中谷太郎
経歴1968〜1968年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1968年主要役職の状況(推定含む目安)1968年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | 東亞医用電子(現シスメックス) | 1968 | 設立 |
創業ストーリー
創業ストーリー
1960年5月、拡声装置の大手であった東亞特殊電機(現TOA)の副社長だった中谷太郎氏は、新しい事業の種を求めて渡米した。中谷太郎氏はかねて「経営は一本足より二本足、二本足より三本足」と多角化を考えていた。訪れた米国では人間ドックが広まりつつあり、病気のない人まで検査を受ける予防医学が始まっていた。血液は人の健康状態を示す情報であり、それを正確に測る機器には大きな需要があると読んだ。
- シスメックス 公式サイト「沿革(年表)」
- [1]1960年5月 拡声装置のトップメーカーであった東亞特殊電機(現TOA)当時副社長の中谷太郎が事業の新しい柱を求めて渡米。1961年6月 東亞特殊電機が医用電子機器業界へ進出方針決定、研究室を新設し3人の技術者が調査を開始。1963年12月 国内初の自動血球計数装置の実用化に成功(CC-1001)。1965年1月 創業者中谷太郎が「計数結果をお売りする」という企業姿勢を打ち出す。1967年7月 電気メーカーとして初めて開発した診断薬 希釈液「セルキット」・溶血剤「サポニン-S」を発売。1968年1月「わが社経営の基本的な考え方」を制定(現在の創業理念「三つの安心」)。1972年2月 医用電子機器開発製造部門を譲受、臨床検査機器専門メーカーとして新発足、海外初の拠点開設(ドイツ・ハンブルグの駐在員事務所)。1973年 加古川工場を新設し販売・開発・生産・総務部門を集結。1974年3月 中谷太郎が全社員に向けて「品質はこころ。企業の命だ」と訓示。1978年2月 製品ブランドを「トーア」から「シスメックス」へ変更。1979年10月 米国現地法人を設立
- 『シェア第一位:小さなガリバー』(毎日新聞社, 1985年11月)東亜医用電子社長・川辺洋一氏の談
- [2]東亜特電の社長だった創業者の故中谷太郎氏は「経営は一本足より二本足、二本足より三本足」と多角化の柱を考えていた。訪米し、人間ドックが普及し始め、健康な人も検査を受ける予防医学の始まりを目のあたりにした。中谷氏はここに目をつけ、別会社の当社を作ったが、自主独立の考えから東亜特電の出資ではなく中谷氏らの個人出資だ。血液は人間の健康情報を示し、正確につかめば大きな需要があるとよんだ。血球数はほとんどの病院で専門検査技師が顕微鏡を使い肉眼で数えていた。先発のコールター社製を輸入商社が販売していたが、わが社はメーカーとして親身のアフタサービスができ、一県一代理店制をとった
- [3]東亜特電の社長だった創業者の故中谷太郎氏は「経営は一本足より二本足、二本足より三本足」と多角化の柱を考えていた。訪米し、人間ドックが普及し始め、健康な人も検査を受ける予防医学の始まりを目のあたりにした。中谷氏はここに目をつけ、別会社の当社を作ったが、自主独立の考えから東亜特電の出資ではなく中谷氏らの個人出資だ。血液は人間の健康情報を示し、正確につかめば大きな需要があるとよんだ。血球数はほとんどの病院で専門検査技師が顕微鏡を使い肉眼で数えていた。先発のコールター社製を輸入商社が販売していたが、わが社はメーカーとして親身のアフタサービスができ、一県一代理店制をとった
- [4]東亜特電の社長だった創業者の故中谷太郎氏は「経営は一本足より二本足、二本足より三本足」と多角化の柱を考えていた。訪米し、人間ドックが普及し始め、健康な人も検査を受ける予防医学の始まりを目のあたりにした。中谷氏はここに目をつけ、別会社の当社を作ったが、自主独立の考えから東亜特電の出資ではなく中谷氏らの個人出資だ。血液は人間の健康情報を示し、正確につかめば大きな需要があるとよんだ。血球数はほとんどの病院で専門検査技師が顕微鏡を使い肉眼で数えていた。先発のコールター社製を輸入商社が販売していたが、わが社はメーカーとして親身のアフタサービスができ、一県一代理店制をとった
