第一家庭電器:永長佐京の鈴や創業と東芝家庭電器月販への営業譲渡
1948年〜酒屋の小僧から身を起こした永長佐京氏が40歳で開いたラジオ月賦の鈴やと、株式会社鈴やの設立
永長佐京氏は1948年(昭和23年)、40歳でラジオを月賦で売る店「鈴や」を創業した。鈴やは、のちに永長佐京氏が興す第一家庭電器の源流となった。永長佐京氏は14歳から酒屋に小僧として勤め、21歳で独立して自分の酒屋を営んだ。ラジオ店の開業は、酒屋を構えてから19年後の転身にあたる。家電の品目別の生産額では、1955年(昭和30年)の首位をラジオが占めた。代金を月々の払いに分ければ、一度に現金を用意できない家庭にもラジオを届けられると、永長佐京氏は見込んだのだろう。
- 日経ビジネス 1972年9月18日号 p105-106
- [1]永長佐京は14歳で酒屋の小僧、21歳で独立し酒屋経営。1948年(昭和23年)40歳でラジオ月賦販売店「鈴や」を開店し、これが第一家庭電器の起点
- [2]永長佐京は14歳で酒屋の小僧、21歳で独立し酒屋経営。1948年(昭和23年)40歳でラジオ月賦販売店「鈴や」を開店し、これが第一家庭電器の起点
- [3]永長佐京は14歳で酒屋の小僧、21歳で独立し酒屋経営。1948年(昭和23年)40歳でラジオ月賦販売店「鈴や」を開店し、これが第一家庭電器の起点
- [4]永長佐京は14歳で酒屋の小僧、21歳で独立し酒屋経営。1948年(昭和23年)40歳でラジオ月賦販売店「鈴や」を開店し、これが第一家庭電器の起点
- 日本産業史 第3巻 電機・電子(1994年)「家電-カラーテレビ軸に海外進出」
- [5]家電の生産額構成比で首位の品目は1955年(昭和30年)がラジオ、1960年・1965年が白黒テレビ
永長佐京氏は1949年(昭和24年)10月、株式会社鈴やを設立した。ラジオの月賦店「鈴や」を開業した翌年に、商いを法人へ移したことになる。株式会社鈴やは設立後、ラジオに限らず家電全般を月賦で売り始めた。後年の第一家庭電器でも、1971年5月期の月賦販売は初回金を販売金額の約30%とし、残りを引き渡し後に分割で受け取る契約だった。回収までの間の仕入資金を借り入れで賄うには、個人商店より法人格が要ったと推察される。
- 証券 23(12)(273) 1971年12月
- [6]永長佐京は1949年(昭和24年)10月に株式会社鈴やを設立し家庭電気製品の月賦販売を開始。第一家庭電器の月賦販売は1971年5月期時点で販売金額の約30%を初回金として受け取る契約
- [8]永長佐京は1949年(昭和24年)10月に株式会社鈴やを設立し家庭電気製品の月賦販売を開始。第一家庭電器の月賦販売は1971年5月期時点で販売金額の約30%を初回金として受け取る契約
- [9]永長佐京は1949年(昭和24年)10月に株式会社鈴やを設立し家庭電気製品の月賦販売を開始。第一家庭電器の月賦販売は1971年5月期時点で販売金額の約30%を初回金として受け取る契約
- 日経ビジネス 1972年9月18日号 p105-106
- [7]永長佐京は1948年(昭和23年)にラジオ月賦販売店「鈴や」を開店
参考文献[1]-[9]
- 日経ビジネス 1972年9月18日号 p105-106
- [1]永長佐京は14歳で酒屋の小僧、21歳で独立し酒屋経営。1948年(昭和23年)40歳でラジオ月賦販売店「鈴や」を開店し、これが第一家庭電器の起点
- [2]永長佐京は14歳で酒屋の小僧、21歳で独立し酒屋経営。1948年(昭和23年)40歳でラジオ月賦販売店「鈴や」を開店し、これが第一家庭電器の起点
- [3]永長佐京は14歳で酒屋の小僧、21歳で独立し酒屋経営。1948年(昭和23年)40歳でラジオ月賦販売店「鈴や」を開店し、これが第一家庭電器の起点
- [4]永長佐京は14歳で酒屋の小僧、21歳で独立し酒屋経営。1948年(昭和23年)40歳でラジオ月賦販売店「鈴や」を開店し、これが第一家庭電器の起点
- [7]永長佐京は1948年(昭和23年)にラジオ月賦販売店「鈴や」を開店
- 日本産業史 第3巻 電機・電子(1994年)「家電-カラーテレビ軸に海外進出」
