3月末に47億円まで、有利子負債は4,824億円まで減る見通しとなった。資産の売却ではなく期間収益で返せたのは、この稼ぐ力が前提にあったためと推察される。

  • 日経ビジネス 2001年1月29日号〔敗軍の将、兵を語る〕
    • [14]東京問題で抱えた債務は一時期5,963億円だった
    • [15]東京問題当時のグループ全体の有利子負債は9,336億円だった
    • [17]栗和田は東京問題にからみ金融機関から融資の個人保証を求められた
    • [18]栗和田は資金ショートの危機感の中で緊縮財政を社内に訴えた
    • [20]東京問題の債務は2001年3月末に47億円まで償却が進み、有利子負債は4,824億円になる見通しだった
  • 日経ビジネス 2004年11月22日号 特集
    • [16]佐川急便は当初、東京佐川急便に更生法の適用を検討した
  • 日経ビジネス 1992年6月1日号
    • [19]1991年までの5年間の申告所得の伸び率で佐川急便が首位だった
参考文献[1]-[20]
  • 日経ビジネス 1992年3月2日号
    • [1]1992年2月13日、東京地検特捜部と警視庁が東京佐川急便に合同で強制捜査に入った
  • 日経ビジネス 1992年1月27日号
    • [2]東京佐川急便は年間売上高8,000億円超の佐川急便グループの中核企業で、4,000億円を超える債務保証疑惑が浮上していた
  • 日経ビジネス 2001年1月29日号〔敗軍の将、兵を語る〕
    • [3]佐川急便グループは全国の運送会社を傘下に収め、最も多い時で62社あった
    • [4]栗和田榮一は、各社社長の権限がケタ外れに大きく、東京佐川急便の暴走を許した背景になったと語った
    • [7]1992年2月上旬、金沢で療養中の佐川清のもとで銀行団と次期社長候補が協議したが、候補者は病気を理由に辞退した
    • [10]栗和田は経営の独立性と権限を明確に確立できることを条件とし、それは受け入れられた
    • [14]東京問題で抱えた債務は一時期5,963億円だった
    • [15]東京問題当時のグループ全体の有利子負債は9,336億円だった
    • [17]栗和田は東京問題にからみ金融機関から融資の個人保証を求められた
    • [18]栗和田は資金ショートの危機感の中で緊縮財政を社内に訴えた
    • [20]東京問題の債務は2001年3月末に47億円まで償却が進み、有利子負債は4,824億円になる見通しだった
  • 日経ビジネス 2004年11月22日号 特集
    • [5]渡辺広康元社長は暴力団系列企業への融資・債務保証で会社に約400億円の損害を与えたとして特別背任に問われた
    • [6]渡辺広康の実刑は2003年3月に最高裁で確定した
    • [8]栗和田は、本命とされた湊川誠生と三和銀行京都支店長らに説得されて社長を引き受けた
    • [9]栗和田榮一の父は創業者の佐川清である
    • [13]就任時の覚書に「3年後にしかるべき人に後を託す」「将来の後継者は正明(長男)」の趣旨が書かれていた
    • [16]佐川急便は当初、東京佐川急便に更生法の適用を検討した
  • 中部財界 1998年6月号「佐川急便副社長・財務本部長・中京支社長 湊川誠生氏に聞く――勇気・闘魂・和」
    • [11]1992年5月1日付で全国の佐川急便の中核会社が合併した
  • SGホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】(2018年3月期)
    • [12]栗和田榮一は1992年5月に佐川急便の代表取締役社長に就任した
  • 日経ビジネス 1992年6月1日号
    • [19]1991年までの5年間の申告所得の伸び率で佐川急便が首位だった

1994年〜約5,200億円の不良債権の自力処理と、宅配便・24時間配送でのヤマト追撃

佐川急便は1992年に続いて1994年にも合併を行い、経営の基盤を本社に集めた。全国は12ブロックに分け、各ブロックに主管店を置いて営業所と路線会社を結んだ。栗和田榮一社長は指揮命令系統を一本にし、資金管理を厳しくして、本社が末端まで管理できる体制へ改めた。本社機能を厚くするため地方から人材を集め、批判の強かったドライバーの過剰労働の改善も進めた。約5,200億円の不良債権は、期間収益を主な原資として自力で処理した。取締役財務経理部長の津村秀行氏によれば、1997年3月期に不良債権処理のめどが立った。事件から12年間の返済は元利合計で約8,400億円に達し、そのうち7,250億円をグループ全社の期間収益で賄った。

