古泉栄治
亀田製菓・元代表取締役社長
社長就任1957年8月
生年月日—
学歴—
出自—
経歴1957〜1992年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1957年主要役職の状況(推定含む目安)1995年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | 亀田製菓 | 1957 | 代表取締役社長 | ||
| 1983 | 社長 退任(会長へ) | ||||
| 1983 | 取締役会長 | ||||
| 1992 | 名誉会長 |
社長就任までの出自
出自
生年月日は1915年3月26日である。戦地から戻ると、新潟県亀田町の生活協同組合の依頼を受けて米やいもから水飴をつくる委託加工に携わり、これが1946年9月に創業した亀田郷農民組合委託加工所となった。砂糖が出回るようになると水飴は売れなくなり、米菓の製造に主力を移した。転身の決め手は、せんべいやあられが工程の複雑さゆえに機械化が遅れ、大手も手を出していない後進分野だった点にある。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1957年8月、亀田町農産加工農業協同組合を母体に亀田製菓が設立され、設立と同時に社長へ就任した。前任者のいない初代である。当時の新潟には地場の菓子メーカーが30軒ほどあり、原料の仕入れも製品の買い上げも問屋が握り、製造原価まで問屋が計算していた。銀行からは「せんべい屋は融資の対象ではない」と扱われ、設備投資の資金がつかなかった。保存と輸送が利く米菓は寡占化するので、規模を持たなければ経営は安定せず、資本と技術力が要る——本人は後年そう語っている。
在任中の主な施策
施策
職人の腕と勘に依存していた米菓の工程を原料米の性質と化学変化の分析に置き換え、機械設備も自前で開発した。1965年前後には年1億円を研究開発へ投じている。1960年に研究室を開設し、1961年『サラダホープ』、1966年『ピーナッツ入り柿の種』、1976年『ハッピーターン』を出した。販売では地元問屋を通さず全国の問屋へ直接売り、伸び始めたスーパー向けには配送網を先に用意した。1975年に国内米菓で売上高日本一となり、1983年6月に子の古泉肇氏へ社長を譲った。
業績貢献
古泉栄治氏:在任中の業績貢献
売上高
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営業利益率
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ROE
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参考文献5件
- Wikipedia「古泉栄治」
- 日本食糧新聞(1995年8月18日)「古泉榮治氏(亀田製菓創業者)、12日死去」
- 日経ビジネス 1990年1月15日号「古泉榮治(亀田製菓会長)横紙破りの気概を持って」
- 日経ビジネス 1991年11月25日号「古泉栄治[亀田製菓会長]時には策士たれ」
- 日経ビジネス 1986年3月31日号「亀田製菓 中小企業 多品種少量生産へ 米菓の老舗の転進なるか」