第1章 年〜年

ソニーフィナンシャルグループ:ソニー・プルデンシャル生命の設立とライフプランナー制度

1979年〜米国最大の生保プルデンシャルと組んだ合弁と、盛田昭夫氏の構想

1979年8月10日、ソニーは米国最大の生命保険会社プルデンシャルとの合弁で、ソニー・プルデンシャル生命保険を設立した。創立に携わった盛田昭夫氏らのプロジェクトは、日本の実情に合い、世界にも例のない保険会社をつくる構想を掲げた。当時の日本では大蔵省が生保に包括的な監督命令権を持ち、認可を要する事項も米国より広かった。生保の会社数は戦後20社のまま動かず、新設は外資との合弁の西武オールステート1社のみ。1976年の時点でも、日本生命の常務はプルデンシャルの対日進出をありえないとみていた。参入の門が狭い市場で新しい型の生保を立ち上げるには、米国最大手の知見とソニーの名前を併せ持つ合弁が近道だったのだろう。

  • 日経ビジネス 1988年1月4日号
    • [1]プルデンシャルは米国最大の生命保険会社で、1979年にソニーと合弁会社ソニー・プルデンシャル生命保険を設立
  • ソニー生命 ディスクロージャー誌「ソニー生命の成り立ち」(後年の回顧)
    • [2]1979年8月10日設立。創立のプロジェクトメンバーは「日本にマッチした、世界のどこにもない保険会社」を構想
  • 日経ビジネス 1976年6月21日号
    • [3]1976年時点で日本の生保は認可事項が広く大蔵省に包括的監督命令権、会社数は戦後一貫して20社(合弁の西武オールステートを含め21社)、日本生命常務は対日進出はありえないと評価
    • [4]1976年時点で日本の生保は認可事項が広く大蔵省に包括的監督命令権、会社数は戦後一貫して20社(合弁の西武オールステートを含め21社)、日本生命常務は対日進出はありえないと評価
    • [5]1976年時点で日本の生保は認可事項が広く大蔵省に包括的監督命令権、会社数は戦後一貫して20社(合弁の西武オールステートを含め21社)、日本生命常務は対日進出はありえないと評価

合弁の立ち上げは、米国の生保で経歴を積んだ坂口陽史氏と、ソニー出身の安藤国威氏が担った。坂口陽史氏は米国の大学で数学を、大学院で保険学を修め、アクチュアリーの資格を日本人で初めて取得した人物である。1974年にはオクシデンタル生命保険の日本担当副社長となり、大蔵省の内認可を得ながら本社の撤退命令で日本進出を断念した。その坂口陽史氏がソニーとプルデンシャルの合弁の推進役に選ばれ、1979年に副社長へ就任。安藤国威氏はソニーから設立に参画し、1979年7月の内認可の直後には坂口陽史氏のロサンゼルスの自宅で打ち合わせを重ねた。内認可までの手続きを一度経験した人材を据えたことで、開業までの準備を短く済ませたと推察される。

