北沢敬二郎

大丸・元代表取締役社長

(敬称略)

Kitazawa Keijiro

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生年月日
学歴
出自
出自
1889年に山形県米沢市で生まれ、第一高等学校から東京帝国大学の独法政治科へ進み、恩師の推薦で住友に入った。米国のプリンストン大学と英国への留学を経て、住友本社の庶務課長として不動産を扱い、42歳で住友倉庫の再建にあたった。終戦時は住友ビルディングの責任者として占領軍との折衝に当たり、1946年1月に住友本社が解体されると役員全員とともに辞任した。
抜擢
1946年8月、大丸の里見純吉氏から白木屋との合併後の副社長就任を打診された。住友の同僚が浪人しているなかで一度は辞退したが、元住友総理事の古田俊之助氏に説得されて受けた。1947年2月に顧問、1948年4月に取締役、同年10月に副社長を経て、1950年4月に社長へ就いた。里見氏が1年余り病床にあり、森八郎会長の下では副社長のままでは動きにくいという判断で、北沢敬二郎氏は里見氏が代表権のある会長として残ることを条件に引き受けた。
施策
就任時の大丸は、外地勤務者の帰国と復員で中堅層が過剰になり、里見純吉氏が人員整理を避けて業態の違う事業を抱え込んだ結果、欠損を出していた。北沢敬二郎氏は事業の存廃を決め、残したものはそれぞれ独立会社に分けて、整理者を出さない形で片づけた。過剰な中堅層の受け皿として東京進出を選び、1951年に知った東京駅八重洲口の民衆駅計画で約2万8000平方メートルを借りた。1954年10月21日に開いた東京店は、開店早々に収益で大丸4店の首位に立った。
評価
執筆予定
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料

  • 私の履歴書 経済人9(日本経済新聞社、1980年) 生年・出身地・学歴・経歴・出自

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