村田昭
村田製作所・元代表取締役社長(株式会社に改組)
社長就任 1950年12月
生年月日 —
学歴 京都市立第一商業学校中退
出自 —
社長就任までの出自
出自
生家は碍子屋で、焼き物づくりの工程で得た知識を電子部品に持ち込んだことが出発点になった。1921年に京都で生まれた。京都一商は1936年に中退している。1944年10月、京都市内にあった染物工場の跡地を借り受け、村田製作所を個人経営で興した。三菱電機伊丹製作所の協力工場となり、チタン酸化物セラミックコンデンサを造り始めた。1950年12月には資本金100万円の株式会社に改め、代表取締役社長の座に就いた。
部品専業への特化社長に選ばれた経緯
抜擢
創業者が個人経営から法人へ移した1950年12月の改組がそのまま就任である。工場は男性職人1名と女性約10名の規模で、外部から買った原料の不純物により不良品が続出し、4カ月近い生産中止に追い込まれていた。1963年3月に大阪証券取引所市場第二部へ上場したのちも社長を続け、1977年時点で代表取締役に並ぶ専務3氏はいずれも1951年から1957年の入社であった。創業者以外に経営を託す相手が社内に育つ前の法人化だったとみられる。
在任中の主な施策
施策
原料の調合から成形・焼成・加工までを自社で握り、生産機械も社内で開発し、完成品メーカーへの転業はしないと決めた。海外は1961年の対米輸出、1965年5月の米国販売会社設立と広げ、1980年9月にはカナダのエリー社(ETP)の株式3分の2を取得して米国・カナダ・西独・メキシコの工場とフランス・イタリアの販売会社を引き受けた。単体売上高は1967年3月期の48億円から1985年3月期に1,573億円へ伸びた。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1944〜1950年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-