安宅弥吉
安宅産業・元株式会社設立に伴い社長
社長就任 1919年11月
生年月日 —
学歴 —
出自 —
- 出自
- 1873年4月に石川県上金石町で生まれ、1895年に東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業して大阪の貿易商・日下部商店へ入り、香港支店の責任者として貿易実務に就いた。1901年7月に日下部商店の香港支店が分離すると、香港部の共同経営者となる。1904年7月、31歳で個人経営の安宅商会を創業し、本店を大阪、支店を香港に置いた。扱ったのは米・砂糖・木材・非鉄金属・雑貨の輸出入で、日露戦争後の時運に乗って立ち上がった。
- 抜擢
- 1919年11月13日、創業から15年4か月続けた個人経営を改め、資本金300万円全額払込の株式会社安宅商会を設立して初代社長に就いた。改組を決めたのは同年9月で、専務取締役となる奥村清三郎氏との協議で構想をまとめている。設立時の株主は23名・3,000株(1株1,000円)で、うち安宅弥吉氏が1,865株を持ち、残りを一族と幹部社員が分けた。社員を株主に加えたうえで、資本と経営の双方を創業者が握る形をとった。
- 施策
- 株式会社化の直後に大戦後の反動不況が来て、1920年上期からの3期の損失は資本金の半ばを超えた。鉄鋼では、官営八幡製鐵所が戦後恐慌に対処して設けた四社指定商に、三井・三菱・岩井と並んで指定された。1928年3月にロンドン支店を開いて欧米メーカーと代理店契約を結び、1933年に王子製紙のレーヨンパルプの一手販売店となる。1935年2月には東洋曹達工業の設立に資金を出し、苛性ソーダの一手販売権を得た。1940年までに大連・ニューヨークなど8支店を置き、1942年5月に社長を退いて安宅重雄氏へ渡した。
- 評価
- 執筆予定
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
- 安宅産業六十年史(安宅産業, 1968)
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社, 1955)
- 安宅彌吉 : 甲南女子学園創立者(甲南女子学園)タイトルよみ「アタカ ヤキチ」