大社義規
日本ハム・元鳥清ハム株式会社を合併し日本ハム株式会社へ商号変更、取締役社長
(敬称略) 生年月日 —
学歴 —
出自 —
- 出自
- 1915年に香川県で生まれた。叔父の藤沢克太郎氏が理事長を務める香川県養豚組合で営業を手伝ったのち、1942年3月に26歳で徳島市寺島本町へ総勢7人の食肉加工場を開いた。1945年に工場を戦災で焼失したが1948年に同じ市内で再建し、1951年12月、資本金150万円の徳島ハム株式会社に改組して代表取締役に就いた。1960年時点の持株比率は62.5%で、資本の裏づけを自ら持っていた。
- 抜擢
- 創業者本人であり、社長職に前任はいない。1962年に徳島ハム販売株式会社の取締役社長となり、同社は同年に徳島ハム株式会社へ商号を変更した。1963年8月、旭化成工業の宮崎輝社長の提案で業界4位の鳥清ハムを吸収合併して商号を日本ハムへ改めたのちも社長を務めた。1967年2月時点の専務3名は、鳥清ハムの共同経営者だった辻本満氏、旭化成工業から移った賀浩太郎氏、徳島時代からの鈴木茂雄氏で、合併相手と提携先の役員を並べたまま社長は創業者が握った。
- 施策
- 1956年5月に業界初の鉄筋コンクリート工場を大阪へ建て、1961年10月に大阪証券取引所第二部へ上場した。1963年8月の鳥清ハム合併で業界3位から首位へ移っている。前年に米スイフト社から打診された資本提携は断り、1969年に技術提携だけを結んだ。1973年1月には拓北ホームフライヤーズを買収して日本ハム・ファイターズを発足させ、球団を全国の営業網と結び付けた。1977年3月には米Day-Lee Foodsを買収し、加工の川上にある食肉へ入った。
- 評価
- 執筆予定
就任前-
退任時(FY01)9,451億円
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料
- 日本企業要覧 1967年版 経歴・出身地・生年
- 日本ハム 有価証券報告書 経歴