アステナHDの歴史
沿革
1914年に薬種問屋の岩城市太郎商店として創業したのが起源。
1931年に岩城製薬所を設けて医薬品の製造を開始し、1963年にイワキへ改称、2021年には本社機能の一部を石川県珠洲市へ移転した。医薬品原料・化学品・食品原料の商社機能と医薬品製造を併せ持つ企業である。
創業期
1914年〜薬種問屋岩城市太郎商店の創業と岩城製薬所の設立
- 薬局向け卸売を開始[1]
- 薬種問屋 岩城市太郎商店として創業[2]
- 関東大震災で店舗が全焼[1]
- 木造モルタル3階建の店舗を新築[1]
- 医薬品および医薬品原料の製造を開始[1]
- 岩城製薬所を設立[2]
- 岩城製薬所の蒲田工場を設立[1]
売上高
- 売上高
アステナホールディングス売上高—
成長期
1941年〜岩城商店の法人化と表面処理薬品の製造開始
- 法人組織として岩城商店を設立[2]
- 蒲田工場が焼失[1]
- 蒲田工場を再建[1]
- 岩城市太郎氏が社長に就任[1]
- 岩城製薬所の商号を岩城製薬に変更[1]
- 輸入医薬品原料の取扱いを開始[1]
- 化学品の取扱いを開始[1]
- 食品原料の取扱いを開始[1]
- 五階建てビルが落成[1]
- 表面処理薬品の製造を開始[1]
- 日米合弁でジャパンメタルフィニッシングカンパニーを設立[2]
- 岩城謙太郎氏が社長に就任[1]
売上高
- 売上高
アステナホールディングス売上高—
成長期
1963年〜イワキへの改称と東京証券取引所市場第二部への上場
- 創業50周年記念祝賀会を開催[1]
- 化粧品原料の取扱いを開始[1]
- イワキに商号変更[2]
- 東京証券取引所市場第二部に上場[2]
- ボーエン化成に資本参加[1]
- 食品原料の製造を開始[3]
- 岩城製薬の静岡工場が竣工[1]
- 機能性食品の取扱いを開始[1]
- ジャパンメタルフィニッシングの商号をメルテックスに変更[1]
- 現在の本社ビルが竣工[1]
- 岩城修氏が社長に就任[1]
売上高
- 売上高
アステナホールディングス売上高—
転換期
2000年〜アステナホールディングスへの持株会社化と池田物産など4社の買収
- 化粧品の製造販売を開始[1]
- アプロスを設立[1]
- 東京証券取引所市場第一部に指定[2]
- メルテックスを完全子会社化[1]
- タイで表面処理薬品の生産を開始[3]
- 創業100周年[1]
- 岩城慶太郎氏が社長に就任[1]
- イワキ分割準備(現イワキ)を設立[1]
- 岩城製薬佐倉工場を孫会社化[1]
- 医薬品開発のスペラファーマを完全子会社化[2]
- 健康食品のマルマンH&Bを完全子会社化[2]
- アステナハートフルを設立[1]
- アステナホールディングスに商号変更[2]
- 持株会社体制へ移行[2]
- 本社機能の一部を石川県珠洲市へ移転[2]
- 東京証券取引所プライム市場へ移行[2]
- AMトレーディングを設立[1]
- TUAT1号投資事業有限責任組合(TUATファンド)を設立[1]
- 岩城製薬佐倉工場の注射剤製造設備で減損損失を計上[4]
- 化学品商社の池田物産など4社を子会社化[2]
- 弘塑電子設備(浙江)の設立を決定[4]