  • 日経ビジネス 1985年9月16日号
    • [6]坂口陽史氏:米レバノン・ヴァレー大学(数学)、ノースイースタン大学院(保険学)、日本人初のアクチュアリー、1974年オクシデンタル生命日本担当副社長(内認可後に本社が撤退命令)、1979年ソニー・プルデンシャル生命副社長。1979年7月の内認可直後にロサンゼルスの自宅で安藤国威副社長と打ち合わせ
    • [7]坂口陽史氏:米レバノン・ヴァレー大学(数学)、ノースイースタン大学院(保険学)、日本人初のアクチュアリー、1974年オクシデンタル生命日本担当副社長(内認可後に本社が撤退命令)、1979年ソニー・プルデンシャル生命副社長。1979年7月の内認可直後にロサンゼルスの自宅で安藤国威副社長と打ち合わせ
    • [8]坂口陽史氏:米レバノン・ヴァレー大学(数学)、ノースイースタン大学院(保険学)、日本人初のアクチュアリー、1974年オクシデンタル生命日本担当副社長(内認可後に本社が撤退命令)、1979年ソニー・プルデンシャル生命副社長。1979年7月の内認可直後にロサンゼルスの自宅で安藤国威副社長と打ち合わせ
    • [9]坂口陽史氏:米レバノン・ヴァレー大学(数学)、ノースイースタン大学院(保険学)、日本人初のアクチュアリー、1974年オクシデンタル生命日本担当副社長(内認可後に本社が撤退命令)、1979年ソニー・プルデンシャル生命副社長。1979年7月の内認可直後にロサンゼルスの自宅で安藤国威副社長と打ち合わせ
  • 日経ビジネス 1988年1月4日号
    • [10]安藤国威氏はソニー出身でソニー・プルデンシャル生命の設立に参画
参考文献[1]-[10]
  • 日経ビジネス 1988年1月4日号
    • [1]プルデンシャルは米国最大の生命保険会社で、1979年にソニーと合弁会社ソニー・プルデンシャル生命保険を設立
    • [10]安藤国威氏はソニー出身でソニー・プルデンシャル生命の設立に参画
  • ソニー生命 ディスクロージャー誌「ソニー生命の成り立ち」(後年の回顧)
    • [2]1979年8月10日設立。創立のプロジェクトメンバーは「日本にマッチした、世界のどこにもない保険会社」を構想
  • 日経ビジネス 1976年6月21日号
    • [3]1976年時点で日本の生保は認可事項が広く大蔵省に包括的監督命令権、会社数は戦後一貫して20社(合弁の西武オールステートを含め21社)、日本生命常務は対日進出はありえないと評価
    • [4]1976年時点で日本の生保は認可事項が広く大蔵省に包括的監督命令権、会社数は戦後一貫して20社(合弁の西武オールステートを含め21社)、日本生命常務は対日進出はありえないと評価
    • [5]1976年時点で日本の生保は認可事項が広く大蔵省に包括的監督命令権、会社数は戦後一貫して20社(合弁の西武オールステートを含め21社)、日本生命常務は対日進出はありえないと評価
  • 日経ビジネス 1985年9月16日号
    • [6]坂口陽史氏:米レバノン・ヴァレー大学(数学)、ノースイースタン大学院(保険学)、日本人初のアクチュアリー、1974年オクシデンタル生命日本担当副社長(内認可後に本社が撤退命令)、1979年ソニー・プルデンシャル生命副社長。1979年7月の内認可直後にロサンゼルスの自宅で安藤国威副社長と打ち合わせ
    • [7]坂口陽史氏:米レバノン・ヴァレー大学(数学)、ノースイースタン大学院(保険学)、日本人初のアクチュアリー、1974年オクシデンタル生命日本担当副社長(内認可後に本社が撤退命令)、1979年ソニー・プルデンシャル生命副社長。1979年7月の内認可直後にロサンゼルスの自宅で安藤国威副社長と打ち合わせ
    • [8]坂口陽史氏:米レバノン・ヴァレー大学(数学)、ノースイースタン大学院(保険学)、日本人初のアクチュアリー、1974年オクシデンタル生命日本担当副社長(内認可後に本社が撤退命令)、1979年ソニー・プルデンシャル生命副社長。1979年7月の内認可直後にロサンゼルスの自宅で安藤国威副社長と打ち合わせ
    • [9]坂口陽史氏:米レバノン・ヴァレー大学(数学)、ノースイースタン大学院(保険学)、日本人初のアクチュアリー、1974年オクシデンタル生命日本担当副社長(内認可後に本社が撤退命令)、1979年ソニー・プルデンシャル生命副社長。1979年7月の内認可直後にロサンゼルスの自宅で安藤国威副社長と打ち合わせ

1981年〜大卒男子のライフプランナーによる営業と、保険料収入76億円への伸び

ソニー・プルデンシャル生命保険は、保険の販売をすべて大卒男子の営業職であるライフプランナーに担わせた。ライフプランナーは税金と金融商品の知識をもとに顧客の老後の計画について相談に乗り、生命保険を説得して売る商品として扱った。制度の出発点には、顧客ごとに異なる保障の必要を把握して解決策を示すには、知識と経験を持つ専門職が要るという考えがあった。開業式では創立者の盛田昭夫氏が社員を前に、『本当に日本に今までなかったような保険会社を創りあげたい』と求めた。地縁を足場に中年の女性が売る日本の生保の販売と比べ、この売り方は米国では標準の手法にあたる。営業職員の数で既存の生保と競うのではなく、1人ごとの相談の質を競争の焦点に置いたのだろう。

  • 日経ビジネス 1988年1月4日号
    • [11]販売はすべて大卒男子の営業職ライフプランナーが担当。税金・金融商品知識を背景に老後プラン等の相談に乗り、生命保険を「説得型商品」として販売。米国では普通の生保セールスの方法で、地縁ベースの中年女性による日本的セールスと対照的
    • [12]販売はすべて大卒男子の営業職ライフプランナーが担当。税金・金融商品知識を背景に老後プラン等の相談に乗り、生命保険を「説得型商品」として販売。米国では普通の生保セールスの方法で、地縁ベースの中年女性による日本的セールスと対照的
    • [15]販売はすべて大卒男子の営業職ライフプランナーが担当。税金・金融商品知識を背景に老後プラン等の相談に乗り、生命保険を「説得型商品」として販売。米国では普通の生保セールスの方法で、地縁ベースの中年女性による日本的セールスと対照的
  • ソニー生命 ディスクロージャー誌「ソニー生命の成り立ち」(後年の回顧)
    • [13]保障ニーズは十人十色で、把握し解決手段を示すには知識と経験が要るとしてライフプランナー制度が誕生。開業式で創立者の盛田昭夫が社員に新しい保険会社を創りたいと語った
    • [14]保障ニーズは十人十色で、把握し解決手段を示すには知識と経験が要るとしてライフプランナー制度が誕生。開業式で創立者の盛田昭夫が社員に新しい保険会社を創りたいと語った

