セブンイレブン・ジャパン:製造時刻報道を機にした共同配送と米サウスランド社の買収
分散型の弁当供給と問屋の共同配送、本家の買収による運営手法の逆輸出
1988年〜NHKが映した製造時刻表示のずれと、分散型に組み替えた弁当の製造・配送
1988年11月7日、NHKの番組「おはようジャーナル」がコンビニエンスストアの弁当の鮮度を取り上げた。カメラは納入業者の工場にも入り、表示と実際の製造時刻が2〜3時間離れている例を映した。本部が全納入業者を緊急に検査すると、ずれが大きいのは首都圏だった。店を集中させた首都圏では工場ごとの割り当て量が多く、1回の製造に時間がかかっていた。鈴木敏文社長は『自分達としては完璧な鮮度管理システムを作り上げているつもりでいながら、実際にはこんなに初歩的なバグ(プログラムの誤り)があった。』と認め、全工程の洗い直しを命じた。1989年2月期のチェーン全店売上高は6,863億円で、その量をこなす店の密度が表示の精度を崩していた。
- 日経ビジネス 1989年2月13日号
- [1]1988年11月7日、NHKの「おはようジャーナル」が「点検・調理済み食品」と題してコンビニエンスストアの弁当の鮮度を取り上げた
- [2]番組は調理済み食品ベンダーの工場にも取材に入り、表示時間と実際の製造時間に2〜3時間のずれがあることを報じた
- [3]全ベンダーへの緊急立ち入り検査の結果、全国の大部分のベンダーでは表示のずれは1時間以内で、首都圏ではずれが最大2〜3時間生じていた
- [4]店舗を集中出店している首都圏では各工場の割り当て製造量が多く、1回ごとの製造開始から終了までに時間がかかっていた
- [5]鈴木敏文社長は、それまでのシステムを一旦白紙に戻す必要があると判断し、全社に製造・配送・販売体制を洗い直して鮮度向上を妨げる要因をつぶすよう命じた
- セブン-イレブン・ジャパン 公式サイト「チェーン全店売上高推移」
- [6]1989年2月期のチェーン全店売上高は6,863億円
報道の半年前、本部は逆向きの対策を講じていた。1988年4月、三井物産に弁当・調理パンの物流会社トランス・フリートを設けさせ、配送を納入業者から切り離そうとした。だが荷を集めて回れば配送の時間は延び、生産を強い業者へ寄せれば工場全体の製造時間も縮まらない。報道の後、岩国修一常務は調理済み食品に限っては工程を分散させ、所要時間を削る方針を掲げた。配送の一本化は取りやめ、炊飯・調理・包装を並行して進めて製造時間を半分にし、能力が尽きれば分工場を建てさせた。費用の上昇は、食材の本部一括購入と、小地区ごとの代表業者による混載で抑えた。日配食品への傾斜が、のちに共同配送による時間指定の物流体制を組ませた。規模の利益より到着までの短さを優先する設計へ、供給網の前提が入れ替わった。
- 日経ビジネス 1989年2月13日号
- [7]1988年4月、三井物産に弁当・調理パンの物流子会社「トランス・フリート」を設立させた。本当の狙いは既存ベンダーから配送機能を取りあげることにあった
- [8]強い業者への生産集中は全工場の生産リードタイム短縮にはむしろマイナスで、配送をトランス・フリートに一本化すると集荷に時間がかかり配送時間は長くなる
- [9]岩国修一常務は、加工食品は製造・配送を集中してスケールメリットを得る方がよいが、調理済み食品は作業を分散し製造・配送のリードタイム短縮に力点を置くのが望ましいと説明した
- [10]配送一本化計画は一旦中止し、工場では調理・炊飯・パッキング・包装・仕分けを同時並行で処理して製造時間を2分の1に短縮し、稼働率が臨界点に達したら分工場を作るよう指導した
- [11]食材は本部による一括購入を推進し、配送は小地区ごとに代表ベンダーを決めて他の2社分の荷物を混載させた。ライン変更に伴う資金援助も本部が行った
- 日経ビジネス 1991年4月29日号
- [12]扱う商品が日配食品やファーストフードに傾斜したことが、EOS・POSの開発と共同配送によるジャスト・イン・タイムの物流体制の構築につながった
