極洋の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

南氷洋で損を出した翌年、拿捕を恐れる同業を説き伏せて北洋へ船団を出した。1951年10月、ばいかる丸の単独船団は南氷洋へ出たが、国際捕鯨会議の制限で獲れたのは食用にならない抹香鯨だけで、帰港時には鯨油がトン当たり16万円から4万円に下がっていた。法華津孝太氏の回想では、損失は2億円に及んだ。1952年7月、法華津孝太氏はソ連との戦争状態が解けないなか、反対する大洋漁業と日本水産から捕鯨船を1隻ずつ出させ、3社共同の船団をカムチャッカ東南の公海へ送った。船団はひげ鯨319頭を積んで戻り、1953年度の総収入は7億9000万円から13億8000万円へほぼ倍増した。北洋で拿捕されずに操業できると確かめたことが、1954年度の鮭鱒流網漁業への参入につながっている。

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