第1章 年〜年

ニッセイ同和損害保険:横浜火災海上・共同火災海上・神戸海上・朝日海上の設立

1897年〜横浜の生糸業者が興した横浜火災海上と、三井・住友系の人が立てた共同火災海上

1897年8月、横浜の生糸業者を中心とする出資で、保険会社が横浜に設立された。日清戦争後の好況で生糸の輸出が増え、横浜の生糸問屋の間では輸出品を守る保険の需要が高まった。発起には原善三郎氏・小野光景氏・富田鉄之助氏ら横浜財界の有力者が名を連ね、土子金四郎氏も創立に加わった。生糸に掛ける火災保険の引き受けを目的に掲げ、日本で5番目の損害保険会社として発足した。資本金500万円は当時の業界で最大の額にあたり、同年11月1日に営業を始めた。社名は横浜火災保険で、のちに海上保険の事業免許を得て扱う種目を広げた。輸出の主力品の危険を、外国の保険会社に任せず地元の資本で引き受ける狙いがあったとみられる。

  • 会社銀行八十年史(1955年)「同和火災海上」
    • [1]1897年8月、横浜の生糸業者を中心に富田鉄之助・土子金四郎・小野光景らにより横浜に創立、合併時資本金1,250万円
    • [3]1897年8月、横浜の生糸業者を中心に富田鉄之助・土子金四郎・小野光景らにより横浜に創立、合併時資本金1,250万円
  • 同和火災海上保険『いま、ふたたび横浜から 同和火災海上創業90周年記念誌』(1987年)
    • [2]日清戦争後に生糸輸出が活発化し生糸問屋が輸出品保全の保険の必要を痛感、原善三郎・小野光景・富田鉄之助らの発起で生糸の火災保険引受を目的に横浜火災保険として設立、資本金500万円は当時業界最大、のち海上保険の事業免許を取得
    • [4]日清戦争後に生糸輸出が活発化し生糸問屋が輸出品保全の保険の必要を痛感、原善三郎・小野光景・富田鉄之助らの発起で生糸の火災保険引受を目的に横浜火災保険として設立、資本金500万円は当時業界最大、のち海上保険の事業免許を取得
    • [5]日清戦争後に生糸輸出が活発化し生糸問屋が輸出品保全の保険の必要を痛感、原善三郎・小野光景・富田鉄之助らの発起で生糸の火災保険引受を目的に横浜火災保険として設立、資本金500万円は当時業界最大、のち海上保険の事業免許を取得
    • [6]日清戦争後に生糸輸出が活発化し生糸問屋が輸出品保全の保険の必要を痛感、原善三郎・小野光景・富田鉄之助らの発起で生糸の火災保険引受を目的に横浜火災保険として設立、資本金500万円は当時業界最大、のち海上保険の事業免許を取得

横浜火災の設立から9年後の1906年6月、共同火災海上保険が創立された。村上定氏・田辺貞吉氏・森本清兵衛氏ら、三田系・三井系・住友系に連なる東西の財界人による発起。日露戦争は1905年9月の講和で終わっており、共同火災の創立はその9カ月後にあたる。共同火災はのちに本店を大阪へ移し、1944年の合併の時点で本店は大阪にあった。合併時の資本金は1,300万円で、横浜火災の1,250万円をわずかに上回った。合併後の同和火災で初代社長に就任した広瀬鍼太郎氏は、共同火災の社長を務めた人物である。日露戦争後に広がった財閥系の事業とその取引先の火災・海上の危険を、系列の内側で引き受ける狙いがあったと推察される。

