タマホームの歴史的意義・転換点の読み解き
タマホームの歴史的意義・転換点の読み解き
なぜ住宅メーカー「家のユニクロ化」で15年で東証一部に上場した会社が、上場後10年で売上が伸び悩んでいるのか(筆者所感)
かつてのタマホームは、創業から東証一部直接上場までを15年で駆け抜けた急成長企業であった。1998年6月、玉木康裕は48歳で福岡県筑後市にタマホームを設立した。資本金1,000万円、社員数名、前職は地場建設業の筑後興産専務であった。独立の動機は、30歳の米国留学で目にした日米住宅価格差にあった。住宅も工業製品のように標準化すれば安くできるという発想で、木造2階建て注文住宅をパッケージ化し、設計工数と材料調達コストを標準化で抑え込んだ。創業者自身はこれを「家のユニクロ化」と呼んでいる。
こうして、展示場を開いて商圏を広げてTVCMによる販促により見込み客を確保する一方、商品を標準化することで原価を下がる事業構造を作り上げた。2003年9月の福山支店を皮切りに関西・東海・関東へと西から東へ出店を広げ、2004年6月に大阪本社、2005年6月に東京本社を開設した。創業7年の2005年に50店、2008年に150店、2011年に200店を超え、同年の沖縄展示場開設で47都道府県の出店網を完成させた。2013年3月、創業15年目で東証一部・福証本則市場へ直接上場し、年商1,500億円規模の上場企業に駆け上がった。成熟した住宅業界においては、異例のスピードでの成長であった。
しかし、意外なことに急成長はここで止まった。低価格訴求モデルは利益率が薄く、顧客の財布事情に左右されやすい。2014年の消費増税で購買が冷え込むと、200店超の店舗網の固定費負担でFY14・FY15は2期連続の純損失を計上。創業者の長男である玉木伸弥が経営トップに就任して、単価引き上げと店舗整理で建て直したが、コロナ巣ごもり需要のFY22で達した売上2,560億円・営業利益132億円でピークアウトし、2024年3月の金利上昇でFY24は2,008億円・41億円まで後退した。営業利益率は5.2%から2.0%へ落ち、上場直後の水準を下回っている。
なぜ急成長が頓挫したのか。注文住宅で規模を伸ばすには用地情報の優位が前提で、首都圏では飯田グループHD・ケイアイスター不動産など競合他社が分譲用地を握っている。タマホームが九州を中心に伸ばせたのは、競合の手が薄い地方郊外で量産モデルが回ったからであり、裏返せば、地盤のない首都圏では再現できないのだろう。創業家承継で経営に入った玉木伸弥は、独立した事業実績がないまま2018年にバトンを引き継いだ。飯田グループHDのFY24連結売上は1.4兆円規模であるのに対し、タマホームの住宅事業はその10分の1であり、規模の経営を継続するかの分岐点にいる。