決断
研究と生産を自社に集め、乱立した砒酸鉛の業界から抜け出した会社である。1930年に大阪・河内長野へ試験農場を開設し、製品の改良と施薬の指針を自社で示した。1934年には大阪・佃に新工場を建設し、長柄・箕島・神戸の3工場を集約。砒酸鉛の販売量は1937年度に内地向けで200万ポンドを超えた。戦後は外地の事業をすべて失ったが、1953年に埼玉・戸田の東京工場でパラチオン剤ホリドールの生産を開始し、関東へ進出した。1957年に社長に就任した海野景正氏はメーカーにかえる方針を掲げ、1959年1月に本社を東京へ移転。1962年9月期には自家製品が販売高の8割を占め、翌1963年7月に東京証券取引所市場第二部へ上場した。