  • 中部財界 1998年6月号「佐川急便副社長・財務本部長・中京支社長 湊川誠生氏に聞く――勇気・闘魂・和」
    • [21]佐川急便は平成4年・6年の二度の合併で経営体質を強化し、経営基盤を一極に集めた
    • [22]全国を12ブロックに分割し、それぞれに主管店を配し、各営業所と関連路線会社で全国を結んだ
  • 日経ビジネス 2004年11月22日号 特集
    • [23]栗和田は社長就任後、指揮命令系統の一本化や資金管理の厳格化など本社機能の強化に動いた
    • [24]本社機能強化のため地方から優秀な人材を集め、過剰労働の批判が強かったドライバーの労働環境改善も進めた
    • [25]期間収益を主要な原資として自力で約5,200億円の不良債権を処理した
    • [26]津村秀行取締役財務経理部長は、1997年3月期で不良債権処理のメドが立ったと述べた
    • [27]事件後12年間で元利合計約8,400億円を返済し、うち7,250億円はグループ全社の期間収益で返済した

宅配便への参入を主導したのは栗和田榮一社長で、古参の幹部はこれに反対した。反対の理由は、商業貨物を運んできた現場には個人宛ての荷物にすぐ応じる態勢がなく、負担が増えて収益力も低下するというものだった。これに対し推進派は、通信販売会社などが個人の消費者へ企業から直接荷物を送る取引を増やしており、商業貨物は頭打ちだと訴えた。1998年、佐川急便は「宅配便・佐川急便」の名で事業者発・一般消費者宛ての荷物を扱い始め、同年4月に21世紀統一スローガン「安全、環境、そしてサービス。」を制定した。宅配便の増加分には商業貨物から移った荷物も含まれていたものの、荷物量全体が減るのは食い止めた。

  • 日経ビジネス 2004年11月22日号 特集
    • [28]栗和田が主導した宅配便事業について古参幹部と意見が対立し、古参幹部は現場を動かさなかった
    • [29]反対派は、商業貨物を扱ってきた体制では宅配便に即応できず、現場負担増・効率低下・収益力低下を懸念した
    • [30]推進派は、商業貨物の伸び悩みと通販会社の台頭による企業から個人への直送の動きを挙げ、宅配便が不可欠と主張した
    • [33]宅配便の扱いには商業貨物からの切り替え分があるが、宅配便が全体の荷物量の減少を防いだ
  • SGホールディングス公式サイト「SGホールディングスグループのあゆみ ライブラリー」(2026年9月時点)
    • [31]1998年に事業者から一般消費者へのサービス「宅配便・佐川急便」(現・飛脚宅配便)の取り扱いを開始した
  • 佐川急便 環境報告書2000(2000年12月)
    • [32]1998年4月に21世紀統一スローガン「安全、環境、そしてサービス。」を策定した

宅配便の時間帯指定は、ヤマト運輸が1998年春に導入し、日本通運などが続いていた。佐川急便は荷主の個別の求めには応じていたが、全社の仕組みとしては持っていなかった。1999年10月、佐川急便は約550社の法人荷主に限り、業界で初めて24時間の配達指定を試験的に始めた。深夜0時までは通常料金で5つの時間帯から選べ、0時以降も追加料金で時刻を指定できた。取扱貨物の約85%は届け先が企業で、ネット通販による中抜きが従来の商業貨物を細らせる懸念があった。同じ1999年には、保冷輸送の「飛脚クール便(冷蔵)」も全国に広げた。個人向けの取扱量で先行するヤマト運輸に対し、佐川急便は指定できる時間の幅を競争の焦点に据えたと思われる。