帰国後の1961年6月、東亞特殊電機は医用電子機器の分野へ進む方針を決め、研究室を新設して3人の技術者に調査を始めさせた。当時の病院では、専門の検査技師が顕微鏡を使って血球を肉眼で数えていた。1963年12月、国内初の自動血球計数装置「CC-1001」の実用化に成功した。国産化には大阪大学医学部の協力を得ており、輸入の米国製より小さな病院でも採算が取れる点を売りとした。1965年1月には「計数結果をお売りする」という方針を打ち出し、1967年7月に希釈液と溶血剤を、電気メーカーとして初めての診断薬として発売した。
- シスメックス 公式サイト「沿革(年表)」
- [5]1960年5月 拡声装置のトップメーカーであった東亞特殊電機(現TOA)当時副社長の中谷太郎が事業の新しい柱を求めて渡米。1961年6月 東亞特殊電機が医用電子機器業界へ進出方針決定、研究室を新設し3人の技術者が調査を開始。1963年12月 国内初の自動血球計数装置の実用化に成功(CC-1001)。1965年1月 創業者中谷太郎が「計数結果をお売りする」という企業姿勢を打ち出す。1967年7月 電気メーカーとして初めて開発した診断薬 希釈液「セルキット」・溶血剤「サポニン-S」を発売。1968年1月「わが社経営の基本的な考え方」を制定(現在の創業理念「三つの安心」)。1972年2月 医用電子機器開発製造部門を譲受、臨床検査機器専門メーカーとして新発足、海外初の拠点開設(ドイツ・ハンブルグの駐在員事務所)。1973年 加古川工場を新設し販売・開発・生産・総務部門を集結。1974年3月 中谷太郎が全社員に向けて「品質はこころ。企業の命だ」と訓示。1978年2月 製品ブランドを「トーア」から「シスメックス」へ変更。1979年10月 米国現地法人を設立
- [7]1960年5月 拡声装置のトップメーカーであった東亞特殊電機(現TOA)当時副社長の中谷太郎が事業の新しい柱を求めて渡米。1961年6月 東亞特殊電機が医用電子機器業界へ進出方針決定、研究室を新設し3人の技術者が調査を開始。1963年12月 国内初の自動血球計数装置の実用化に成功(CC-1001)。1965年1月 創業者中谷太郎が「計数結果をお売りする」という企業姿勢を打ち出す。1967年7月 電気メーカーとして初めて開発した診断薬 希釈液「セルキット」・溶血剤「サポニン-S」を発売。1968年1月「わが社経営の基本的な考え方」を制定(現在の創業理念「三つの安心」)。1972年2月 医用電子機器開発製造部門を譲受、臨床検査機器専門メーカーとして新発足、海外初の拠点開設(ドイツ・ハンブルグの駐在員事務所)。1973年 加古川工場を新設し販売・開発・生産・総務部門を集結。1974年3月 中谷太郎が全社員に向けて「品質はこころ。企業の命だ」と訓示。1978年2月 製品ブランドを「トーア」から「シスメックス」へ変更。1979年10月 米国現地法人を設立
- [9]1960年5月 拡声装置のトップメーカーであった東亞特殊電機(現TOA)当時副社長の中谷太郎が事業の新しい柱を求めて渡米。1961年6月 東亞特殊電機が医用電子機器業界へ進出方針決定、研究室を新設し3人の技術者が調査を開始。1963年12月 国内初の自動血球計数装置の実用化に成功(CC-1001)。1965年1月 創業者中谷太郎が「計数結果をお売りする」という企業姿勢を打ち出す。1967年7月 電気メーカーとして初めて開発した診断薬 希釈液「セルキット」・溶血剤「サポニン-S」を発売。1968年1月「わが社経営の基本的な考え方」を制定(現在の創業理念「三つの安心」)。1972年2月 医用電子機器開発製造部門を譲受、臨床検査機器専門メーカーとして新発足、海外初の拠点開設(ドイツ・ハンブルグの駐在員事務所)。1973年 加古川工場を新設し販売・開発・生産・総務部門を集結。1974年3月 中谷太郎が全社員に向けて「品質はこころ。企業の命だ」と訓示。1978年2月 製品ブランドを「トーア」から「シスメックス」へ変更。1979年10月 米国現地法人を設立
- 『シェア第一位:小さなガリバー』(毎日新聞社, 1985年11月)東亜医用電子社長・川辺洋一氏の談