  • 会社銀行八十年史(1955年)「同和火災海上」
    • [7]1906年6月、村上定・田辺貞吉・森本清兵衛ら三田・三井・住友系の人により創立(同書は東京で創立、のち本店を大阪へ移したとする)。合併時の初代社長広瀬鍼太郎はもと共同火災社長
    • [10]1906年6月、村上定・田辺貞吉・森本清兵衛ら三田・三井・住友系の人により創立(同書は東京で創立、のち本店を大阪へ移したとする)。合併時の初代社長広瀬鍼太郎はもと共同火災社長
    • [12]1906年6月、村上定・田辺貞吉・森本清兵衛ら三田・三井・住友系の人により創立(同書は東京で創立、のち本店を大阪へ移したとする)。合併時の初代社長広瀬鍼太郎はもと共同火災社長
  • 同和火災海上保険『いま、ふたたび横浜から 同和火災海上創業90周年記念誌』(1987年)
    • [8]1906年6月共同火災設立、三田系・三井系・住友系の東西有力財界人の発起。年表に日露戦争の講和条約締結1905年9月
    • [9]1906年6月共同火災設立、三田系・三井系・住友系の東西有力財界人の発起。年表に日露戦争の講和条約締結1905年9月
  • 同和火災海上保険『30年のあゆみ』(1974年)3.会社の沿革
    • [11]合併時の資本金は共同火災1,300万円・横浜火災1,250万円(4社が1944年に対等条件で合併)
参考文献[1]-[12]
  • 会社銀行八十年史(1955年)「同和火災海上」
    • [1]1897年8月、横浜の生糸業者を中心に富田鉄之助・土子金四郎・小野光景らにより横浜に創立、合併時資本金1,250万円
    • [3]1897年8月、横浜の生糸業者を中心に富田鉄之助・土子金四郎・小野光景らにより横浜に創立、合併時資本金1,250万円
    • [7]1906年6月、村上定・田辺貞吉・森本清兵衛ら三田・三井・住友系の人により創立(同書は東京で創立、のち本店を大阪へ移したとする)。合併時の初代社長広瀬鍼太郎はもと共同火災社長
    • [10]1906年6月、村上定・田辺貞吉・森本清兵衛ら三田・三井・住友系の人により創立(同書は東京で創立、のち本店を大阪へ移したとする)。合併時の初代社長広瀬鍼太郎はもと共同火災社長
    • [12]1906年6月、村上定・田辺貞吉・森本清兵衛ら三田・三井・住友系の人により創立(同書は東京で創立、のち本店を大阪へ移したとする)。合併時の初代社長広瀬鍼太郎はもと共同火災社長
  • 同和火災海上保険『いま、ふたたび横浜から 同和火災海上創業90周年記念誌』(1987年)
    • [2]日清戦争後に生糸輸出が活発化し生糸問屋が輸出品保全の保険の必要を痛感、原善三郎・小野光景・富田鉄之助らの発起で生糸の火災保険引受を目的に横浜火災保険として設立、資本金500万円は当時業界最大、のち海上保険の事業免許を取得
    • [4]日清戦争後に生糸輸出が活発化し生糸問屋が輸出品保全の保険の必要を痛感、原善三郎・小野光景・富田鉄之助らの発起で生糸の火災保険引受を目的に横浜火災保険として設立、資本金500万円は当時業界最大、のち海上保険の事業免許を取得
    • [5]日清戦争後に生糸輸出が活発化し生糸問屋が輸出品保全の保険の必要を痛感、原善三郎・小野光景・富田鉄之助らの発起で生糸の火災保険引受を目的に横浜火災保険として設立、資本金500万円は当時業界最大、のち海上保険の事業免許を取得
    • [6]日清戦争後に生糸輸出が活発化し生糸問屋が輸出品保全の保険の必要を痛感、原善三郎・小野光景・富田鉄之助らの発起で生糸の火災保険引受を目的に横浜火災保険として設立、資本金500万円は当時業界最大、のち海上保険の事業免許を取得
    • [8]1906年6月共同火災設立、三田系・三井系・住友系の東西有力財界人の発起。年表に日露戦争の講和条約締結1905年9月
    • [9]1906年6月共同火災設立、三田系・三井系・住友系の東西有力財界人の発起。年表に日露戦争の講和条約締結1905年9月
  • 同和火災海上保険『30年のあゆみ』(1974年)3.会社の沿革
    • [11]合併時の資本金は共同火災1,300万円・横浜火災1,250万円(4社が1944年に対等条件で合併)

1907年〜関西の船主が神戸に設立した神戸海上火災と、内田信也氏が興した朝日海上火災

1907年4月、神戸に本店を置く神戸海上火災保険が創立された。当時の神戸は横浜・長崎・函館と並ぶ貿易の拠点で、輸出入の増加に伴い海上保険の需要も増した。創立を主導したのは岡崎藤吉氏で、田中省三氏の協力を得て神戸財界の有力者を発起に加えた。出資には伊藤長次郎氏・辰馬吉左衛門氏ら関西の有力者と船主が名を連ねた。1920年の増資による資本金1,500万円への引き上げ。1944年の合併時もこの1,500万円は据え置かれ、4社のなかで最大の資本金だった。神戸を拠点とする船主が、自らの船と積荷の危険を地元の会社で引き受け、保険料を関西の内側に留める体制を求めたと思われる。

  • 会社銀行八十年史(1955年)「同和火災海上」
    • [13]1907年4月、岡崎藤吉・伊藤長次郎・辰馬吉左衛門ら関西の有力者・船主により創立、本店神戸
    • [16]1907年4月、岡崎藤吉・伊藤長次郎・辰馬吉左衛門ら関西の有力者・船主により創立、本店神戸
  • 同和火災海上保険『いま、ふたたび横浜から 同和火災海上創業90周年記念誌』(1987年)
    • [14]明治30年当時、横浜は神戸・長崎・函館と並ぶ貿易の中心地で、海上保険の需要も増大
    • [15]神戸海上は岡崎藤吉が田中省三の協力のもとに有力神戸財界人の発起で神戸に設立、1920年に資本金を1,500万円に増資
    • [17]神戸海上は岡崎藤吉が田中省三の協力のもとに有力神戸財界人の発起で神戸に設立、1920年に資本金を1,500万円に増資
  • 同和火災海上保険『30年のあゆみ』(1974年)3.会社の沿革
    • [18]合併時の資本金は神戸海上1,500万円・共同火災1,300万円・横浜火災1,250万円・朝日海上700万円