  • 日経ビジネス 1999年11月8日号
    • [34]宅配便の時間帯指定サービスは前年春にヤマト運輸が導入し、日本通運などが追随した
    • [35]佐川急便は荷主の要望に個別に応じて時間指定配送をしていたが、全社的には導入していなかった
    • [36]佐川急便は1999年10月から約550社の法人荷主に限定し、業界初の宅配便24時間配達サービスを試験的に始めた
    • [37]配達時刻を5つの時間帯に分け深夜0時まで通常料金、0時以降は追加料金で指定できた
    • [38]取扱貨物の約85%は送り先が企業で、ネット通販の拡大で問屋経由の物流が中抜きされる懸念があった
  • SGホールディングス公式サイト「SGホールディングスグループのあゆみ ライブラリー」(2026年9月時点)
    • [39]1999年に「飛脚クール便(冷蔵)」の全国展開を果たした
参考文献[21]-[39]
  • 中部財界 1998年6月号「佐川急便副社長・財務本部長・中京支社長 湊川誠生氏に聞く――勇気・闘魂・和」
    • [21]佐川急便は平成4年・6年の二度の合併で経営体質を強化し、経営基盤を一極に集めた
    • [22]全国を12ブロックに分割し、それぞれに主管店を配し、各営業所と関連路線会社で全国を結んだ
  • 日経ビジネス 2004年11月22日号 特集
    • [23]栗和田は社長就任後、指揮命令系統の一本化や資金管理の厳格化など本社機能の強化に動いた
    • [24]本社機能強化のため地方から優秀な人材を集め、過剰労働の批判が強かったドライバーの労働環境改善も進めた
    • [25]期間収益を主要な原資として自力で約5,200億円の不良債権を処理した
    • [26]津村秀行取締役財務経理部長は、1997年3月期で不良債権処理のメドが立ったと述べた
    • [27]事件後12年間で元利合計約8,400億円を返済し、うち7,250億円はグループ全社の期間収益で返済した
    • [28]栗和田が主導した宅配便事業について古参幹部と意見が対立し、古参幹部は現場を動かさなかった
    • [29]反対派は、商業貨物を扱ってきた体制では宅配便に即応できず、現場負担増・効率低下・収益力低下を懸念した
    • [30]推進派は、商業貨物の伸び悩みと通販会社の台頭による企業から個人への直送の動きを挙げ、宅配便が不可欠と主張した
    • [33]宅配便の扱いには商業貨物からの切り替え分があるが、宅配便が全体の荷物量の減少を防いだ
    • [31]1998年に事業者から一般消費者へのサービス「宅配便・佐川急便」(現・飛脚宅配便)の取り扱いを開始した
    • [39]1999年に「飛脚クール便(冷蔵)」の全国展開を果たした
  • 佐川急便 環境報告書2000(2000年12月)
    • [32]1998年4月に21世紀統一スローガン「安全、環境、そしてサービス。」を策定した
  • 日経ビジネス 1999年11月8日号
    • [34]宅配便の時間帯指定サービスは前年春にヤマト運輸が導入し、日本通運などが追随した
    • [35]佐川急便は荷主の要望に個別に応じて時間指定配送をしていたが、全社的には導入していなかった
    • [36]佐川急便は1999年10月から約550社の法人荷主に限定し、業界初の宅配便24時間配達サービスを試験的に始めた
    • [37]配達時刻を5つの時間帯に分け深夜0時まで通常料金、0時以降は追加料金で指定できた
    • [38]取扱貨物の約85%は送り先が企業で、ネット通販の拡大で問屋経由の物流が中抜きされる懸念があった

2000年〜創業者株の譲渡が招いた社長解任動議と、郵政・ヤマトに次ぐ第三勢力

栗和田榮一社長は、就任時の覚書にあった3年の期限を過ぎても経営を創業家に返さなかった。佐川清氏は1999年、自らが持つ佐川急便株約5万株を右翼団体に譲り渡したが、手続きに不備があり譲渡は無効とされた。2000年6月の取締役会で、副社長の湊川誠生氏と境保氏を中心とする反対派は、佐川光氏を社長に選ぶよう求めた。採決の結果、栗和田榮一社長を解任する動議は通ったものの、佐川光氏を選ぶ案は否決され、改めて栗和田榮一社長を再任する動議が可決された。クーデターに加わった代表取締役副社長2人は6月19日の株主総会で退き、代表権を持つのは栗和田榮一社長1人となった。栗和田榮一社長は、この内紛の遠因を東京佐川急便事件に求め、事件前の地域会社の独立した時代を懐かしむ人々がいたと説明した。