加工食品では、問屋をまとめる共同配送が摩擦を生んだ。大手問屋が共同で使う配送センターの建設費の分担をめぐり、1989年10月に明治屋との取引が止まった。明治屋は創業以来の取引先で、失った取引は年100億円に上った。倉庫を自前で持たない本部の下で、物流費の上昇は問屋が負い、人手不足がそれを重くした。問屋の負担を問われた鈴木敏文社長は『我々は何が売れるかという情報を全部押さえています。だから、無駄なものを運ばない。デリバリーコストは安くつくのです。』と答えた。1店の平均在庫はチェーン展開の初めの1,500万円から450万円に減り、1日の平均売上高は40万円から60万円に増えた。売れる品の情報を握る側が、運ぶ側の採算まで決める関係になっていた。
- 日経ビジネス 1990年6月11日号増刊号
- [13]1989年10月、セブン-イレブン・ジャパンと食品問屋の明治屋の取引が中止された。大手問屋間の共同配送事業で、明治屋が共配センター建設に伴うコスト負担に反発したのが引き金といわれる
- [14]明治屋はセブン-イレブン創業以来の取引先で、取引中止により年間100億円の取引先を失った
- [15]セブン-イレブンは自前の倉庫を持たず、物流コストの上昇は問屋側に寄せられている。人手不足が負担に拍車をかけていた
- 日経ビジネス 1990年8月27日号
- [16]小口配送が問屋や運送業者の負担になるとの批判について、鈴木敏文社長は、売れる商品の情報を押さえているので無駄なものを運ばず配送コストは安いと答えた
- [17]セブン-イレブンの店の平均在庫は約450万円で、チェーン展開開始時の1,500万円から3分の1以下になった。1日平均の売上高は40万円から60万円に上がった
参考文献[1]-[17]
- 日経ビジネス 1989年2月13日号
- [1]1988年11月7日、NHKの「おはようジャーナル」が「点検・調理済み食品」と題してコンビニエンスストアの弁当の鮮度を取り上げた
- [2]番組は調理済み食品ベンダーの工場にも取材に入り、表示時間と実際の製造時間に2〜3時間のずれがあることを報じた
- [3]全ベンダーへの緊急立ち入り検査の結果、全国の大部分のベンダーでは表示のずれは1時間以内で、首都圏ではずれが最大2〜3時間生じていた
- [4]店舗を集中出店している首都圏では各工場の割り当て製造量が多く、1回ごとの製造開始から終了までに時間がかかっていた
- [5]鈴木敏文社長は、それまでのシステムを一旦白紙に戻す必要があると判断し、全社に製造・配送・販売体制を洗い直して鮮度向上を妨げる要因をつぶすよう命じた
- [7]1988年4月、三井物産に弁当・調理パンの物流子会社「トランス・フリート」を設立させた。本当の狙いは既存ベンダーから配送機能を取りあげることにあった
- [8]強い業者への生産集中は全工場の生産リードタイム短縮にはむしろマイナスで、配送をトランス・フリートに一本化すると集荷に時間がかかり配送時間は長くなる
- [9]岩国修一常務は、加工食品は製造・配送を集中してスケールメリットを得る方がよいが、調理済み食品は作業を分散し製造・配送のリードタイム短縮に力点を置くのが望ましいと説明した
- [10]配送一本化計画は一旦中止し、工場では調理・炊飯・パッキング・包装・仕分けを同時並行で処理して製造時間を2分の1に短縮し、稼働率が臨界点に達したら分工場を作るよう指導した
- [11]食材は本部による一括購入を推進し、配送は小地区ごとに代表ベンダーを決めて他の2社分の荷物を混載させた。ライン変更に伴う資金援助も本部が行った
- [6]1989年2月期のチェーン全店売上高は6,863億円
- 日経ビジネス 1991年4月29日号
- [12]扱う商品が日配食品やファーストフードに傾斜したことが、EOS・POSの開発と共同配送によるジャスト・イン・タイムの物流体制の構築につながった
- 日経ビジネス 1990年6月11日号増刊号
- [13]1989年10月、セブン-イレブン・ジャパンと食品問屋の明治屋の取引が中止された。大手問屋間の共同配送事業で、明治屋が共配センター建設に伴うコスト負担に反発したのが引き金といわれる
