重光武雄
ロッテ・元代表取締役社長
社長就任1948年
生年月日—
学歴—
出自—
経歴1948〜2009年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1948年主要役職の状況(推定含む目安)2009年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | ロッテ | 1948 | 代表取締役社長 | ||
| 2009 | 代表取締役会長 |
社長就任までの出自
出自
1922年10月、韓国慶尚南道の蔚山に近い農村で、農業を営む家の6人兄弟の長男として生まれた。本名は辛格浩(シン・ギョクホ)で、10代で日本へ渡り、1946年に早稲田高等工学校を卒業した。同じ1946年にポマードやクリームを作る「ひかり特殊化学研究所」を起こし、翌年チューインガムの製造へ転じて、1948年6月にロッテを設立した。1973年3月期の大株主は重光氏個人が22%、ロッテ不動産が8.3%、ロッテ春秋会が4.6%で、資本は創業者と関係会社が握っていた。
社長に選ばれた経緯
抜擢
自ら興した会社の社長であり、前任者はいない。1959年から1961年までの3年間で、業界全体の売上が1.8倍になる間にロッテの売上は3倍に伸び、板ガムでハリスを抜いて首位に立った。1973年の役員陣は、元金沢国税局長の松井静郎専務を除いて生え抜きで占められ、社外からは「重光武雄商店」と評された。株式を公開すれば配当を求められて思い切った投資ができないとして非公開を続けており、交代を求める外部株主を持たなかったことが61年の在任を可能にしたとみられる。
在任中の主な施策
施策
1961年に主婦をパートで雇って小売店を回らせる「レディ・ホーム・プロパー」を始め、1973年には3000人が全国の小売店の約半数を回った。1965年1月には「価格正常化運動」でリベート率を下げ、安売りする問屋との取引を打ち切った。1964年2月にチョコレートへ参入し、板チョコで明治製菓に次ぐ地位を確立した。1967年に韓国ロッテ製菓を設立し、元副総理の劉彰順氏を社長に迎えた。利益は配当で戻さず韓国へ再投資し、1990年度の韓国事業の売上は日本の2倍になった。
業績貢献
重光武雄氏:在任中の業績貢献
売上高
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営業利益率
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ROE
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参考文献3件
- 日経ビジネス 1991年9月2日号「編集長インタビュー 重光武雄氏[ロッテ社長]ロッテワールドを米欧に 株式非公開で攻めの姿勢」
- 日経ビジネス 1973年11月12日号「ロッテ ガムを基盤の“闘争経営”に転機」
- Decide 1986年 4(7)(33)「菓子王国・ロッテを支える“二つの祖国”」