  • 日経ビジネス 2004年11月22日号 特集
    • [40]覚書の3年が過ぎても栗和田は創業家へ「大政奉還」せず社長を続けた
    • [41]1999年に佐川清が保有する同社株式約5万株(保有比率約1割)を右翼団体へ譲渡したが、手続き不備で無効だった
    • [42]2000年6月の取締役会で湊川・境の両副社長を中心とする反対派が佐川光を担ぎ、栗和田の社長退任と光の社長選任を要求した
    • [43]栗和田の解任動議は可決、光の選任動議は否決、栗和田の社長再任動議は可決された
  • 日経ビジネス 2001年1月29日号〔敗軍の将、兵を語る〕
    • [44]2000年6月19日の株主総会でクーデターに関わった代表取締役副社長2人が会社を去り、代表権は栗和田1人となった
    • [45]栗和田はクーデターの遠因を東京佐川急便事件とし、事件前の時代を懐かしむ人たちが一部に残っていたと語った

2002年3月に佐川清氏が死去し、同年6月には佐川光氏ら反対派の残る取締役も退いた。栗和田榮一社長は2002年6月に佐川急便の代表取締役会長へ移った。後任の社長には専務の真鍋邦夫氏が就任し、創業家以外から初めてのトップとなった。海外では2003年1月、上海で現地企業との合弁による宅配便会社が営業を始めた。同年9月には中国保利集団との合弁の保利佐川物流(深圳)が営業を始め、中国全土で3PL事業を営む許認可も得た。2004年3月の3カ年中期経営計画は「アジアNo.1の総合物流会社」を目標に掲げた。取締役経営企画本部長の若佐照夫氏は、得意の国内の企業間貨物が縮小傾向にあることを理由に挙げた。

  • 日経ビジネス 2004年11月22日号 特集
    • [46]2002年3月に佐川清が死去し、2002年6月に佐川光ら残存組も取締役を退任した
    • [48]2002年に栗和田は社長の座を専務の真鍋邦夫に譲り会長に退いた
    • [49]佐川急便は2003年1月、上海で現地の大衆交通との合弁で宅配便会社上海大衆佐川急便物流を始めた
    • [50]中国保利集団との合弁の保利佐川物流(広東省深圳市)は2003年9月に営業を始め、同年に中国全土で3PLの許認可を得た
    • [51]2004年3月にまとめた3カ年中期経営計画で「アジアNo.1の総合物流会社を目指す」目標を掲げた
    • [52]若佐照夫取締役経営企画本部長は、得意のBtoBの国内貨物が縮小傾向にあることを理由に挙げた
  • SGホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】(2018年3月期)
    • [47]栗和田榮一は2002年6月に佐川急便の代表取締役会長に就任した

2004年の佐川急便は、日本郵政公社とヤマト運輸を追う宅配便の第三勢力に位置づけられた。2004年には、日本郵政公社と提携したメール便「佐川ゆうメール」を投入した。これに先立つ2000年には、カード決済のできる代金引換「e-コレクト」の全国展開を始めていた。一方で2004年3月期の売上高伸び率は2.1%で、ヤマト運輸の4.0%の半分ほどにとどまった。純負債は約3,000億円残り、約1,200億円の株主資本に対して2.5倍程度の水準にあった。中期経営計画は連結売上高9,000億円、有利子負債3,000億円以下、株主資本比率30%を財務の目標に置いた。2005年4月には、栗和田榮一会長が佐川急便の代表取締役会長兼社長に就任した。宅配便の量で上位を追い、財務の厚みで劣る立場のまま、佐川急便は次の組織再編を迎えたのだろう。