- [5]家電の生産額構成比で首位の品目は1955年(昭和30年)がラジオ、1960年・1965年が白黒テレビ
- 証券 23(12)(273) 1971年12月
- [6]永長佐京は1949年(昭和24年)10月に株式会社鈴やを設立し家庭電気製品の月賦販売を開始。第一家庭電器の月賦販売は1971年5月期時点で販売金額の約30%を初回金として受け取る契約
- [8]永長佐京は1949年(昭和24年)10月に株式会社鈴やを設立し家庭電気製品の月賦販売を開始。第一家庭電器の月賦販売は1971年5月期時点で販売金額の約30%を初回金として受け取る契約
- [9]永長佐京は1949年(昭和24年)10月に株式会社鈴やを設立し家庭電気製品の月賦販売を開始。第一家庭電器の月賦販売は1971年5月期時点で販売金額の約30%を初回金として受け取る契約
1950年〜ラジオリンクストアの名で組んだ月賦のボランタリー・チェーンと、東芝商事との合弁への営業譲渡
1949年10月の設立後、株式会社鈴やは「ラジオリンクストアー」という名のボランタリー・チェーンを組織。証券誌は1971年の記事で、この形の月賦販売の組織を国内で初めての例と紹介した。鈴やは加盟した電器店の売り場を通じて、家庭電気製品を月賦で売り始めた。家電の品目別の生産額で首位の品目は、1955年のラジオから1960年には白黒テレビに替わった。1971年5月期の第一家庭電器では、店頭での消費者向け販売が売上高の99.4%を占め、小売店向けは0.6%にとどまった。月賦の信用を鈴やが引き受け、売り場を町の電器店が出す分担にすれば、自前の店を持たなくても加盟店の数だけ月賦の売り先を増やせたと思われる。
- 証券 23(12)(273) 1971年12月
- [10]株式会社鈴やは国内で初めてラジオリンクストアーと称するボランタリー・チェーンを組織し、家庭電気製品の月賦販売を開始。第一家庭電器の1971年5月期の販売は店頭の消費者直接販売99.4%、小売店向け0.6%
- [11]株式会社鈴やは国内で初めてラジオリンクストアーと称するボランタリー・チェーンを組織し、家庭電気製品の月賦販売を開始。第一家庭電器の1971年5月期の販売は店頭の消費者直接販売99.4%、小売店向け0.6%
- [12]株式会社鈴やは国内で初めてラジオリンクストアーと称するボランタリー・チェーンを組織し、家庭電気製品の月賦販売を開始。第一家庭電器の1971年5月期の販売は店頭の消費者直接販売99.4%、小売店向け0.6%
- [14]株式会社鈴やは国内で初めてラジオリンクストアーと称するボランタリー・チェーンを組織し、家庭電気製品の月賦販売を開始。第一家庭電器の1971年5月期の販売は店頭の消費者直接販売99.4%、小売店向け0.6%
- 日本産業史 第3巻 電機・電子(1994年)「家電-カラーテレビ軸に海外進出」
- [13]家電の生産額構成比で首位の品目は1955年がラジオ、1960年が白黒テレビ
永長佐京氏は1956年(昭和31年)3月、東芝商事との合弁で東芝家庭電器月販株式会社を設立した。株式会社鈴やは営業の全部を東芝家庭電器月販へ譲渡し、永長佐京氏は合弁会社の社長に就任。1964年ごろには洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビの「三種の神器」が普及し、白黒テレビの世帯普及率は90%強まで上がった。永長佐京氏は1958年(昭和33年)6月に東芝家庭電器月販を退社し、第一家庭電器を設立した。1971年時点の第一家庭電器は特定メーカーの系列に加入せず、ほぼ全メーカーの家電を扱った。単価の高いテレビへ品目が移るなかで、月賦の資金と仕入をメーカー系商社の資本で支える判断だったとみられる。
- 証券 23(12)(273) 1971年12月
- [15]1956年(昭和31年)3月、東芝商事との合弁で東芝家庭電器月販を設立し株式会社鈴やの営業全部を譲渡、永長佐京が社長に就任。1958年6月に退社し第一家庭電器を設立。第一家庭電器は特定メーカー系列に加入せずほぼ全メーカーの家電を扱う