- [6]東亜特電の社長だった創業者の故中谷太郎氏は「経営は一本足より二本足、二本足より三本足」と多角化の柱を考えていた。訪米し、人間ドックが普及し始め、健康な人も検査を受ける予防医学の始まりを目のあたりにした。中谷氏はここに目をつけ、別会社の当社を作ったが、自主独立の考えから東亜特電の出資ではなく中谷氏らの個人出資だ。血液は人間の健康情報を示し、正確につかめば大きな需要があるとよんだ。血球数はほとんどの病院で専門検査技師が顕微鏡を使い肉眼で数えていた。先発のコールター社製を輸入商社が販売していたが、わが社はメーカーとして親身のアフタサービスができ、一県一代理店制をとった
- 『神戸の中堅130社』(日本経済新聞社, 1979年3月)
- [8]自動血球計数器は阪大医学部の協力を得て国産化に成功。小さな病院が導入しても採算がとれるのが利点。五十二年、米国の展示会に出品したところ血小板計数器が関係者の目を引いた。「国内で満足していてはレベルアップは望めない。"ME本国"でもまれてこそ一流のMEメーカーになれる」(中谷社長)として五十三年から米国市場への売り込みを始めた。五十三年五月に試薬工場を夢前町に新設
1968年1月、経営の基本的な考え方をまとめた「わが社経営の基本的な考え方」を定めた。現在の創業理念「三つの安心」にあたり、取引先・従業員へ安心を提供することを経営の軸と定めている。同年2月、東亞特殊電機が製造する血球計数装置の販売会社として、神戸市兵庫区に東亞医用電子(現シスメックス)を設立した。出資は東亞特殊電機ではなく、自主独立の考えから中谷太郎氏らの個人出資とした。中谷太郎氏は創業者として初代社長に就任した。
- シスメックス 公式サイト「沿革(年表)」
- [10]1960年5月 拡声装置のトップメーカーであった東亞特殊電機(現TOA)当時副社長の中谷太郎が事業の新しい柱を求めて渡米。1961年6月 東亞特殊電機が医用電子機器業界へ進出方針決定、研究室を新設し3人の技術者が調査を開始。1963年12月 国内初の自動血球計数装置の実用化に成功(CC-1001)。1965年1月 創業者中谷太郎が「計数結果をお売りする」という企業姿勢を打ち出す。1967年7月 電気メーカーとして初めて開発した診断薬 希釈液「セルキット」・溶血剤「サポニン-S」を発売。1968年1月「わが社経営の基本的な考え方」を制定(現在の創業理念「三つの安心」)。1972年2月 医用電子機器開発製造部門を譲受、臨床検査機器専門メーカーとして新発足、海外初の拠点開設(ドイツ・ハンブルグの駐在員事務所)。1973年 加古川工場を新設し販売・開発・生産・総務部門を集結。1974年3月 中谷太郎が全社員に向けて「品質はこころ。企業の命だ」と訓示。1978年2月 製品ブランドを「トーア」から「シスメックス」へ変更。1979年10月 米国現地法人を設立
- シスメックス「Sysmex Report 2021」(シスメックス, 2021年)創業当時から変わらぬ想い
- [11]創業理念「三つの安心」は、取引先・従業員へ「安心」を提供することを経営の軸にすると定めたもの
- シスメックス 有価証券報告書【沿革】
- [12]1968年2月 東亞特殊電機株式会社(現TOA株式会社)が製造する血球計数装置の販売会社として兵庫県神戸市兵庫区下沢通5丁目4番地に東亞医用電子株式会社を設立。1972年2月 東亞特殊電機の医用電子機器開発製造部門の営業を譲受
- 『シェア第一位:小さなガリバー』(毎日新聞社, 1985年11月)東亜医用電子社長・川辺洋一氏の談
- [13]東亜特電の社長だった創業者の故中谷太郎氏は「経営は一本足より二本足、二本足より三本足」と多角化の柱を考えていた。訪米し、人間ドックが普及し始め、健康な人も検査を受ける予防医学の始まりを目のあたりにした。中谷氏はここに目をつけ、別会社の当社を作ったが、自主独立の考えから東亜特電の出資ではなく中谷氏らの個人出資だ。血液は人間の健康情報を示し、正確につかめば大きな需要があるとよんだ。血球数はほとんどの病院で専門検査技師が顕微鏡を使い肉眼で数えていた。先発のコールター社製を輸入商社が販売していたが、わが社はメーカーとして親身のアフタサービスができ、一県一代理店制をとった