- [14]明治屋はセブン-イレブン創業以来の取引先で、取引中止により年間100億円の取引先を失った
- [15]セブン-イレブンは自前の倉庫を持たず、物流コストの上昇は問屋側に寄せられている。人手不足が負担に拍車をかけていた
- 日経ビジネス 1990年8月27日号
- [16]小口配送が問屋や運送業者の負担になるとの批判について、鈴木敏文社長は、売れる商品の情報を押さえているので無駄なものを運ばず配送コストは安いと答えた
- [17]セブン-イレブンの店の平均在庫は約450万円で、チェーン展開開始時の1,500万円から3分の1以下になった。1日平均の売上高は40万円から60万円に上がった
1989年〜ハワイ58店の試験と、4億3,000万ドルで引き受けた米サウスランド社
米サウスランド社の傷は資本の側にあった。1987年、カナダの投資家から敵対的買収を仕掛けられ、創業家のトンプソン家が自社株を買い戻して上場を廃止した。直後にブラックマンデーが来て、総額18億ドルのジャンク債で年約3億ドルの金利を抱えた。セブン-イレブン・ジャパンは商標権を担保に410億円の実質的な債務保証を引き受け、1989年にハワイの58店を7,500万ドルで買った。1990年1月の支援要請から1年の交渉を経て、1991年3月5日に調印した。イトーヨーカ堂グループは4億3,000万ドルを払い込み、発行済株式の69.98%を得た。資金はイトーヨーカ堂が51%、セブン-イレブン・ジャパンが49%を分担し、米サウスランド社の買収の後もフランチャイズ契約は残った。ライセンスを受けた側が、与えた側の株主の座に就いた。
- 日経ビジネス 1991年4月29日号
- [18]サウスランド社は1987年にカナダの投資家から敵対的買収を仕掛けられ、防衛策として創業者のトンプソン家が自社株の公開買い付けを行い、株式を買い戻して上場を廃止した
- [19]上場廃止の直後にブラックマンデーに見舞われ、資金調達のため総額18億ドルのジャンク債を発行し、年間約3億ドルの金利を背負った
- [20]サウスランド社は日本のセブン-イレブンから商標権を担保にした410億円の実質的な債務保証を受け、ハワイの58店舗を7,500万ドル(105億円)で売却した
- [23]グループ内の資金分担はイトーヨーカ堂51%、セブン-イレブン・ジャパン49%。セブン-イレブン・ジャパンがサウスランド社と結ぶフランチャイズ契約はそのまま残った
- Decide 1991年7月号(鈴木敏文)
- [21]1990年1月にサウスランド社からイトーヨーカ堂側へ支援要請があり、1年にわたる交渉を経て1991年3月5日にニューヨークで調印式が行われた。セブン-イレブン・ジャパンからは鎌田誠晧専務が出席した
- [22]イトーヨーカ堂グループはサウスランド社に4億3,000万ドルを払い込み、発行済株式の69.98%を取得した
買い手は、損失の原因を金利に絞って見ていた。1990年12月期のサウスランド社は約2億7,600万ドルの損失を出す一方、売上高は83億4,700万ドルと前年より約1%増えた。1987年以降は店の改修も商品の供給も滞るなか、1店当たりの売上高が伸び続けた点を、交渉役の鎌田誠晧専務は評価した。資本の組み替えでジャンク債の大半は普通株に換わり、再建計画は36億ドルの長期借入金を1997年12月期に16億ドルへ減らす筋を描いた。イトーヨーカ堂も、店の競争力はまだ落ちていないと見て買収を決めた。残る課題は品ぞろえで、酒・たばこ・清涼飲料の売上比率は米国の49%に対し日本は21%だった。ファストフードと食品は日本の36%に対し米国は22%である。金利を消した後の本題は、値引きに頼る売り場を変えられるかにあった。
- 日経ビジネス 1991年4月29日号
- [24]サウスランド社は1990年12月期に約2億7,600万ドルの期間損失を出したが、売上高は83億4,700万ドルで前年比約1%増だった
- [25]買収交渉を担当した鎌田誠晧専務は、87年以降は資金難で店舗の改修も商品供給も十分でなかったのに店舗当たり平均売上高が伸び続けた点を評価した
