北島織衛
大日本印刷・元代表取締役社長
(敬称略) 生年月日 —
学歴 東京帝国大学法学部法律学科
出自 —
- 出自
- 1929年に東京帝国大学法学部法律学科を出て秀英舎へ入社した。1943年に常務取締役、1945年に専務取締役へ進み、1948年からは教育出版の代表取締役社長を兼ねた。当時専務だった青木弘氏の三男で、日本興業銀行への入行を志して果たせず印刷会社へ入り、営業の現場から昇った。社長就任に先立つ1951年6月には、専務として再建五カ年計画を全社へ発表し、全従業員の投票で支持を得ている。
- 抜擢
- 1955年1月に大日本印刷の代表取締役社長へ就いた。戦後の労働争議で経営が揺らいだ後の登板で、専務時代に示した再建五カ年計画がそのまま社長就任の裏づけになった。大日本印刷は1935年2月に秀英舎と日清印刷の対等合併で発足し、初代社長には増田義一氏が就いている。合併に調印した秀英舎専務・青木弘氏の三男が、その20年後に社長へ回った。就任直前の1954年5月期の単体売上は33億円だった。
- 施策
- 一つの事業の柱だけに頼る危うさを避けて複数の柱を立てる方針を掲げ、1951年開設の大崎工場を足がかりに、米国視察で着目した紙器・包装印刷へ進出した。1957年には通商産業省主導のカラーテレビ国産化にシャドーマスクで加わり、翌1958年に国内初の量産を実現、1959年には半導体用フォトマスクへ広げた。1966年に中央研究所を完成させ、応用研究を体系化した。単体売上は就任期の1955年5月期37億円から、1979年5月期の3,739億円まで伸びた。
- 評価
- 執筆予定
就任前(FY53)34億円
退任時-
変化-
就任前(FY53)7.5%
退任時-
変化-
参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料
- 日本企業要覧 1962年版 経歴・学歴・出身地・生年
- 日本企業要覧 1976年版 経歴
- 大日本印刷:世界最大の総合印刷企業(朝日ソノラマ・1980年) 経歴・出自
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968) 経歴