- Sysmex ニュースリリース「FY2014 Nakatani Award and Research Grant Recipients Announced」(2015年3月11日)
- [14]The Foundation was established in April 1984 as The Nakatani Foundation of Electronic Measuring Technology Advancement, endowed principally by Sysmex and its founder and first president, the late Taro Nakatani
1972年2月、東亞特殊電機の医用電子機器開発製造部門を譲り受け、臨床検査機器の専門メーカーとして新たに発足した。同じ年にドイツのハンブルクへ駐在員事務所を開設し、海外初の拠点とした。1973年には兵庫県加古川市に加古川工場を設け、販売・開発・生産・総務の部門を集めた。販売では一県一代理店制を敷き、輸入商社が扱う先発のコールター社製に対して、メーカーとしてのアフターサービスで差をつけた。1974年3月の創立記念式では、全社員に向けて「品質はこころ。企業の命だ」と訓示している。
- シスメックス 公式サイト「沿革(年表)」
- [15]1960年5月 拡声装置のトップメーカーであった東亞特殊電機(現TOA)当時副社長の中谷太郎が事業の新しい柱を求めて渡米。1961年6月 東亞特殊電機が医用電子機器業界へ進出方針決定、研究室を新設し3人の技術者が調査を開始。1963年12月 国内初の自動血球計数装置の実用化に成功(CC-1001)。1965年1月 創業者中谷太郎が「計数結果をお売りする」という企業姿勢を打ち出す。1967年7月 電気メーカーとして初めて開発した診断薬 希釈液「セルキット」・溶血剤「サポニン-S」を発売。1968年1月「わが社経営の基本的な考え方」を制定(現在の創業理念「三つの安心」)。1972年2月 医用電子機器開発製造部門を譲受、臨床検査機器専門メーカーとして新発足、海外初の拠点開設(ドイツ・ハンブルグの駐在員事務所)。1973年 加古川工場を新設し販売・開発・生産・総務部門を集結。1974年3月 中谷太郎が全社員に向けて「品質はこころ。企業の命だ」と訓示。1978年2月 製品ブランドを「トーア」から「シスメックス」へ変更。1979年10月 米国現地法人を設立
- [17]1960年5月 拡声装置のトップメーカーであった東亞特殊電機(現TOA)当時副社長の中谷太郎が事業の新しい柱を求めて渡米。1961年6月 東亞特殊電機が医用電子機器業界へ進出方針決定、研究室を新設し3人の技術者が調査を開始。1963年12月 国内初の自動血球計数装置の実用化に成功(CC-1001)。1965年1月 創業者中谷太郎が「計数結果をお売りする」という企業姿勢を打ち出す。1967年7月 電気メーカーとして初めて開発した診断薬 希釈液「セルキット」・溶血剤「サポニン-S」を発売。1968年1月「わが社経営の基本的な考え方」を制定(現在の創業理念「三つの安心」)。1972年2月 医用電子機器開発製造部門を譲受、臨床検査機器専門メーカーとして新発足、海外初の拠点開設(ドイツ・ハンブルグの駐在員事務所)。1973年 加古川工場を新設し販売・開発・生産・総務部門を集結。1974年3月 中谷太郎が全社員に向けて「品質はこころ。企業の命だ」と訓示。1978年2月 製品ブランドを「トーア」から「シスメックス」へ変更。1979年10月 米国現地法人を設立