  • 日経ビジネス 2004年11月22日号 特集
    • [53]佐川急便は日本郵政公社とヤマト運輸を追う第三勢力に浮上しようとしていた
    • [54]2004年に日本郵政公社との提携メール便「佐川ゆうメール」を投入した
    • [56]2004年3月期の売上高伸び率はヤマト運輸の4.0%に対し佐川急便は2.1%だった
    • [57]佐川急便は約3,000億円の純負債を抱え、株主資本は1,200億円程度で負債倍率は2.5倍程度だった
    • [58]中期経営計画「真価創生933プラン」は連結売上高9,000億円、有利子負債3,000億円以下、株主資本比率30%を3年後の目標とした
  • SGホールディングス公式サイト「SGホールディングスグループのあゆみ ライブラリー」(2026年9月時点)
    • [55]2000年にカード決済可能な代金引換サービス「e-コレクト」の全国展開を開始した
  • SGホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】(2018年3月期)
    • [59]栗和田榮一は2005年4月に佐川急便の代表取締役会長兼社長に就任した
参考文献[40]-[59]
  • 日経ビジネス 2004年11月22日号 特集
    • [40]覚書の3年が過ぎても栗和田は創業家へ「大政奉還」せず社長を続けた
    • [41]1999年に佐川清が保有する同社株式約5万株(保有比率約1割)を右翼団体へ譲渡したが、手続き不備で無効だった
    • [42]2000年6月の取締役会で湊川・境の両副社長を中心とする反対派が佐川光を担ぎ、栗和田の社長退任と光の社長選任を要求した
    • [43]栗和田の解任動議は可決、光の選任動議は否決、栗和田の社長再任動議は可決された
    • [46]2002年3月に佐川清が死去し、2002年6月に佐川光ら残存組も取締役を退任した
    • [48]2002年に栗和田は社長の座を専務の真鍋邦夫に譲り会長に退いた
    • [49]佐川急便は2003年1月、上海で現地の大衆交通との合弁で宅配便会社上海大衆佐川急便物流を始めた
    • [50]中国保利集団との合弁の保利佐川物流(広東省深圳市)は2003年9月に営業を始め、同年に中国全土で3PLの許認可を得た
    • [51]2004年3月にまとめた3カ年中期経営計画で「アジアNo.1の総合物流会社を目指す」目標を掲げた
    • [52]若佐照夫取締役経営企画本部長は、得意のBtoBの国内貨物が縮小傾向にあることを理由に挙げた
    • [53]佐川急便は日本郵政公社とヤマト運輸を追う第三勢力に浮上しようとしていた
    • [54]2004年に日本郵政公社との提携メール便「佐川ゆうメール」を投入した
    • [56]2004年3月期の売上高伸び率はヤマト運輸の4.0%に対し佐川急便は2.1%だった
    • [57]佐川急便は約3,000億円の純負債を抱え、株主資本は1,200億円程度で負債倍率は2.5倍程度だった
    • [58]中期経営計画「真価創生933プラン」は連結売上高9,000億円、有利子負債3,000億円以下、株主資本比率30%を3年後の目標とした
  • 日経ビジネス 2001年1月29日号〔敗軍の将、兵を語る〕
    • [44]2000年6月19日の株主総会でクーデターに関わった代表取締役副社長2人が会社を去り、代表権は栗和田1人となった
    • [45]栗和田はクーデターの遠因を東京佐川急便事件とし、事件前の時代を懐かしむ人たちが一部に残っていたと語った
  • SGホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】(2018年3月期)
    • [47]栗和田榮一は2002年6月に佐川急便の代表取締役会長に就任した
    • [59]栗和田榮一は2005年4月に佐川急便の代表取締役会長兼社長に就任した
    • [55]2000年にカード決済可能な代金引換サービス「e-コレクト」の全国展開を開始した

出典・参考

10件
出典・参考
  • SGホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】(2018年3月期)
  • SGホールディングス公式サイト「SGホールディングスグループのあゆみ ライブラリー」(2026年9月時点)
  • 日経ビジネス 1992年3月2日号
  • 日経ビジネス 1992年1月27日号
  • 日経ビジネス 1992年6月1日号
  • 中部財界 1998年6月号「佐川急便副社長・財務本部長・中京支社長 湊川誠生氏に聞く――勇気・闘魂・和」
  • 日経ビジネス 1999年11月8日号
  • 日経ビジネス 2001年1月29日号〔敗軍の将、兵を語る〕
  • 日経ビジネス 2004年11月22日号 特集
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