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三木谷浩史氏が月5万円で開いた仮想商店街「楽天市場」の創業

1997年実施

興銀を辞した三木谷浩史氏は、なぜ破格の固定料金で個人商店主に賭けたのか

時期 1997年5月
意思決定者 三木谷浩史(社長)
論点 創業と事業モデルの設計
概要
1997年、日本興業銀行出身の三木谷浩史氏が株式会社エム・ディー・エムを設立し、月額5万円の固定料金で仮想商店街「楽天市場」を開業した創業の判断。開業時の出店は13店、運営にあたる社員は三木谷社長を含めて6人だった。
背景
インターネット通販の黎明期、先行するモールの多くは出店に相応の費用と専門知識を求め、パソコンに不慣れな個人商店主には敷居が高かった。三木谷社長は阪神・淡路大震災を機に銀行員としての人生観を見直し、興銀を辞して独立した。
内容
月5万円という破格の固定料金に加え、専門知識がなくても店主自身がオンラインの売り場を開設・更新できる仕組みで参入障壁を下げた。出店者が契約時に半年分を前払いする前受金型で、出店増に比例して資金が先に入る構造を採った。
含意
出店は1998年12月の約320店から2000年12月の約4,800店へ急増し、2000年4月の店頭登録で495億円を調達した。この資金が同年11月のインフォシーク90億円買収など後の大型投資の原資となった。
筆者の見解

破格の値付けが開いた市場

この創業判断の核心は、技術や品ぞろえよりも先に、出店者の裾野をどこまで広げられるかに賭けた点にある。当時のネット通販は、資力のある事業者が高い費用をかけて手がけるものだった。三木谷社長は逆に、月5万円という固定料金と専門知識の要らない仕組みで、パソコンに縁のなかった中小の商店主や農家までを売り手に変えた。売り手の数が増えれば品ぞろえと集客が厚みを増し、それがさらに出店を呼ぶ。破格の値付けは、単なる安売りではなく、この循環を回すための入口の設計だった。

もっとも、固定料金は成長とともに壁にも変わった。利用者が増えてシステムの負荷とコストが膨らむ一方、固定料金では収入が出店数でしか伸びない。楽天は2002年に月商に応じた従量課金を導入し、「第2の創業」と呼ぶ料金体系の見直しに踏み込む。それでも、月5万円で個人商店主に売り場を開いた1997年の選択は、日本のネット通販を一部の大手だけのものから広い裾野を持つ市場へと変えた。規模や資本の大きさではなく、誰に売り場を開くかで市場そのものを作り替えた点に、この創業判断の特徴がある。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

興銀を辞した銀行員の独立

三木谷浩史氏は1965年に神戸市で生まれ、一橋大学を卒業して1988年に日本興業銀行へ入行した[2]。同行では企業金融の現場に立ち、在職中には米国へ留学してハーバード大学で経営学修士を取得している。安定した銀行員の経歴を歩んでいた三木谷氏の転機となったのが、1995年1月の阪神・淡路大震災であった。故郷の神戸で親族を失った経験から、限られた人生を勤め人のまま終えることへの疑問を深め、勤め先を辞して自ら事業を興す道を選んだ[1]

黎明期のネット通販という空白

三木谷氏が独立を決めた1990年代半ば、日本ではインターネットがようやく家庭や事業所へ広がり始めた段階にあった。オンラインのショッピングモールには大手も名乗りを上げていたが、出店には相応の費用と専門的な知識が要り、全国の中小の商店や生産者には手の届きにくいものだった。全国に販路を広げたくてもその力を持たない中小零細の事業者にとって、インターネットは魅力ある売り場になり得たが、パソコンに不慣れな個人商店主が自分の店を持てる場は、まだ空白のまま残されていた[3]

決断

月5万円固定という破格の設計

1997年2月、三木谷氏は東京都港区愛宕で資本金1,000万円の株式会社エム・ディー・エムを設立した。同年5月、この会社がインターネット上の仮想商店街「楽天市場」を開業する[4]。開業時に集まった出店はわずか13店、運営にあたる社員も三木谷社長を含めて6人という小さな門出だった[5][6]。事業の主目的は当初から仮想商店街の運営に置かれ、後年の楽天を形づくる原型がここにあった。

三木谷社長がこの事業に据えた核心は料金の設計にあった。先行するモールが高い出店料を求めるなか、楽天市場は月額5万円という固定料金を打ち出す。これは当時のバーチャルモール市場で「価格破壊」と呼ばれるほどの破格の水準であり、インターネットやパソコンの知識が乏しくても、店主自身がオンラインの売り場を開設し、商品ページを書き換えられる仕組みをあわせて用意した[7]。複雑なプログラミングを必要としない設計は、パソコンに縁のなかった個人商店主や農家までを売り手に取り込み、出店の敷居を一段引き下げた[8]

前受金型で先に資金が入るモデル

料金体系には、事業を自力で回すための工夫も組み込まれた。出店者は契約の時点で半年分のシステム利用料を前払いする。出店が増えるほど、サービスを提供する前に受け取る利用料の総額も積み上がり、外部からの資金調達に頼らずに運転資金をまかなえる構造だった[9]。売上に連動した手数料ではなく固定料金を選んだのは、開設まもない出店者の負担を軽くするためでもあった[10]。こうした設計により、赤字が目立った当時のネット企業のなかで、楽天は1998年12月期から2期連続の経常黒字を計上した[11]

結果

出店の急増と日本のネット通販市場の定着

破格の料金設計は出店の急増を呼んだ。出店数は1998年12月の約320店から、1999年12月に約1,800店、2000年12月には約4,800店へと伸び、2003年1月には約6,150店に達した[12]。国内の小売販売が振るわない時期にあっても、楽天市場を通じた取引の総額は2001年の523億円から2002年の750億円へと約4割増えた[13]。物理的な店舗網を持たない楽天にとって、消費者が価格と品ぞろえを求めてインターネットへ向かう流れは追い風となり、ネット通販が既存の流通を補う仕組みへ立ち上がる時期の中心に楽天市場があった。

急成長を背に、楽天は1999年6月にサービス名と社名をそろえて楽天株式会社へ商号を改め、2000年4月に日本証券業協会の店頭市場へ株式を公開した[14]。この店頭登録で楽天は495億円を調達する[15]。赤字企業が多かったネットベンチャーのなかで2期連続黒字の希少な会社と見なされた結果だった。集めた資金は、同年11月にポータルサイト「Infoseek」を運営するインフォシークを90億円で完全子会社化するなど、その後の大型投資の原資となった[16]。月5万円で始めた仮想商店街は、旅行や金融へと事業を広げる楽天の土台をここで固めた。

出典・参考
  • 楽天グループ 有価証券報告書【沿革】
  • 日経ビジネス 2000年10月23日号
  • 日経ビジネス 2000年12月11日号「資金遊ばせていた楽天、ようやく大型買収」
  • 日経ビジネス 2003年2月10日号「楽天 第2の創業で成長を持続」
  • 日経ビジネス 2004年3月22日号(編集長インタビュー)
  • ITmedia NEWS 2007年6月26日「楽天市場、2万店突破 オープン10年で」
  • ITmedia 2018年2月19日「起業家、楽天『三木谷浩史』はいかにして生まれたか」
  • 上阪徹『突き抜けろ 三木谷浩史と楽天、25年の軌跡』(幻冬舎, 2023)