柿坪精吾
日東紡績・元取締役社長
(敬称略) 生年月日 —
学歴 東京帝国大学法学部
出自 —
- 出自
- 1939年3月に東京帝国大学法学部を卒業し、同年4月に商工省へ入省した。1961年4月に振興部長へ進み、その後は海外経済協力基金の事務局長を務めた。1966年12月に日東紡績の常務取締役として入社し、翌1967年1月に取締役社長へ就いている。繊維の現場を歩いた経歴はなく、27年を官庁と政府系機関で過ごした。
- 抜擢
- 1967年1月、島田英一氏の後任として取締役社長に就いた。直前の1966年4月期は売上高330億円に対し36.3億円の当期損失を出し、無配へ転落したところだった。綿紡大手のなかで最も早く赤字へ転じた社であり、入社からわずか1か月での就任である。繊維の構造不況が政策課題になっていた時期であり、通商産業省で産業振興を担った経歴を建て直しに充てた人事だったとみられる。
- 施策
- 綿紡を高級糸のコーマー糸へ絞り、合繊系と絹紡績、合成皮革から手を引いた。1967年に子会社の中央紡績と新洋紡績を売却し、1970年に海南工場を売って和歌山工場を建てている。1969年8月にグラスファイバー織物工場、1971年4月に不燃吸音天井板のソーラトン工場を新設した。売上高は1967年4月期の336億円から1978年4月期の917億円へ伸びた。途中の1976年4月期は経常損失42.29億円を出したが、翌期に黒字へ戻している。
- 評価
- 執筆予定
就任前(FY65)330億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料
- 日本企業要覧 1970年版 経歴・学歴・出身地・生年・出自
- 日本企業要覧 1980年版 経歴