山田三郎太
TOPPAN(凸版印刷)・元取締役社長
(敬称略) 生年月日 —
学歴 東京帝国大学法学部
出自 —
- 出自
- 1927年に東京帝国大学法学部を出て、同年に凸版印刷へ入社した。1937年6月に取締役、1941年9月に常務取締役、1943年6月に専務取締役へ進み、1948年12月に社長へ就いた。入社から21年で社長に届いた生え抜きで、在任中は東洋インキ製造の取締役会長と、東京書籍・凸版紙器工業・東京セロファン紙の各取締役社長を兼ねた。
- 抜擢
- 1945年3月の空襲で本社と下谷・本所の両工場を焼失した直後の復興期に、専務取締役から社長へ就いた。就任の翌1949年5月には東京証券取引所へ株式を上場したが、同年7月に民間会社の紙幣印刷が全面廃止となり、営業収入の36%を失っている。官需の柱を絶たれた会社が、社内で20年を過ごした専務に立て直しを託した交代だった。
- 施策
- 1961年12月に事業部制を導入した。1965年5月にはカナダのMoore社との合弁でトッパン・ムーア・ビジネスフォームを設立し、事務処理用の帳票へ印刷の用途を広げた。売上高は1953年5月期の36億円から1967年5月期の459億円へ、当期純利益は2億円から17億円へ伸びた。
- 評価
- 執筆予定
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料
- 国立国会図書館サーチ 書誌『あしあと』(山田三郎太、1965年10月)著者ヨミ「ヤマダ サブロウタ」 読み
- レファレンス協同データベース「凸版印刷(株)の社史はあるか?4代目社長の山田三郎太について詳しく知りたい」(回答に山田三郎太の著書として『あしあと』1965年を掲げる) 読み
- 日本企業要覧 1966年版 経歴・学歴・出身地・生年・出自
- 日本企業要覧 1962年版 経歴・学歴・出身地・生年