決断社寺建築を本業とした家が、施主を限らない請負業者へ転じたのが出発点である。明治25年の発足後、淺沼組は宮内省と内務省から指定請負業者に選ばれ、指定の範囲は近畿の府県の官公署へ広がった。民間でも南都銀行、大日本紡績、日本レイヨンが淺沼組を指定請負業者とした。指定を受けた年は資料に残っていないが、1966年の週刊誌はこれらを1926年の大阪進出より前の実績として並べている。皇室と国の建物を任された信用が、奈良の外の官公庁と紡績会社の工事へ受注先を広げたと考えられる。