- [16]1956年(昭和31年)3月、東芝商事との合弁で東芝家庭電器月販を設立し株式会社鈴やの営業全部を譲渡、永長佐京が社長に就任。1958年6月に退社し第一家庭電器を設立。第一家庭電器は特定メーカー系列に加入せずほぼ全メーカーの家電を扱う
- [18]1956年(昭和31年)3月、東芝商事との合弁で東芝家庭電器月販を設立し株式会社鈴やの営業全部を譲渡、永長佐京が社長に就任。1958年6月に退社し第一家庭電器を設立。第一家庭電器は特定メーカー系列に加入せずほぼ全メーカーの家電を扱う
- [19]1956年(昭和31年)3月、東芝商事との合弁で東芝家庭電器月販を設立し株式会社鈴やの営業全部を譲渡、永長佐京が社長に就任。1958年6月に退社し第一家庭電器を設立。第一家庭電器は特定メーカー系列に加入せずほぼ全メーカーの家電を扱う
- 日本産業史 第3巻 電機・電子(1994年)「家電-カラーテレビ軸に海外進出」
- [17]昭和30年代に白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機が「三種の神器」として普及し、30年代末の世帯普及率は白黒テレビ90%強・洗濯機70%強・冷蔵庫60%
参考文献[10]-[19]
- 証券 23(12)(273) 1971年12月
- [10]株式会社鈴やは国内で初めてラジオリンクストアーと称するボランタリー・チェーンを組織し、家庭電気製品の月賦販売を開始。第一家庭電器の1971年5月期の販売は店頭の消費者直接販売99.4%、小売店向け0.6%
- [11]株式会社鈴やは国内で初めてラジオリンクストアーと称するボランタリー・チェーンを組織し、家庭電気製品の月賦販売を開始。第一家庭電器の1971年5月期の販売は店頭の消費者直接販売99.4%、小売店向け0.6%
- [12]株式会社鈴やは国内で初めてラジオリンクストアーと称するボランタリー・チェーンを組織し、家庭電気製品の月賦販売を開始。第一家庭電器の1971年5月期の販売は店頭の消費者直接販売99.4%、小売店向け0.6%
- [14]株式会社鈴やは国内で初めてラジオリンクストアーと称するボランタリー・チェーンを組織し、家庭電気製品の月賦販売を開始。第一家庭電器の1971年5月期の販売は店頭の消費者直接販売99.4%、小売店向け0.6%
- [15]1956年(昭和31年)3月、東芝商事との合弁で東芝家庭電器月販を設立し株式会社鈴やの営業全部を譲渡、永長佐京が社長に就任。1958年6月に退社し第一家庭電器を設立。第一家庭電器は特定メーカー系列に加入せずほぼ全メーカーの家電を扱う
- [16]1956年(昭和31年)3月、東芝商事との合弁で東芝家庭電器月販を設立し株式会社鈴やの営業全部を譲渡、永長佐京が社長に就任。1958年6月に退社し第一家庭電器を設立。第一家庭電器は特定メーカー系列に加入せずほぼ全メーカーの家電を扱う
- [18]1956年(昭和31年)3月、東芝商事との合弁で東芝家庭電器月販を設立し株式会社鈴やの営業全部を譲渡、永長佐京が社長に就任。1958年6月に退社し第一家庭電器を設立。第一家庭電器は特定メーカー系列に加入せずほぼ全メーカーの家電を扱う
- [19]1956年(昭和31年)3月、東芝商事との合弁で東芝家庭電器月販を設立し株式会社鈴やの営業全部を譲渡、永長佐京が社長に就任。1958年6月に退社し第一家庭電器を設立。第一家庭電器は特定メーカー系列に加入せずほぼ全メーカーの家電を扱う
- 日本産業史 第3巻 電機・電子(1994年)「家電-カラーテレビ軸に海外進出」
- [13]家電の生産額構成比で首位の品目は1955年がラジオ、1960年が白黒テレビ
- [17]昭和30年代に白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機が「三種の神器」として普及し、30年代末の世帯普及率は白黒テレビ90%強・洗濯機70%強・冷蔵庫60%
出典・参考
3件
- 日本産業史 第3巻 電機・電子(1994年)「家電-カラーテレビ軸に海外進出」
- 日経ビジネス 1972年9月18日号 p105-106
- 証券 23(12)(273) 1971年12月