1918年8月、内田信也氏が主体となり、朝日海上火災保険が創立された。窪田四郎氏・勝田銀次郎氏らも創立に名を連ね、朝日海上はのちに本店を大阪へ移した。1921年には岡崎財閥の傘下に入り、神戸海上を興した岡崎藤吉氏の系統と結びついた。合併時の資本金は700万円と4社で最も小さく、神戸海上の1,500万円の半分に満たなかった。4社は1944年3月に対等の条件で合併し、資本金4,750万円の同和火災海上保険として発足した。合併の創立総会は、大阪市東区今橋にあった旧朝日海上の本店で開かれた。関西に本店を置く3社と横浜の1社という配置が、合併後に大阪へ本店を置く素地になったのだろう。

  • 会社銀行八十年史(1955年)「同和火災海上」
    • [19]1918年8月、内田信也氏が主体となり窪田四郎・勝田銀次郎らにより創立、のち本店を大阪に移す(同書は東京で創立とする)
    • [20]1918年8月、内田信也氏が主体となり窪田四郎・勝田銀次郎らにより創立、のち本店を大阪に移す(同書は東京で創立とする)
  • 同和火災海上保険『いま、ふたたび横浜から 同和火災海上創業90周年記念誌』(1987年)
    • [21]1918年朝日海上は内田信也を中心に設立、1921年に岡崎財閥翼下に吸収される
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「同和火災海上保険」
    • [22]朝日海上は大正7年設立・資本金700万円。4社が対等の条件で合併契約を締結し1944年3月に公称資本金4,750万円で発足
    • [23]朝日海上は大正7年設立・資本金700万円。4社が対等の条件で合併契約を締結し1944年3月に公称資本金4,750万円で発足
  • 同和火災海上保険『30年のあゆみ』(1974年)3.会社の沿革
    • [24]4社合併の創立総会は大阪市東区今橋2丁目の旧朝日海上火災保険本店で開催
参考文献[13]-[24]
  • 会社銀行八十年史(1955年)「同和火災海上」
    • [13]1907年4月、岡崎藤吉・伊藤長次郎・辰馬吉左衛門ら関西の有力者・船主により創立、本店神戸
    • [16]1907年4月、岡崎藤吉・伊藤長次郎・辰馬吉左衛門ら関西の有力者・船主により創立、本店神戸
    • [19]1918年8月、内田信也氏が主体となり窪田四郎・勝田銀次郎らにより創立、のち本店を大阪に移す(同書は東京で創立とする)
    • [20]1918年8月、内田信也氏が主体となり窪田四郎・勝田銀次郎らにより創立、のち本店を大阪に移す(同書は東京で創立とする)
  • 同和火災海上保険『いま、ふたたび横浜から 同和火災海上創業90周年記念誌』(1987年)
    • [14]明治30年当時、横浜は神戸・長崎・函館と並ぶ貿易の中心地で、海上保険の需要も増大
    • [15]神戸海上は岡崎藤吉が田中省三の協力のもとに有力神戸財界人の発起で神戸に設立、1920年に資本金を1,500万円に増資
    • [17]神戸海上は岡崎藤吉が田中省三の協力のもとに有力神戸財界人の発起で神戸に設立、1920年に資本金を1,500万円に増資
    • [21]1918年朝日海上は内田信也を中心に設立、1921年に岡崎財閥翼下に吸収される
  • 同和火災海上保険『30年のあゆみ』(1974年)3.会社の沿革
    • [18]合併時の資本金は神戸海上1,500万円・共同火災1,300万円・横浜火災1,250万円・朝日海上700万円
    • [24]4社合併の創立総会は大阪市東区今橋2丁目の旧朝日海上火災保険本店で開催
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「同和火災海上保険」
    • [22]朝日海上は大正7年設立・資本金700万円。4社が対等の条件で合併契約を締結し1944年3月に公称資本金4,750万円で発足
    • [23]朝日海上は大正7年設立・資本金700万円。4社が対等の条件で合併契約を締結し1944年3月に公称資本金4,750万円で発足

出典・参考

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出典・参考
  • 同和火災海上保険『30年のあゆみ』(1974年)3.会社の沿革
  • 会社銀行八十年史(1955年)「同和火災海上」
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「同和火災海上保険」
  • 同和火災海上保険『いま、ふたたび横浜から 同和火災海上創業90周年記念誌』(1987年)

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