株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)を設立
ネットバブル期の起業と市場選択
1999年3月、南場智子はマッキンゼーを退職し、株式会社ディー・エヌ・エーを設立した。当時はインターネットバブルの最盛期であり、ECやオークションといった分野には資金と人材が集まりやすい環境が整っていた。携帯電話の普及も始まりつつあり、既存産業に比べて参入障壁が低いと見られていた。 DeNAは創業初期の事業としてオークションサービス「ビッターズ」を選択したが、この領域ではすでにヤフージャパンが「ヤフオク」を展開し、強いネットワーク効果を形成し始めていた。加えて、楽天市場もECモールとして成長しており、後発参入のDeNAにとって市場環境は厳しかった。それでも当時の環境下では、EC・オークションは最も合理的に見える成長分野であった。
資金調達と内製化による事業継続
DeNAは2000年3月に13億円、2001年には9.1億円の資金調達を実施した。評価額はインターネットバブル崩壊の影響で下落したものの、創業期に十分な現金を確保したことで、事業継続の余地を残した。一方で、当初外注していたシステム開発が機能せず、開発が進んでいないことが判明するなど、事業運営上の問題も表面化した。 この状況を受けて、南場はシステム開発の内製化を決断し、社内エンジニアによる短期間での再構築を指示した。結果として1999年11月に「ビッターズ」はリリースされたが、ヤフオクとの差は埋まらず、ユーザー獲得競争では劣勢に立たされた。それでもDeNAは撤退を選ばず、資金を消耗しながらも事業を継続する判断を下した。
事業失速と財務的持久戦
ビッターズ事業は最終的に市場シェアを獲得できず、DeNAの業績は悪化した。2003年には欠損補填のため、資本準備金14億円と資本金9億円、合計23億円を取り崩す事態に至った。事業面では成功とは言い難い結果であったが、創業期に調達した資金が残存していたことにより、現預金約5億円を確保した状態で次の選択肢を検討できた。 また、DeNAは無借金経営を維持しており、インターネットバブル崩壊という外部環境の急変に対して、致命的な財務危機には陥らなかった。この期間は、事業としては失敗であった一方、後年のモバイル事業への転換を可能にする「時間」を買った局面であったと言える。
| FY | 総資産額 | 自己資本比率 | 従業員数 |
|---|---|---|---|
| 2000/3 | 20.3億円 | 95.3% | 18名 |
| 2001/3 | 17.5億円 | 85.8% | 50名 |
| 2002/3 | 11.0億円 | 87.7% | 62名 |
| 2003/3 | 9.1億円 | 75.6% | 70名 |
1999年、DeNAを起業しました。あのときの情熱は、まるで熱病にかかったようでした。 当時、私はマッキンゼーのコンサルタントで、同社のパートナーになっていました。普及が進んでいた携帯電話でオークションサイトをやったら面白いんじゃないかというアイデアを思いついて、コンサルタントとして他社の知り合いに熱心に勧めたのです。するとその人から「君がやればいいじゃない」と言われた。私は他人にアドバイスするのが仕事でしたから、自分がやるという発想がありませんでした。一瞬、「え?」って思ったけれど、次の瞬間から「わーっ」と情熱がわいてきたのです。
本当に企画を作って、開発は遠隔地のシステム開発会社に丸投げ。それでなんと、今日開発が終わって明日からテストという日に、コードが1行も書けていないという事態に見舞われます。ちょっと被害者のように言っちゃいけないね、自分が起こした問題なので。でも、そういうことが起こった。 既に競合の「ヤフオク!」などは始まっているし、企画も何回もやり直した末なので、もうこれ以上は遅れられないというデッドライン。開発が終わっているはずの日にコードがないという状況なので、私はどうしたかっていうと、まあパニックになりましたね。 そこに4人目の社員としていたこの人、我が社初めての、そしてその時オンリーワンのエンジニア。匿名希望の茂岩祐樹さんです。この人が、メチャクチャがんばった。もうコードが1行も書けていないというその日から自宅に帰らず、アパート引き払って会社に住民票を移して。本当に自宅に帰らないの。それも1週間や2週間じゃないんですね。数ヶ月。
- 株式会社ディー・エヌ・エーを設立
- ビッターズのサービス提供を開始
- 資金調達(評価額推定152億円)
- 資金調達(評価額推定130億円)
- 欠損補填で資本金・資本準備金を取り崩し
DeNAの創業期はオークション事業「ビッターズ」でヤフオクに対抗したが、ネットワーク効果の差を覆せず市場シェアの獲得には至らなかった。しかし、インターネットバブル期に実施した2度の資金調達で確保した現金と、無借金経営の維持により、事業撤退ではなく再選択が可能な財務余力を残した。バブル崩壊後に23億円の資本取り崩しを経てもなお現預金約5億円を保持できた事実は、創業期の資金戦略が次のモバイル転換を可能にした構造的要因であった。