- [26]資本の再編成でジャンク債はほとんど普通株に転換した。再建計画では90年12月期に36億ドルある長期借入金を97年12月期までに16億ドルに圧縮する
- [28]酒・たばこ・清涼飲料の売上構成比は日本のセブン-イレブンが21%、米国が49%(ガソリン除く)
- [29]ファーストフードと食品の売上構成比は日本のセブン-イレブンが36%、米国が22%(ガソリン除く)
- 日経ビジネス 1995年1月9日号
- [27]87年以降店舗の改修をせずとも店舗売上が微増を続けていたことから、ヨーカ堂は店舗の競争力は落ちていないと判断して買収を決断した
運営の移植は、先に買ったハワイで試した。現地法人を置き、仕入れ担当を2人から10人にして品目を1,700〜1,800から2,700〜2,800へ広げた。店内在庫は従来の5割以下に削り、配送は週1回から2回に増やした。本土ではテキサス州オースチンの50店で値引きをすべてやめ、新商品と価格帯の見直しで売上高を前年比平均17%伸ばした。日米の違いを理由に渋るサ社の役員に対し、鈴木敏文社長は『論理的にきちんと考えられたことは、そのとおり実行すれば間違いない。』という立場で方向を改めさせた。1992年には毎月300万ドルの赤字を出す卸・配送部門を抱え、物流センターをウォルマートの物流子会社マクレーンへ売る案を決めた。1994年第3四半期の売上高は18億3,219万ドルとなり、225店を売却・閉鎖しながら4年ぶりに前年同期を上回った。
- 日経ビジネス 1991年4月29日号
- [30]ハワイ店を買収したセブン-イレブンは現地法人を設立してバイヤーを2人から10人体制にし、実験店のデータをもとに商品数を1,700〜1,800品目から2,700〜2,800品目に増やした
- [31]ハワイでは店内在庫額を従来の5割以下に削減し、配送頻度を週1回から2回に増やした
- Decide 第9巻第11号(1992年)(鈴木敏文)
- [32]オースチンの50店舗でディスカウントを全部やめ、新製品の導入と価格帯の見直しを行った結果、売上高は前年比で最も伸びた店で35%、低い店でも7%、平均17%伸びた
- [33]サ社の役員は日本とアメリカは違うと抵抗したが、鈴木敏文社長は相当厳しく方向を転換させた
- 日経ビジネス 1995年1月9日号
- [34]卸・配送部門は毎月300万ドルの赤字を出しており、92年に物流センターの売却を決定し、鈴木敏文氏がウォルマートの物流子会社マクレーンと売却交渉を始めた
- [35]サウスランド社の1994年第3四半期売上高は18億3,219万ドルで、225店舗を売却・閉鎖したにもかかわらず4年ぶりに前年同期実績を上回った
参考文献[18]-[35]
- 日経ビジネス 1991年4月29日号
- [18]サウスランド社は1987年にカナダの投資家から敵対的買収を仕掛けられ、防衛策として創業者のトンプソン家が自社株の公開買い付けを行い、株式を買い戻して上場を廃止した
- [19]上場廃止の直後にブラックマンデーに見舞われ、資金調達のため総額18億ドルのジャンク債を発行し、年間約3億ドルの金利を背負った
- [20]サウスランド社は日本のセブン-イレブンから商標権を担保にした410億円の実質的な債務保証を受け、ハワイの58店舗を7,500万ドル(105億円)で売却した
- [23]グループ内の資金分担はイトーヨーカ堂51%、セブン-イレブン・ジャパン49%。セブン-イレブン・ジャパンがサウスランド社と結ぶフランチャイズ契約はそのまま残った
- [24]サウスランド社は1990年12月期に約2億7,600万ドルの期間損失を出したが、売上高は83億4,700万ドルで前年比約1%増だった
- [25]買収交渉を担当した鎌田誠晧専務は、87年以降は資金難で店舗の改修も商品供給も十分でなかったのに店舗当たり平均売上高が伸び続けた点を評価した
- [26]資本の再編成でジャンク債はほとんど普通株に転換した。再建計画では90年12月期に36億ドルある長期借入金を97年12月期までに16億ドルに圧縮する
- [28]酒・たばこ・清涼飲料の売上構成比は日本のセブン-イレブンが21%、米国が49%(ガソリン除く)
