佐野精一郎
三洋電機・代表取締役社長
Sano Seiichiro(1952年生まれ)
就任年 2006年
就任時年齢 53歳
現年齢 73歳
在任期間 5年
出自 三洋電機
- 野中ともよ前体制下で疑義注記を受けた財務危機を引き継ぎ、最終的にパナソニック完全子会社化(2011年)による独立性喪失を見届けた経営者である。
- 2007年の野中氏辞任後の経営再建期にCEOとして就任、二次電池を中核事業に再定義しつつ白物家電・半導体等の不採算事業整理を推進
- 2008年12月にパナソニックが三洋電機の親会社化を発表、2011年4月に完全子会社化・上場廃止により独立企業としての歴史が終焉、守口・徳島等の生産拠点はパナソニックグループ内に存続
- 第三者割当増資3,000億円後の再建を担うも、リーマンショック影響と液晶・半導体への過大投資の負荷を解消できず、独立路線断念に至った。
- 2005年12月にゴールドマン・サックス等から3,000億円の第三者割当増資を実施した負債負担を継承
- 1990年代以降の二次電池傾斜投資(全社利益の8割)と液晶・半導体への過大投資の構造を整理、リチウムイオン電池量産技術はパナソニック車載電池事業(テスラ向け供給の基盤)へ継承
就任前(FY05)23,970億円
直近(FY10)14,895億円
変化(5カ年)-38%
就任前(FY05)-0.7%
直近(FY10)2.3%
変化(5カ年)+3.0pt
佐野精一郎の経歴社長就任に至るキャリア
- 佐野精一郎氏は1977年に三洋電機へ入社し、2005年4月に執行役員総務人事本部長に就いた。技術や営業ではなく総務・人事を統括する管理部門の出身で、電機大手のトップとしては異色の経歴だった。
- 三洋電機は2005年12月にゴールドマン・サックスなどから3,000億円の第三者割当増資を受け入れ、野中ともよ氏を会長に迎えて再建に着手したが、経営は安定しなかった。佐野氏はこの再建局面で経営の中枢を担い、2007年4月に社長執行役員、同年6月に代表取締役社長へと昇格した。
- 社長としての佐野氏が担ったのは、財務危機を脱しきれない三洋電機の独立維持という難題だった。二次電池や太陽電池への集中と不採算事業の整理を進めたが、2008年12月にパナソニックが資本・業務提携による子会社化を発表し、2011年4月の完全子会社化・上場廃止で三洋電機は独立企業としての歴史を終えた。佐野氏自身も2011年4月にパナソニック専務役員へ移った。ブランド統合をめぐっては「60年続いてきたSANYOブランドが消えることに寂しさも感じる」と語った。
所属・役職1977年2011年╱╱
三洋電機
1977年入社
2005年執行役員総務人事本部長
2007年社長執行役員
2007年代表取締役社長
パナソニック
2011年専務役員
| 年月 | 内容 |
|---|---|
| 1977-04 | 当社入社 |
| 2000-06 | 総務・人事部長 |
| 2001-04 | HRグループゼネラルマネージャー |
| 2003-04 | 人事ユニットリーダー 兼 産業保健ユニットリーダー |
| 2005-04 | 執行役員 総務人事本部長 |
| 2007-04 | 社長執行役員 兼 事業執行責任者会議議長 |
| 2007-06 | 代表取締役社長 |
| 2011-04 | パナソニック㈱ 専務役員 |
発言集公開インタビューからの発言(画像はOGPより引用・改変なし)
「ワンブランド化はグループの利益の最大化をもたらすと考えている。60年続いてきたSANYOブランドが消えることに寂しさも感じるが、プロダクトブランドとして残ると考えれば、モチベーションも保てるはずだ」
「2012年度以降も、三洋電機は法人として残っていくということを社員に話してある。グローバルで戦える体制を築くことが重要だ」