1985年7月、42歳の坂口陽史氏が副社長から社長に昇格した。1987年3月期の保険料収入は76億7300万円。日本の生保大手と比べれば小さかったものの、プルデンシャルにとって日本の事業はカナダの事業より大きくなった。経常利益はまだ黒字化していなかったものの、2、3年のうちに黒字化すると見込まれていた。設立に参画した安藤国威氏は、1987年10月にプルデンシャルが資本を引き揚げた後、『合弁事業がうまく進みすぎれば、米国側が自前でやりたくなるのも当然のこと。こうなることは予想していた』と振り返った。合弁が順調に伸びたこと自体が、米国側に日本での自前の事業を促す理由になったとみられる。

  • 日経ビジネス 1985年9月16日号
    • [16]坂口陽史氏は1943年生まれ、1979年副社長、1985年(昭和60年)7月に42歳で社長就任
  • 日経ビジネス 1988年1月4日号
    • [17]1979年の設立以来全国に営業基盤を固め、1987年3月期の保険料収入76億7300万円。プルデンシャルにとって日本事業はカナダを上回る規模、経常利益は2、3年で黒字化が確実視。1987年10月にプルデンシャルが資本を引き揚げ全額出資の日本法人を設立
    • [18]1979年の設立以来全国に営業基盤を固め、1987年3月期の保険料収入76億7300万円。プルデンシャルにとって日本事業はカナダを上回る規模、経常利益は2、3年で黒字化が確実視。1987年10月にプルデンシャルが資本を引き揚げ全額出資の日本法人を設立
    • [19]1979年の設立以来全国に営業基盤を固め、1987年3月期の保険料収入76億7300万円。プルデンシャルにとって日本事業はカナダを上回る規模、経常利益は2、3年で黒字化が確実視。1987年10月にプルデンシャルが資本を引き揚げ全額出資の日本法人を設立
    • [20]1979年の設立以来全国に営業基盤を固め、1987年3月期の保険料収入76億7300万円。プルデンシャルにとって日本事業はカナダを上回る規模、経常利益は2、3年で黒字化が確実視。1987年10月にプルデンシャルが資本を引き揚げ全額出資の日本法人を設立
参考文献[11]-[20]
  • 日経ビジネス 1988年1月4日号
    • [11]販売はすべて大卒男子の営業職ライフプランナーが担当。税金・金融商品知識を背景に老後プラン等の相談に乗り、生命保険を「説得型商品」として販売。米国では普通の生保セールスの方法で、地縁ベースの中年女性による日本的セールスと対照的
    • [12]販売はすべて大卒男子の営業職ライフプランナーが担当。税金・金融商品知識を背景に老後プラン等の相談に乗り、生命保険を「説得型商品」として販売。米国では普通の生保セールスの方法で、地縁ベースの中年女性による日本的セールスと対照的
    • [15]販売はすべて大卒男子の営業職ライフプランナーが担当。税金・金融商品知識を背景に老後プラン等の相談に乗り、生命保険を「説得型商品」として販売。米国では普通の生保セールスの方法で、地縁ベースの中年女性による日本的セールスと対照的
    • [17]1979年の設立以来全国に営業基盤を固め、1987年3月期の保険料収入76億7300万円。プルデンシャルにとって日本事業はカナダを上回る規模、経常利益は2、3年で黒字化が確実視。1987年10月にプルデンシャルが資本を引き揚げ全額出資の日本法人を設立
    • [18]1979年の設立以来全国に営業基盤を固め、1987年3月期の保険料収入76億7300万円。プルデンシャルにとって日本事業はカナダを上回る規模、経常利益は2、3年で黒字化が確実視。1987年10月にプルデンシャルが資本を引き揚げ全額出資の日本法人を設立
    • [19]1979年の設立以来全国に営業基盤を固め、1987年3月期の保険料収入76億7300万円。プルデンシャルにとって日本事業はカナダを上回る規模、経常利益は2、3年で黒字化が確実視。1987年10月にプルデンシャルが資本を引き揚げ全額出資の日本法人を設立
    • [20]1979年の設立以来全国に営業基盤を固め、1987年3月期の保険料収入76億7300万円。プルデンシャルにとって日本事業はカナダを上回る規模、経常利益は2、3年で黒字化が確実視。1987年10月にプルデンシャルが資本を引き揚げ全額出資の日本法人を設立
  • ソニー生命 ディスクロージャー誌「ソニー生命の成り立ち」(後年の回顧)
    • [13]保障ニーズは十人十色で、把握し解決手段を示すには知識と経験が要るとしてライフプランナー制度が誕生。開業式で創立者の盛田昭夫が社員に新しい保険会社を創りたいと語った
    • [14]保障ニーズは十人十色で、把握し解決手段を示すには知識と経験が要るとしてライフプランナー制度が誕生。開業式で創立者の盛田昭夫が社員に新しい保険会社を創りたいと語った
  • 日経ビジネス 1985年9月16日号
    • [16]坂口陽史氏は1943年生まれ、1979年副社長、1985年(昭和60年)7月に42歳で社長就任

出典・参考

4件
出典・参考
  • 日経ビジネス 1976年6月21日号
  • 日経ビジネス 1985年9月16日号
  • 日経ビジネス 1988年1月4日号
  • ソニー生命 ディスクロージャー誌「ソニー生命の成り立ち」(後年の回顧)

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