- [29]ファーストフードと食品の売上構成比は日本のセブン-イレブンが36%、米国が22%(ガソリン除く)
- [30]ハワイ店を買収したセブン-イレブンは現地法人を設立してバイヤーを2人から10人体制にし、実験店のデータをもとに商品数を1,700〜1,800品目から2,700〜2,800品目に増やした
- [31]ハワイでは店内在庫額を従来の5割以下に削減し、配送頻度を週1回から2回に増やした
- Decide 1991年7月号(鈴木敏文)
- [21]1990年1月にサウスランド社からイトーヨーカ堂側へ支援要請があり、1年にわたる交渉を経て1991年3月5日にニューヨークで調印式が行われた。セブン-イレブン・ジャパンからは鎌田誠晧専務が出席した
- [22]イトーヨーカ堂グループはサウスランド社に4億3,000万ドルを払い込み、発行済株式の69.98%を取得した
- 日経ビジネス 1995年1月9日号
- [27]87年以降店舗の改修をせずとも店舗売上が微増を続けていたことから、ヨーカ堂は店舗の競争力は落ちていないと判断して買収を決断した
- [34]卸・配送部門は毎月300万ドルの赤字を出しており、92年に物流センターの売却を決定し、鈴木敏文氏がウォルマートの物流子会社マクレーンと売却交渉を始めた
- [35]サウスランド社の1994年第3四半期売上高は18億3,219万ドルで、225店舗を売却・閉鎖したにもかかわらず4年ぶりに前年同期実績を上回った
- Decide 第9巻第11号(1992年)(鈴木敏文)
- [32]オースチンの50店舗でディスカウントを全部やめ、新製品の導入と価格帯の見直しを行った結果、売上高は前年比で最も伸びた店で35%、低い店でも7%、平均17%伸びた
- [33]サ社の役員は日本とアメリカは違うと抵抗したが、鈴木敏文社長は相当厳しく方向を転換させた
1992年〜陸将出身の栗田裕夫社長、NB14品目の値引きと都心の小型店EXPRESS
1992年10月、社長は鈴木敏文氏から栗田裕夫氏に代わった。イトーヨーカ堂の幹部が総会屋へ現金を渡していた不祥事を受け、鈴木氏が親会社の社長へ移ったための交代である。栗田氏は陸上自衛隊の第11師団長を務めた陸将で、1981年に入社し、店舗設計の統一規格を作った。1992年5月に常務となり、半年足らずで社長に就いた。就任直後にスーパーバイザーを集め、『良くないことでもきちんとトップまで報告が上がってくるような組織になれれば強くなる』と語った。鈴木氏はイトーヨーカ堂社長とセブン-イレブン・ジャパン会長を兼ね、サウスランド社の四半期ごとの役員会にも渡米して出た。方針を決める人は変わらず、その方針を現場に通す役が社長に回ったとみられる。
- 日経ビジネス 1992年12月21・28日号
- [36]栗田裕夫氏は1992年10月にセブン-イレブン・ジャパン社長に就任した
- [37]親会社イトーヨーカ堂の幹部が総会屋に現金を供与していた不祥事で、鈴木敏文前社長(現イトーヨーカ堂社長)から急きょ社長を引き継いだ
- [38]栗田裕夫氏は陸上自衛隊第11師団長(陸将)を退官して1981年にセブン-イレブン・ジャパンに入社し、入社2年ほどで店舗設計の統一規格を作った
- [39]1982年取締役、1992年5月常務、同年10月社長に就任した
- [40]就任早々からスーパーバイザーの会議を開き、まず鈴木イズムの確認と徹底を図りたいとした
- 日経ビジネス 1995年1月9日号
- [41]鈴木敏文氏はイトーヨーカ堂社長兼セブン-イレブン・ジャパン会長として、年4回・四半期決算ごとに開かれるサウスランド社の役員会に渡米して出席した
既存店の伸びが止まり、価格に手を付けた。1993年7〜9月、既存店の売上高は前年同期を下回った。1993年12月27日から14日間、カップヌードルなどトップブランド14品目を値引きした。値下げの協力をメーカーに求めたのは、この時が初めてだった。それまでの値下げでは、加盟店の利益の減少分を本部がすべて負っていた。5,400店の販売力を背景に、特売ではカップヌードルが通常の10倍売れた。1995年2月には、共同配送センターまでの輸送も本部が引き受け、浮いた費用をメーカー・本部・消費者で分ける案を示した。路線便を使う取引先62社のうち7割程度が加わった。定価で売る業態が、仕入れ値の組み立てにまで踏み込み始めた。
