三井松島ホールディングスの歴史的意義・転換点の読み解き
三井松島ホールディングスの歴史的意義・転換点の読み解き
どのようにして1960年代のエネルギー革命を生き抜き、斜陽の国内石炭業からの転換を果たしたのか(筆者所感)
三井松島において110年続いた石炭事業の起点は、三井鉱山が三池鉱山に次ぐ炭鉱を確保することに始まった。1913年1月に長崎県西彼杵半島の沖合に浮かぶ松島で古賀鉱業合資会社が保有する炭鉱を三井鉱山が買収し、三井物産・古賀一族との共同出資で資本金200万円の松島炭鉱(現三井松島)を設立。海底で石炭を採掘する拠点として稼働し、三井系の炭鉱として長らく操業を続けていた。
戦後の傾斜生産方式と新鋭設備の投入で1950年代を通じて出炭量を伸ばし、1969年には大島・池島の両事業所合算で年間181万トンの過去最高出炭量に到達した。採掘された石炭は電力会社に販売され、国内の電力需要を賄う熱源として活用された。業績好調を受けて1961年10月東証2部上場、1962年2月一部への指定替えを果たした。1968年3月には松島建設工業株式会社を設立して炭鉱周辺の土木需要も取り込み多角化を志向。長崎県の「大島・池島」という地域経済を支える重要な存在となった。
ところが1960年代後半から石油への一次エネルギー転換が始まり、国内炭は価格・公害の両面で輸入炭・石油との競争に敗れた。1973年4月、第五次石炭政策で石炭生産部門を新設池島炭鉱株式会社へ営業譲渡して、規模を縮小して子会社での運営を続けた。1991年4月にNSW州リデル炭鉱に合弁で参画して海外炭シフトを実行した。しかし、国内の池島炭鉱は2001年11月に49年の歴史を閉じ1,200名規模の人員整理を決断。海外権益も2024年3月のリデル終掘に至り、長年続いた石炭事業から撤退し、現在は複数の事業投資を本業に据えている。
一見すると、国内石炭事業からの撤退を完遂し、豪州炭を経て、事業投資へのシフトに成功したように見える。ただし、その問題は時間軸の長さにある。エネルギー革命が1960年に始まり、国内ではその30年後、事業体としてはその60年後を経て石炭からの撤退を完遂した。国内では地域雇用の観点から撤退が容易ではなく、海外に関しても労務問題に直面するなど問題が山積する状況であった。この意味で、三井松島は「石炭から撤退できない状況」に苛まれ続けた悲劇の企業だったのかもしれない。