- FY03以降の社長は宮原耕治・工藤泰三・内藤忠顕・長澤仁志・曽我貴也の5名、いずれも日本郵船の生え抜き。外部出身の社長は確認できず、生え抜き登用が一貫した慣行として続いている。
- 宮原耕治はFY03〜FY08の約6年、工藤泰三はFY09〜FY13の約5年、内藤忠顕はFY14〜FY17の約4年、長澤仁志はFY18〜FY21の約4年、曽我貴也はFY22〜と、概ね4〜6年での交代サイクル。
- 昇格元は日本郵船本体の事業執行ラインで、いずれも内部昇格であり本体出身者からCEOに昇格する系譜である。
1946〜1959年・14年/生え抜き
1960〜1964年・5年/生え抜き
1965〜1969年・5年/生え抜き
1970〜1976年・7年/生え抜き
1977〜1982年・6年/生え抜き
1983〜1987年・5年/生え抜き
1988〜1993年・6年/生え抜き
1994〜1998年・5年/生え抜き
1999〜2002年・4年/生え抜き
2003〜2007年・5年/生え抜き
2008〜2013年・6年/生え抜き
2014〜2017年・4年/生え抜き
2018〜2021年・4年/生え抜き
曽我貴也現任
2022年〜現在・5年/生え抜き
曽我貴也
そが たかや
生え抜き(1984年入社)。タイの物流現地法人社長・自動車物流グループ長を経て、CFOを兼ねる専務執行役員から社長へ
長澤仁志
ながさわ ひとし
生え抜き(1980年入社)。海洋事業グループ長などを経て、副社長経営委員から社長へ
内藤忠顕
ないとう ただあき
生え抜き(1978年入社)。専務経営委員・副社長経営委員を経て社長へ
工藤泰三
くどう やすみ
生え抜き(1975年入社)。自動車船グループ長・経営委員を経て、副社長経営委員から社長へ
宮原耕治
みやはら こうじ
生え抜き(1970年入社)。経営企画グループ長・定航調整グループ長を経て専務から社長へ。日本貨物航空の子会社化とヤマトホールディングスとの提携で陸・海・空の体制を築いた
草刈隆郎
くさかり たかお
生え抜き(1964年入社)。戦後初の私立大学出身社長。定期船・自動車輸送畑を歩み、常務・専務を経て社長へ。中長期経営ビジョン「Forward 120」と総合物流本部の設置を主導した
河村健太郎
かわむら けんたろう
生え抜き(1957年入社)。企画畑を歩み、取締役企画部長・専務・副社長を経て社長へ。国境を越えた企業連合による体制固めを進めた
根本二郎
ねもと じろう
生え抜き(1952年入社)。企画部長などを経て副社長から社長へ。若い頃は社内労働組合の委員長を務め、社長・会長在任中の1995年から日経連会長も担った
宮岡公夫
みやおか きみお
生え抜き(1948年入社)。戦後入社組で初の社長。ロンドン支店副支店長・営業第一部長を経て副社長から社長へ
小野晋
おの すすむ
生え抜き(1941年入社)。ニューヨーク・ロンドン駐在と営業第一部長を経て副社長から社長へ。任期途中で退いた菊地庄次郎の後を継いだ
菊地庄次郎
きくち しょうじろう
生え抜き(1934年入社)。営業畑を歩み副社長から社長へ。石油危機ではタンカー売却を断行し「不沈艦思想の払拭」を掲げた
有吉義弥
ありよし よしや
生え抜き(1925年入社)。ベルリン駐在や占領下のGHQ商船管理委員会での勤務を経て1953年に取締役営業部長として本社へ復帰し、社長へ
児玉忠康
こだま ただやす
生え抜き(1922年入社)。副社長から社長へ。1964年の海運集約では三菱海運との合併方針を早期に決めた
浅尾新甫
あさお しんすけ
生え抜き(1918年入社)。取締役・常務を経て敗戦直後の1946年に社長へ。1949年の証券取引所上場と1950年の民営還元をまたぐ再建期を率いた