- 日経ビジネス 1994年2月7日号
- [42]セブン-イレブンの既存店ベースの売上高は1993年7・8・9月に前年同期比割れを記録した
- [43]1993年12月27日から1994年1月9日までの14日間、日清食品「カップヌードル」、ハウス食品「ククレカレー」などトップブランド14品目を値引きした
- [44]今回の年末年始セールで、セブン-イレブンは初めてメーカー側に値下げの協力を要請した(加工食品メーカー役員)
- [45]これまでの値下げでは店舗の利益減少分は本部がすべて負担してきた
- [46]店舗数5,400店、チェーン全店売上高1兆3,000億円(1994年2月期見込み)。年末年始セールでククレカレーは通常の6倍、カップヌードルは10倍の売り上げを達成した
- 日経ビジネス 1995年5月22日号
- [47]1995年2月、主要加工食品メーカーを集めて「チームロジスティクス」の説明会を開いた。メーカーが運んでいた共同配送センターまでの物流もセブン側が担い、コストダウン分をメーカー・セブン・消費者(売価引き下げ)で分け合う
- [48]路線便を使っている取引先加工食品メーカー62社のうち7割程度が参加した(宇野沢守哉常務物流管理本部長)
出店は都心の空白地へ向かった。1992年12月の原宿口店を皮切りに、売場50平方メートル前後、品目を800強に絞った小型店「セブン-イレブンEXPRESS」を試した。標準店を出すには裏の作業場を含めて最低120平方メートルが要り、都心では場所を確保しにくかった。1〜4号店は直営の実験店で、1994年10月の神田佐久間町店で初めて酒販店から転じたフランチャイズ店を開いた。1995年2月期のチェーン全店売上高は1兆3,923億円に達した。1994年まで5年続けて申告所得を増やした企業の中で、所得額の首位は890億円のセブン-イレブン・ジャパンだった。既存の商圏が埋まるなか、小さな店の型が次の出店余地を開く手段になった。
- 日経ビジネス 1994年11月28日号
- [49]1992年12月開店の原宿口店を皮切りに、都心部で店舗面積50平方メートル前後、商品数約800アイテム強の小型店「セブン-イレブンEXPRESS」の展開を始めた
- [50]標準タイプの店を出すにはバックヤードを含め最低120平方メートル程度のスペースが必要で、都心部では確保しにくい
- [51]EXPRESSの1〜4号店は本部直営の実験店で、1994年10月3日開店の神田佐久間町店(5号店)は酒販店が業態転換したFC店だった
- セブン-イレブン・ジャパン 公式サイト「チェーン全店売上高推移」
- [52]1995年2月期のチェーン全店売上高は1兆3,923億円
- 日経ビジネス 1995年5月29日号
- [53]1994年まで5年連続で申告所得を増やした企業のうち、所得額が最高だったのはセブン-イレブン・ジャパンで申告所得890億円、5年間の伸び率94.7%
参考文献[36]-[53]
- 日経ビジネス 1992年12月21・28日号
- [36]栗田裕夫氏は1992年10月にセブン-イレブン・ジャパン社長に就任した
- [37]親会社イトーヨーカ堂の幹部が総会屋に現金を供与していた不祥事で、鈴木敏文前社長(現イトーヨーカ堂社長)から急きょ社長を引き継いだ
- [38]栗田裕夫氏は陸上自衛隊第11師団長(陸将)を退官して1981年にセブン-イレブン・ジャパンに入社し、入社2年ほどで店舗設計の統一規格を作った
- [39]1982年取締役、1992年5月常務、同年10月社長に就任した
- [40]就任早々からスーパーバイザーの会議を開き、まず鈴木イズムの確認と徹底を図りたいとした
- 日経ビジネス 1995年1月9日号
- [41]鈴木敏文氏はイトーヨーカ堂社長兼セブン-イレブン・ジャパン会長として、年4回・四半期決算ごとに開かれるサウスランド社の役員会に渡米して出席した
