約30年来の水道管カルテルが発覚
約40年にわたる鋳鉄管3社のヤミカルテルが構造化
鋳鉄管は「クボタ・栗本鐵工所・日本鋳鉄管」の3社のみが手がける寡占市場であった。1960年頃、日本鋳鉄管が経営危機に陥ったことを契機に、業界における協調(ヤミカルテル)が形成された。クボタ63%・栗本鐵工所27%・日本鋳鉄管10%というシェア配分ルールが設けられ、不正なカルテルとして約40年にわたって運用された。
具体的な手口は、各自治体(神戸市や東京都など)が水道管の入札を実施する際に、事前に3社の営業部長が都内に集まって方針を決定し、どの企業が落札するかを取り決めるものであった。落札価格の詳細は各社の営業社員が電話で調整した。これらの連携ノウハウは各社の営業担当者間で世代を超えて継承されてきたとされる。
カルテルの背景には、クボタが鋳鉄管の製造技術で圧倒的な優位にあり、他の2社がクボタから技術供与を受けてきた産業構造があった。日本鋳鉄管の元幹部は「クボタの存在は非常に大きく、反旗を翻してもかなわない。自分が生き残るための知恵としてシェア枠が自ずと決まる」と述べており、技術依存を背景とした力関係がカルテルの維持を支えていた。
公正取引委員会が鋳鉄管メーカー3社の刑事告発に踏み切る
1999年2月に公正取引委員会は、約30年にわたる水道管のヤミカルテルの存在を認定し、クボタ・栗本鐵工所・日本鋳鉄管の3社を独占禁止法違反の疑いで刑事告発した。当時の鋳鉄管の国内市場規模は約1,150億円であり、公正取引委員会は影響範囲が広く悪質であると判断して、異例の告発に踏み切った。
告発を受けて東京地検特捜部が捜査を開始し、3社は家宅捜索を受けた。クボタからは「東京本社鉄管営業第1部長」「同第2部長」「同第1部第1課長」の部課長クラス3名が逮捕され、3社合計で営業担当者10名が逮捕された。この事件は「ダクタイル鋳鉄管シェア配分カルテル事件」と呼ばれる。
クボタでは水道管カルテルの責任を取り、三野重和会長および三井康平社長が引責辞任した。代わりに岡本修氏(元副社長)が会長に、土橋芳邦氏(元専務)が社長に就任し、会長を含む経営トップの全面交代に至った。
課徴金70億円の納付と最高裁までの13年にわたる法廷闘争
1999年12月に公正取引委員会は3社に対して合計110億円の課徴金の納付を命令した。このうちクボタは70億7,208万円の課徴金納付命令を受けた。クボタはこの決定を不服として再審査を請求し、法廷闘争に持ち込んだ。
裁判は最高裁まで争われ、2009年に課徴金納付の審決、2010年に東京高裁で請求棄却の判決、2012年に最高裁で上告棄却の決定が下された。課徴金の確定を受けて、2009年3月期にクボタは特別損失72億円を「独禁法課徴金」として計上した。告発から課徴金確定まで約13年を要した。
水道管カルテルの発覚はクボタにとって一過性の事件にとどまらなかった。2000年代以降、公共施設向け事業において談合の発覚が相次ぎ、2007年にはガス用ポリエチレン管や鋼矢板、硬質塩ビ管で公正取引委員会の立ち入り調査を受け、し尿処理施設で営業停止処分を受けるなど、コンプライアンス上の問題が連鎖的に表面化した。
リーダー格のクボタは、鋳型を高速回転させて鋳鉄管を流し込む技術を開発し、それが業界標準になったことから、他の2社はクボタから多くの技術供与を受けてきたという背景があり、このため、不正なカルテルもクボタを中心に続けられてきたと見られる。 その辺りの事情について、日本鋳鉄管の元幹部が「クボタの存在は非常に大きいわけですよ。反旗を翻してもクボタにはかなわない。生活の知恵というか、自分が生き残るための知恵の一つとして枠が自ずと決まってくる」(4日、NHKテレビ)と言えば、クボタの元副社長も「まあ、一言で言えば、1社独占でやれないこともない。販売面でも生産面でも。しかし、それをやったのでは・・・」(同)と、3社が強調することが業界として最も望ましい形だったと話している。 こうして、クボタなど3社は、毎年7月から8月にかけてそれぞれの東京の営業部長が都内に集まりカルテルの内容について確認し、自治体の入札が行われるたびに、今度は営業部の社員が電話で頻繁に連絡を取り合って落札価格などを決めていたと見られる。 なお、公取委の告発を受けて、東京地検特捜部は5日午後、独占禁止法の疑いで3社に対する家宅捜査を始めた模様。
- 公取委:課徴金納付命令
- クボタが特別損失を計上
- 公取委:課徴金納付を命ずる審決
- 東京高裁判決:請求棄却
- 最高裁決定:上告棄却
鋳鉄管市場は3社寡占であったが、カルテル維持の原動力は単なる談合の慣行ではなく、クボタの鋳造技術が業界標準となり他の2社が技術供与を受ける依存関係にあった。この技術的主従関係がシェア配分を「自ずと決まる」ものとし、約40年にわたる不正を構造的に安定させた。1890年に久保田権四郎が独力で確立した鋳鉄管の量産技術は、シェア60%の獲得のみならず、一世紀後に発覚するカルテル構造の起点にもなっていた。