- [18]1960年5月 拡声装置のトップメーカーであった東亞特殊電機(現TOA)当時副社長の中谷太郎が事業の新しい柱を求めて渡米。1961年6月 東亞特殊電機が医用電子機器業界へ進出方針決定、研究室を新設し3人の技術者が調査を開始。1963年12月 国内初の自動血球計数装置の実用化に成功(CC-1001)。1965年1月 創業者中谷太郎が「計数結果をお売りする」という企業姿勢を打ち出す。1967年7月 電気メーカーとして初めて開発した診断薬 希釈液「セルキット」・溶血剤「サポニン-S」を発売。1968年1月「わが社経営の基本的な考え方」を制定(現在の創業理念「三つの安心」)。1972年2月 医用電子機器開発製造部門を譲受、臨床検査機器専門メーカーとして新発足、海外初の拠点開設(ドイツ・ハンブルグの駐在員事務所)。1973年 加古川工場を新設し販売・開発・生産・総務部門を集結。1974年3月 中谷太郎が全社員に向けて「品質はこころ。企業の命だ」と訓示。1978年2月 製品ブランドを「トーア」から「シスメックス」へ変更。1979年10月 米国現地法人を設立
- [20]1960年5月 拡声装置のトップメーカーであった東亞特殊電機(現TOA)当時副社長の中谷太郎が事業の新しい柱を求めて渡米。1961年6月 東亞特殊電機が医用電子機器業界へ進出方針決定、研究室を新設し3人の技術者が調査を開始。1963年12月 国内初の自動血球計数装置の実用化に成功(CC-1001)。1965年1月 創業者中谷太郎が「計数結果をお売りする」という企業姿勢を打ち出す。1967年7月 電気メーカーとして初めて開発した診断薬 希釈液「セルキット」・溶血剤「サポニン-S」を発売。1968年1月「わが社経営の基本的な考え方」を制定(現在の創業理念「三つの安心」)。1972年2月 医用電子機器開発製造部門を譲受、臨床検査機器専門メーカーとして新発足、海外初の拠点開設(ドイツ・ハンブルグの駐在員事務所)。1973年 加古川工場を新設し販売・開発・生産・総務部門を集結。1974年3月 中谷太郎が全社員に向けて「品質はこころ。企業の命だ」と訓示。1978年2月 製品ブランドを「トーア」から「シスメックス」へ変更。1979年10月 米国現地法人を設立
- シスメックス 有価証券報告書【沿革】
- [16]1968年2月 東亞特殊電機株式会社(現TOA株式会社)が製造する血球計数装置の販売会社として兵庫県神戸市兵庫区下沢通5丁目4番地に東亞医用電子株式会社を設立。1972年2月 東亞特殊電機の医用電子機器開発製造部門の営業を譲受
- 『シェア第一位:小さなガリバー』(毎日新聞社, 1985年11月)東亜医用電子社長・川辺洋一氏の談
- [19]東亜特電の社長だった創業者の故中谷太郎氏は「経営は一本足より二本足、二本足より三本足」と多角化の柱を考えていた。訪米し、人間ドックが普及し始め、健康な人も検査を受ける予防医学の始まりを目のあたりにした。中谷氏はここに目をつけ、別会社の当社を作ったが、自主独立の考えから東亜特電の出資ではなく中谷氏らの個人出資だ。血液は人間の健康情報を示し、正確につかめば大きな需要があるとよんだ。血球数はほとんどの病院で専門検査技師が顕微鏡を使い肉眼で数えていた。先発のコールター社製を輸入商社が販売していたが、わが社はメーカーとして親身のアフタサービスができ、一県一代理店制をとった
中谷太郎氏は、国内で満足していては水準は上がらず、MEの本場の米国でもまれてこそ一流になれると説いた。1977年に米国の展示会へ出品した血小板計数器が関係者の目を引き、1978年から米国市場への売り込みを始めた。同じ1978年2月には製品ブランドを「トーア」から「シスメックス」へ改め、5月には兵庫県夢前町に試薬工場を新設した。1979年10月には米国現地法人を設立した。1984年4月には、シスメックスと中谷太郎氏の拠出を主として、電子計測技術の振興を目的とする財団(現・中谷財団)が設立された。
- 『神戸の中堅130社』(日本経済新聞社, 1979年3月)
- [21]自動血球計数器は阪大医学部の協力を得て国産化に成功。小さな病院が導入しても採算がとれるのが利点。五十二年、米国の展示会に出品したところ血小板計数器が関係者の目を引いた。「国内で満足していてはレベルアップは望めない。"ME本国"でもまれてこそ一流のMEメーカーになれる」(中谷社長)として五十三年から米国市場への売り込みを始めた。五十三年五月に試薬工場を夢前町に新設
- [22]自動血球計数器は阪大医学部の協力を得て国産化に成功。小さな病院が導入しても採算がとれるのが利点。五十二年、米国の展示会に出品したところ血小板計数器が関係者の目を引いた。「国内で満足していてはレベルアップは望めない。"ME本国"でもまれてこそ一流のMEメーカーになれる」(中谷社長)として五十三年から米国市場への売り込みを始めた。五十三年五月に試薬工場を夢前町に新設