- 日経ビジネス 1994年2月7日号
- [42]セブン-イレブンの既存店ベースの売上高は1993年7・8・9月に前年同期比割れを記録した
- [43]1993年12月27日から1994年1月9日までの14日間、日清食品「カップヌードル」、ハウス食品「ククレカレー」などトップブランド14品目を値引きした
- [44]今回の年末年始セールで、セブン-イレブンは初めてメーカー側に値下げの協力を要請した(加工食品メーカー役員)
- [45]これまでの値下げでは店舗の利益減少分は本部がすべて負担してきた
- [46]店舗数5,400店、チェーン全店売上高1兆3,000億円(1994年2月期見込み)。年末年始セールでククレカレーは通常の6倍、カップヌードルは10倍の売り上げを達成した
- 日経ビジネス 1995年5月22日号
- [47]1995年2月、主要加工食品メーカーを集めて「チームロジスティクス」の説明会を開いた。メーカーが運んでいた共同配送センターまでの物流もセブン側が担い、コストダウン分をメーカー・セブン・消費者(売価引き下げ)で分け合う
- [48]路線便を使っている取引先加工食品メーカー62社のうち7割程度が参加した(宇野沢守哉常務物流管理本部長)
- 日経ビジネス 1994年11月28日号
- [49]1992年12月開店の原宿口店を皮切りに、都心部で店舗面積50平方メートル前後、商品数約800アイテム強の小型店「セブン-イレブンEXPRESS」の展開を始めた
- [50]標準タイプの店を出すにはバックヤードを含め最低120平方メートル程度のスペースが必要で、都心部では確保しにくい
- [51]EXPRESSの1〜4号店は本部直営の実験店で、1994年10月3日開店の神田佐久間町店(5号店)は酒販店が業態転換したFC店だった
- [52]1995年2月期のチェーン全店売上高は1兆3,923億円
- 日経ビジネス 1995年5月29日号
- [53]1994年まで5年連続で申告所得を増やした企業のうち、所得額が最高だったのはセブン-イレブン・ジャパンで申告所得890億円、5年間の伸び率94.7%
1988年〜1995年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | |||
| 1988年02月期 | 単体 | 5,991 | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1989年02月期 | 単体 | 6,863 | +14.6% | n/a | n/a | n/a |
| 1990年02月期 | 単体 | 7,803 | +13.7% | n/a | n/a | n/a |
| 1991年02月期 | 単体 | 9,319 | +19.4% | n/a | n/a | n/a |
| 1992年02月期 | 単体 | 10,818 | +16.1% | n/a | n/a | n/a |
| 1993年02月期 | 単体 | 11,949 | +10.5% | n/a | n/a | n/a |
| 1994年02月期 | 単体 | 12,819 | +7.3% | n/a | n/a | n/a |
| 1995年02月期 | 単体 | 13,923 | +8.6% | n/a | n/a | n/a |
出所:公式サイト
出典・参考
13件
- 日経ビジネス 1989年2月13日号
- 日経ビジネス 1990年6月11日号増刊号
- 日経ビジネス 1990年8月27日号
- 日経ビジネス 1991年4月29日号
- Decide 1991年7月号(鈴木敏文)
- Decide 第9巻第11号(1992年)(鈴木敏文)
- 日経ビジネス 1992年12月21・28日号
- 日経ビジネス 1994年2月7日号
- 日経ビジネス 1994年11月28日号
- 日経ビジネス 1995年1月9日号
- 日経ビジネス 1995年5月22日号
- 日経ビジネス 1995年5月29日号
- セブン-イレブン・ジャパン 公式サイト「チェーン全店売上高推移」