- [24]自動血球計数器は阪大医学部の協力を得て国産化に成功。小さな病院が導入しても採算がとれるのが利点。五十二年、米国の展示会に出品したところ血小板計数器が関係者の目を引いた。「国内で満足していてはレベルアップは望めない。"ME本国"でもまれてこそ一流のMEメーカーになれる」(中谷社長)として五十三年から米国市場への売り込みを始めた。五十三年五月に試薬工場を夢前町に新設
- シスメックス 公式サイト「沿革(年表)」
- [23]1960年5月 拡声装置のトップメーカーであった東亞特殊電機(現TOA)当時副社長の中谷太郎が事業の新しい柱を求めて渡米。1961年6月 東亞特殊電機が医用電子機器業界へ進出方針決定、研究室を新設し3人の技術者が調査を開始。1963年12月 国内初の自動血球計数装置の実用化に成功(CC-1001)。1965年1月 創業者中谷太郎が「計数結果をお売りする」という企業姿勢を打ち出す。1967年7月 電気メーカーとして初めて開発した診断薬 希釈液「セルキット」・溶血剤「サポニン-S」を発売。1968年1月「わが社経営の基本的な考え方」を制定(現在の創業理念「三つの安心」)。1972年2月 医用電子機器開発製造部門を譲受、臨床検査機器専門メーカーとして新発足、海外初の拠点開設(ドイツ・ハンブルグの駐在員事務所)。1973年 加古川工場を新設し販売・開発・生産・総務部門を集結。1974年3月 中谷太郎が全社員に向けて「品質はこころ。企業の命だ」と訓示。1978年2月 製品ブランドを「トーア」から「シスメックス」へ変更。1979年10月 米国現地法人を設立
- [25]1960年5月 拡声装置のトップメーカーであった東亞特殊電機(現TOA)当時副社長の中谷太郎が事業の新しい柱を求めて渡米。1961年6月 東亞特殊電機が医用電子機器業界へ進出方針決定、研究室を新設し3人の技術者が調査を開始。1963年12月 国内初の自動血球計数装置の実用化に成功(CC-1001)。1965年1月 創業者中谷太郎が「計数結果をお売りする」という企業姿勢を打ち出す。1967年7月 電気メーカーとして初めて開発した診断薬 希釈液「セルキット」・溶血剤「サポニン-S」を発売。1968年1月「わが社経営の基本的な考え方」を制定(現在の創業理念「三つの安心」)。1972年2月 医用電子機器開発製造部門を譲受、臨床検査機器専門メーカーとして新発足、海外初の拠点開設(ドイツ・ハンブルグの駐在員事務所)。1973年 加古川工場を新設し販売・開発・生産・総務部門を集結。1974年3月 中谷太郎が全社員に向けて「品質はこころ。企業の命だ」と訓示。1978年2月 製品ブランドを「トーア」から「シスメックス」へ変更。1979年10月 米国現地法人を設立
- Sysmex ニュースリリース「FY2014 Nakatani Award and Research Grant Recipients Announced」(2015年3月11日)
- [26]The Foundation was established in April 1984 as The Nakatani Foundation of Electronic Measuring Technology Advancement, endowed principally by Sysmex and its founder and first president, the late Taro Nakatani
参考文献4件
参考文献
- シスメックス 公式サイト「沿革(年表)」
- Sysmex Report 2021(英語版)An Ideal Unchanged Since Our Founding
- Sysmex ニュースリリース「FY2014 Nakatani Award and Research Grant Recipients Announced」(2015年3月11日)
- 『シェア第一位:小さなガリバー』(毎日新聞社, 1985年11月)
事実根拠:出所(シスメックス)